教訓①
唯は自力での走行距離をどんどん伸ばしていった。
自分で痙性を作り出して、それをきっかけに漕ぎ出す事も出来るようになると、付き添ってもらう事なく一人で出掛けるようになった。
自力で漕げるようになった事で唯の身体に良い変化がどんどんと現れ出した。棒のように細かった脚にも少し筋肉がつき始めた。
「見て下さいよ、この可愛い筋肉」
史也の前で嬉しそうにズボンを下ろして自慢げにする唯。
少しだけ汗もかけるようになり、とにかく毎日漕げる事が嬉し過ぎて、唯の目は生き生きとしていた。
しかし、ここニ〜三日は漕ぐと痙性が時々入ってしまい、いまひとつ上手くいってない。
ちょっとオーバーワークかな? と思った唯は、今日もう一日だけ頑張って、明日は
その日も唯は一人で公園に向かって漕ぎ出した。今日はまあまあいい感じだ。公園の周りをぐるっと回って戻ろう、と計画を立てた。
公園に到着して、何かちょっと疲れちゃったなと思ったが、明日完休にする為にもやっぱり今日は頑張っておこう、と思い直して漕ぎ出した。
時々痙性が入り、その度にストップを余儀なくされた。
ちょっとまずいかな、と思いながら漕いでいると、ビーンと強い痙性が入り、痛さに顔が歪んだ。
「これはまずい。自力で戻れないかも。もしかして、
褥瘡は「床ずれ」とも呼ばれ、体重で圧迫されている場所の血流が悪くなったり滞ることで、皮膚の一部が赤い色味をおびたり、ただれたり、傷ができてしまう事。
唯は足こぎに夢中になりすぎて、圧迫と擦れが重なっていたのかもしれないが、痛みの感覚も無い為に気づく事が出来なかった。
筋肉が殆ど無い尾骨の辺りが怪しい。
褥瘡は重症であれば手術が必要になるし、骨が壊死してしまう事だってある。
唯は怪我をしてからずっと、褥瘡を作らないように細心の注意を払ってきていた。それがここの所、調子に乗ってしまって注意を怠っていた。
痙性は身体の不調を知らせてくれる事がある。脊髄損傷の人はどこか身体に不調が生じた時に、それが痙性という形で現れる事がよくある。
唯は最近起こる痙性は少しオーバーワークになっているせいだと思っていたが、そうではないような気がしてきた。
硬直した身体の痛みに耐えながら、史也か凛を呼ばなくてはと思い、持っていた携帯を取り出そうとした。
手が震えて携帯電話が手から滑り落ちる。とっさに掴もうとした時に強い痙性が入った。
身体のバランスが崩れた唯は前のめりに地面に叩きつけられた。
硬直していた身体が緩んだ。
世界が真っ暗になった。
「大丈夫ですか?」
その声にハッと目が覚め、唯は顔を上げた。
運良く通りがかりの人が倒れている唯に気づいて駆け寄ってくれたのだ。
おでこから血が流れている。緩んでいた身体が再び硬直して、唯は顔をしかめた。
「すみません。電話して下さい。番号言いますから」
必死に伝えた。
すぐに史也が車で迎えに来た。
若林先生に連絡を入れて病院に向かった。唯は車の中で身体の硬直と痙攣に襲われ、また気を失いそうだったが必死に話した。
「すみません。オレ、褥瘡を作ってしまったのかもしれません」
病院に着くと、若林が入り口に待機していた。
「唯君、もう大丈夫だから安心しなさい。すぐに身体を緩めてやるから」
病室で何かの注射を打たれ、ふっと楽になった気がして唯はそのまま眠ってしまった。
目が覚めるとベッドの上に横向きに寝かされていた。先生と史也がいるのがわかったので声を掛けた。
「先生、史也さん、すみませんでした」
若林は静かに言った。
「お、唯君、気がついたかい。大丈夫だ。どこも折れてない。右膝と右肘の軽い打撲と、オデコは三針縫った。褥瘡、ちょっと作っちゃったな。そこまで酷くはないが、身体の緊張が相当酷く出てるから、三週間位はベッド上で過ごす事になるかもな」
唯はここ最近の自分の行いを反省していた。
「申し訳ないです。調子に乗って注意を怠っていました」
史也が続けて言った。
「一緒に住んでいながら、自分と凛も調子に乗って、唯の異変に気づく事が出来ず、申し訳ございませんでした」
若林は静かな口調を崩さない。
「失敗したな。まだこれ位で済んだのはラッキーだった。教訓にしよう」
「はい。ありがとうございます。史也さん達は悪くないです。自分の体調ぐらい自分で管理出来ないと」
「唯君、今は痛みは無いかい?」
「はい。大丈夫です」
若林は、また唯に苦しい思いをさせてしまう事に胸を痛めていた。その感情を押し殺すように淡々と言った。
「強めの薬を入れてるからな。褥瘡と疲労が重なって硬直がかなり酷い。薬が切れたらまた痛みに襲われるだろうけれど、もうあまり強い薬は使わないつもりだ。今日一日は我慢してくれな。明日にはかなり楽になるはずだから。
強い薬は使わないけど、痛みがきたら必ずナースコールで知らせるようにな。眠れそうなら眠っておいた方がいい。また少しの間入院してもらう事になるが、もう心配はいらない。史也君は戻りなさい。凛君にもよろしく伝えてほしい」
ニ人は礼を行って頭を下げた。史也が帰ると、唯は静かに目を閉じた。
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