覚醒②

 唯の脚に感覚が戻り始めたあの日をきっかけに、身体にも様々な変化が現れ始めた。

 あの日、感じる事が出来たのは右の太腿だけだったが、少しずつその範囲が広がっていった。

 そして、凛が生み出してくれる動作に、唯自身が動かしているというイメージを繰り返し繰り返し植え付ける事で、唯は本当に自力で、ほんの少しだけ自分の脚を動かせるようになっていった。


 感覚神経と運動神経の繋がり、良き兆候の相乗効果は目を見張る物があった。それは足こぎ運動にもはっきりと現れてきた。



 ある日の就寝前、凛は史也に提案してみた。


「最近、唯はどんどん進化しているの。今日は足こぎを十分位、休憩する事なく楽に脚を回し続けられたんだよ。

 唯はずっと自分で漕いでるイメージを持ってやってきてるから、私が手を離しても漕ぎ続けられるんじゃないかな? って今日思った。たぶん唯もそんな気持ちを持ち始めてるんじゃないかな? 

 でも、実際やってみるのってちょっと怖い。出来るんじゃないかって思って出来なかったらショック大きいと思うし。


 それでね、明日もし天気良くて唯の体調が良さそうだったら、こっそりと手を放してみようかと思ってるの。

 ちょっとサプライズを考えてるんだけど、史也は明日一緒に行ける? ビデオ撮っててほしいんだ。手を放す事は唯には内緒で。 

 唯が止まっちゃったら適当にごまかせばいいし。成功したらビデオを見せて、唯は初めてそこで一人で漕いでいた事に気づくの。どう?」


 史也にはその光景がはっきりと見えた。


「おっ、ナイスアイデアじゃないか。漕いでる時に凛が手を放している事を知ったら止まっちゃいそうな気もするしな。ビデオ係オッケー。風斗も連れていくぞ」



 翌日は晴天に恵まれた。こんな空気感の時は何かいい事が起こりそうだ。

 いつものように凛と唯が外に出ようとすると、風斗を背負って史也もついてきた。


「あ、史也さん、どこか行くんですか?」

「唯、ずいぶんスムーズに回せるようになったらしいな。今日は凛にビデオ係を頼まれちゃってさ。カッコよく撮ってやるからな」


「動画は参考になりそうだなぁ。宜しくお願いします」


 凛もなんだが嬉しそうだ。

「昨日の感じでいけるといいね。自分で漕いでるイメージを忘れないようにね。じゃ、行こうか」


 凛はペダルの静止を解除すると、ゆっくりと押し始めた。

 史也はどうやって撮ったらいいのか困っているようだ。

「凛、もう撮るのか? どの角度がいいんだ?」


「そろそろお願い。初めは足元を大写しで横から一分位撮って。その後あそこの電柱まで先回りして。正面からズームにして撮っていって」

「了解」

 史也はビデオを撮り始めた。


「何か緊張しちゃうな。史也さんに撮られてるなんて」

 唯は運動会を走る子供のようにワクワク、そわそわしている。


「こら!唯、自分で漕いでるイメージに集中しなさい」

 凛の口調は小さな子供を叱っているお母さんみたいだ。


「はい、はい」

 そんな軽い返事をしながらも、唯はすぐに集中スイッチを入れた。


 史也が先回りして遠くから撮影を始めた。

 凛は暫く普通に車いすを押して、少し押す力を弱めたり元に戻したりしながら感触を確かめ、その手を離した。


 少しの間は惰性で進むだろう、止まりそうになったらまた少し押そう、と思っていた。

 一秒、ニ秒、三秒、四秒、五秒、六秒‥‥‥

 凛は手を離したまま付いていっている。


 七秒、八秒、九秒、十秒‥‥‥

 史也に向かって、声を出す事をこらえて「やったー」と口だけを動かしながら、唯に気づかれないように小さくバンザイを繰り返した。

 そして史也がいる所まで来ると、「よし!」と言って車いすを止めた。


「いっいっ、いっいっ」

 風斗が嬉しそうにはしゃいでいる。


「いい感じだったんじゃないかな? 史也、ちゃんと撮ったでしょうね?」

 嬉しさを押し殺して、史也と凛は普通の感じを装った。


「早速、唯に見てもらおう」

 そう言って史也がしゃがんだので凛もしゃがんだ。唯の目の前で再生ボタンが押された。横からのアップの映像が流れると唯が少し自慢げに言った。


「結構綺麗に回ってますね」

「変な力入ってないね」

「いっいっ、いっいっ」


 史也が前方に走っていく所は撮りっぱなしで地面がゆらゆら揺れている映像だ。

「あ、わざとわざと。臨場感あっていいだろ?」

「はい、はい。」

 史也と凛は嬉しそうにしながらも、次の瞬間を待ち構えていた。


 少し進むと凛が手を放す所が映った。

「えっ?」

 思わず唯の声が漏れた。


 ビデオに映った唯はそのまま何事もないように漕ぎ続けている。 

 満面の笑みを浮かべて付いてきていた凛が「よし!」と言って車いすを止めた。


 驚きの表情を浮かべている唯に凛が抱きつき、史也は唯の頭を思い切り撫で、ニ人で「おめでとう!」を連発した。


「ゆい、どっどー、どっどー!」

 風斗も手足をバタつかせて嬉しそうだ。


「えっ?」と唯がもう一度言った。

「え? オレ自分で漕いでた?」


「やったな、唯!」

「すごいよ!すごいよ、唯!」

「ゆい〜! ゆい〜!」


 唯は目を丸くしたまま言った。

「え? ちょっと、もう一回いいですか?」


 凛が苦笑いした。

「もー、もっと喜べよ! 唯はいっつも現実の先しか見てないんだから」

 そう言いながらも、嬉しさを隠しきれない。


 唯は漕ぎ出す事は出来ないので、凛に惰性をつけてもらってから手を放してもらった。

 漕げる、漕げる、やっぱり漕げる! 十秒位漕げた。唯は小さくガッツポーズをした。


「やった! やりました! 史也さん、凛さん、風斗! ありがとうございます! オレ、もっと出来ます。絶対乗れるようになりますから。スゲー! めっちゃ嬉しいです」


 唯は少年のように目を輝かせて、何回も小さなガッツポーズを繰り返した。

 史也はそんな唯の姿をしっかりとビデオに収めていた。

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