覚悟②
予想外の苦戦だった。
術後一週間で目を覚ました唯はその後も苦しんでいた。身体が何かを拒絶しているかのように、熱は下がらず身体は痛み、ベッド上から離れる事が出来ない日々が続いていた。
術後一ヶ月が経ち、身体もかなり衰弱していた。
口にこそ出さなかったが「この手術は失敗だったのではないか」と思い始めた。
弱った身体がそうさせるのか、苛立ちも少しずつ消えて、諦めの気持ちが顔を出してきた。リスクを負う覚悟は出来ていた筈だ。せめて笑顔でいようと思っていた。
そんなある日、史也と風斗を背負った凛が一緒に唯の病室を訪れてきた。
今日は少しいつもと空気が違う。唯はなぜだかひとりぼっちになってしまったような孤独感に襲われた。ベッドやテレビ、収納庫など身の回りにある物は皆眠っていて助けてくれそうもない。
緊張感が増す。自分でも今の心の状態が良くない事は分かっているから、弱気を悟られないように心を引き締めた。
史也が話始めた。
「調子どうだ? キツイか? 話聞けるか?」
唯は平静を装っていた。
「大丈夫です」
「ちょっとまじめな話していいか?」
やっぱり何か言われる。予想通りだ。唯は心を決めて「はい」と言った。
「どうなんだ?」
史也が聞いてくる。
「どうって、このザマです」
「何が問題だと思う?」
史也の声は静かで、その声からは怒りや情けは感じられない。唯は思いをそのまま口にした。
「情けないです。何か問題があったわけじゃなくて、オレが足りなかったって事です。リスクを負う覚悟は出来ていたから、オレ自身がこうなった事には後悔はしてないです」
史也は淡々とした口調で続けた。
「お前の覚悟って、リスクに対する覚悟だけだったのか? オレがお前の決意を応援したいと思ったのは、唯と同じ覚悟が出来ていると思ったからだったけど、ちょっと違ってたかもしれないな」
「え?」
思わず漏れた言葉と同時に、唯は史也に顔を向けた。
「もう諦めたのか」
淡々とした史也の言葉が鋭く突き刺さってくる。心を見透かされているような気がした。
「諦めたわけじゃないけど、こんなはずじゃなかった。みんなを巻き込んで、みんなの力を貰ってオレは出来ると思っていた。でもそんな器じゃなかった。今の状態は予想外です」
「失敗だったって事か?」
「失敗とは言えません。だけどこのザマです」
「みっともないな。あの時の決意をこんな形で終えてしまうなんてな」
見捨てられるのか? 厳しい事を言われても、史也さんはきっと自分を励ましてくれると思っていたのに、病んでいた心をそのきつい言葉で更にえぐられた。
凛がたまらずに口を挟んだ。珍しく強い口調だ。
「何でそんな事を今言えるの? 唯は今、弱っているのよ」
史也は譲らない。
「唯が弱ってるから言うんだ」
オレの大好きな史也さんと凛さんが、オレの事で言い合っているのも堪らなかった。涙が出てきた。
史也はそんな唯を見ても同情しない。
「お前の夢とオレの夢。一致してると思っていたのにな。このザマじゃ一緒に同じ夢を見られそうもないな。なあ風斗、オレ達も諦めようか」
風斗は「ぶーぶー」と言いながら膨れっ面をしている。
凛はこんなに厳しい事を言う史也をこれまで見た事がなかった。何かを凛から感じたのか、史也が続けた。
「オレはずっと自分には厳しくしてきた。他人に厳しい事を言う事は出来ないけど、唯一、唯だけには自分自身に言う事と同じ位の事を言える。いや、もしかしたらそれ以上の事を言えると思っている。今は。けど、もうそれも言えなくなるのかもしれない」
史也の目は怖かった。あの時の目と重なった。
東京オリンピック、一番キツイ場面でサングラス越しに合わさった史也の目。あの時は凄い力を貰えた。
でも今は、力を貰うどころか、自分の弱さが際立って余計に
「オレは史也さんのように強くないんです。自由が効いて健康な人に、オレの気持ちなんて分かるはずなんてない」
言ってはいけない言葉が出てしまったと思ったが、取り消す事が出来なくて、唯はうつむいた。
大好きな史也さんの心を傷つけてしまったに違いない。
やるせない気持ちが波のように押し寄せてきて飲み込まれそうだ。
しかし、史也は動揺していないように言った。
「わからない。オレはお前じゃないから。想像しか出来ない。けど、今までは、同じ所に向かっていると思っていた。今までは‥‥‥」
唯がリピートした。
「今までは‥‥‥、で、す、か?」
「ああ」と史也が言った。
「覚悟が何なのか、もう一度考えろ。しばらくはオレはここに来ない」
そう言い残して史也は病室を出ていった。
涙を流して余計に苦しそうにしている唯を見て、凛も泣いていた。
「ごめんなさい。史也はあんな言い方をしてるけど、でも‥‥‥」
唯が言葉を遮った。
「ありがとうございます。一人にさせて下さい」
凛は何回も頷いた。
戦っている。史也も唯も、必死に。
私には痛い程それが分かるけれど、二人の厳しく結ばれている絆に入り込む事さえ出来ない。そう思いながら、無理やり明るい声を作った。
「私は明日また来るからね。苦しかったら我慢しないでナースコール押すんだよ」
固く目を閉じていた唯がそっと目を開き、凛に目を向けると、その耳がキラリと輝いた。
凛さん、ピアスなんてしてなかったよな?
そう思ったけれど何も言えなかった。凛は優しい言葉を残して病室を出ていった。
背中に背負われている風斗は眠っているわけではないのに、泣きもせず、声を上げる事もなくじっと目を開いたままだった。
一瞬、ウインクをされたように思った唯は、風斗に何かを訴えかけられているような気がした。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も凛は風斗を背負って唯の所にやってきた。
史也はやってこなかった。いや、史也は毎日、ロードで病院まで足を運んでいた。しかし、外から唯の病室を眺めて、そのまま戻っていくだけだった。
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