team Faith②

「まじかよ、聞いてねー」

 唯は真剣に少し怒っていた。

 心の準備をする間も無く、唯は風斗と一緒に、真新しい自転車が掛けられているスタート地点に連れていかれた。


 え? まさかコレに乗るのか? と思っていると、隣で風斗が大はしゃぎをしている。


「かっけー、かっけー、ぼくのじてんしゃ!」


 唯は躊躇する間も無く、若林に促され、補助を受けてバイクに跨った。

 若林先生が支えてくれている。ビンディングペダルを何とか自力ではめた。ペダルをはめる練習を何回してきた事だろう。最近になって、ようやく自分ではめられるようになったばかりだった。


 心の準備が出来ないままに、スタート一分前のコールが行われた。考える間を与えないのが史也達の作戦なのだろうか? 

 いざとなれば唯は凄い集中力を発揮する事を史也と凛は知っている。

 唯は必死に集中して走れるイメージを思い浮かべた。


「スタート十五秒前」


 場内がシーンとしている。

 自分の心臓の鼓動がドクンドクンと聞こえる。心臓ばかりが無駄に興奮して、とても自転車にまで血が巡らない。

 唯は耐えきれなくなって叫んだ。


「ちょっと待って!」

「オレ、走れるイメージが湧きません」


 唯の身体は震えていた。会場は静まりかえったままだ。唯は頬に冷たい風を感じた。

 どうするオレ、しっかりしろ! やらなきゃ、やらなきゃ。

 そう思えば思う程、身体の震えが激しくなってきた。


「ぼくのマネをして」


 その時、風斗が唯の前に出てきて言った。暖かな優しい風が通り抜けた。

 唯は自分の呼吸が浅くなっている事に気がついた。ゆっくりと大きく息を吐いていくと緊張が溶け、自然に笑顔になった。


「ヨシ! せんせい、おねがいします!」


 風斗が嬉しそうにカウントダウンを始めた。

「十五びょうまえ」


 それから五秒もたっていない。

「スタート!」

 そう言って風斗が自転車を漕ぎ出した。唯がそれを追った。


「せんせい、まて〜!」

 唯の自転車に血が通った。

 慌てて、史也と凛、一緒に走る五〇人程が一斉に漕ぎ始めた。


 唯は無心になって風斗をマネながらペダルを回していた。


 風‥‥‥。

 オレ、今、ロードで走っている‥‥‥。

 出来ると信じてはいたけれど、信じられなかった。


「YES!」

 唯は小さく叫んだ。

 頬に当たる風! 今まで見えていた景色が急にキラキラと輝き出した。全ての物が祝福しているかのように、笑っているかのように、ゆらゆらと揺れている。


 ふわふわふわふわと舞う透明な蝶に囲まれている。自分の顔が最高の笑顔になっていくのがわかる。


 涙が出てきたが構わない。その涙の一粒一粒が宝石のようにキラキラと輝いて後方に弾け飛んでいく。唯の視界はハッキリとしている。


 隣に史也が並んできた。

「唯! やった!」

 史也も泣いている。


「やったー」「すごいぞ唯!」「おめでとう!」

 周りは祝福の声で溢れている。


 最高に幸せな時がゆっくりゆっくり流れていく。安定した走りが出来ている。怖い物は何も無い。

「オレ、生きてるぜ!」


 たまらない。この快感は何だろう? 

 時は流れているような、止まっているような不思議な感覚。

 夢の中? いや、これは現実。オレ達の力! Faithの力! 


 ずっとずっと待ち焦がれていたこの時を、今を、オレは生きている。夢のようなこの中をずっとずっとこのまま走り続けていたい!  


 走っている、走れている。

 お前は風谷唯か? オレは風谷唯だ。今、走っているのは風谷唯だ‥‥‥


「オレが先回りしてゴール地点で唯を受け止めてやるから安心してゴールしろ」


 史也が発した声で唯は現実に引き戻された。

 いつの間にかもうすぐ一キロを走り終えてのゴール地点に近づいてきていた。史也はスッと前に出ると、加速してゴール地点に急いだ。会場は大きな拍手に包まれている。


 唯がゴール地点に到着し、史也と若林がガッチリ受け止めた。三人は抱き合って喜んだ。凛と勝もそこに加わり、その周りに皆んなが集まってきた。

「おめでとう!」「やった!」「唯、おめでとう!」

 祝福の言葉が飛び交った。


 すぐに車いすに乗り換えた唯がマイクを握った。


「ありがとうございます! オレ、やりました! オレ達、成し遂げる事が出来ました! 皆さんのおかげです。本当にありがとうございます! 

 オレの夢、オレ達の夢、バンザイ!!

 ここは、ロードレーサー風谷唯の新たなスタートラインになります。これからもどうぞ宜しくお願いします!

 そして今日は、オレの先生、風斗の四歳の誕生日です。今日も先生がいなかったらオレは走れなかった。

 アレ? あいつはどこいっちゃったのかな?」


 見渡すと風斗が遠のいていくのが見えた。あいつはずっと走り続けていたのか? あいつはこれが三周目か?


「風斗、ハッピーバースデー!」

 唯が叫ぶと、後ろ姿を見せたまま振り向きもせず、風斗は右手を上げた。


「くっそ。あいつ、めっちゃカッケー!」

 マイクは入ったままだった。



 唯は大勢の人に囲まれて、たくさん声を掛けられていた。勝の顔は涙でくちゃくちゃになっている。

 唯は再生手術後、車いすラグビーとは離れてしまったが、仲間達は今日も大勢で車いすを走らせ、ゴールでは盛大に祝福してくれていた。

 お世話になった人達や、懐かしい顔一人一人にしっかりと対応しながらも、さっきから一つだけ気になっている事があった。風斗は一人で走り続けているけど大丈夫かな? と。

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