ファイナルに向かって②

「長い間ずっと一緒に暮らしてきたのに、唯とニ人で星を見るなんて初めてだね」


「はい。普段の会話やリハビリの時は別として、凛さんとこうして話をするのは若い時、入院中に食堂で話をした時以来な気がします」


「そうね、私も。この時間を作ってくれた史也と風斗に感謝だね。星が綺麗。今日は月が無いから沢山の星が輝いて見えるわ。星はね‥‥‥」


 まるであの頃のニ人に戻ったような気分だった。若かったあの頃そのままの気分だった。


 唯が言葉を遮った。


「星はオレにとっても特別な物です。オレが死にそうだった時、史也さんと凛さんは懸命に星に祈ってくれた。それを知った時、星はオレにとっても、特別な物になったんです。それから、史也さんからプレゼントされたっていうその小さな星のピアス、とっても似合っていて素敵だなってずっと思ってました」


「え? 私そんな話、した事なかったよね。史也と私しか知らないはずなのに。そんな事、史也から聞いたの?」


「いえ。凛さんが。オレの夢の中で凛さんが話してくれました。他にも色々あります。カタクリの話とかも。オレがへこたれそうになっていると、凛さんが夢の中に出てきて、オレは何度も励まされた。おかげでここまで来る事が出来ました」


「不思議な話ね。不思議だけど、私はもう驚かない。唯と私がそんな素敵な関係になれた事、とっても嬉しく思う。じゃ、一つだけ、たぶん唯が知らない話をしようかな」


「何だろう。嬉しいな」


「明日はね、新月なの。出発の日にはもってこいの日よ。

 若い時、唯が私の勤めていた病院を退院していった日も新月だった。私はその半月前の満月の日から毎日月を見ていたの。お月様が少しずつ細くなって、唯の退院が近づいていくのを実感してた。

 細くなって細くなって、見えなくなる日が唯の退院の日。退院は喜ばしい事だったけど、痩せていく月を見るのは切なかったな。

 そんな事があったから、私にとっては月も特別な物なの。


 今回も毎日、空の月を見ていたよ。あの時と同じように。

 このお月様が見えなくなる日が唯の最後のレースの日なんだなって。でも切なくはなかったの。唯と一緒に自分の気持ちも高めてこれた。

 今日の夜明け前も本当に一本の線のようなお月様が美しく輝いていたの。明日は絶対にいい日になるって感じたよ」


 しばしの間、無音の時間がその場の空気を支配していた。星たちのまたたきが大きくなったように感じた。


 唯は今の自分の心をどんな言葉にしても薄っぺらになるような気がして、言葉を発する事が出来ないでいた。

 あの日、退院の日に凛さんは「退院おめでとう」という言葉以外何も言わず、涙色の花束を渡してくれた。その意味が深い所まで分かった気がした。


 何も言わず、いや何も言えず、同じように沈黙を貫いている星たちをしばらく眺めていた。


「唯、私が今、あなたに与える事の出来るパワーなんてちょっとしかないの。でも、受け取ってね。私だけじゃない、唯を応援してくれているみんなのパワーがここに集まっているわ。それを受け取ってね」


 そう言って凛は唯の体に両手を回し、しっかりと抱きしめた。


 唯のその身体は、固い決意と長年の努力そのものだった。

 明日、思い描いているレースをする為だけに作り上げてきた身体。余分な物は何一つ無く、歩く事さえ求めなかった。

 唯の身体から凛の身体へとじんわりじんわり伝わっていくモノが凛の涙になって溢れ出た。


 唯は一瞬ドキッとしたが、凛から流れてくる柔らかくて暖かくてどうしようもない何かに溶かされていくかのように、凛の身体に身をゆだねた。

 唯の目からも美しい何かが溢れ出た。時を止めたかった。


 オレは自分の物ではない液体の感触を肌に感じた。


 ここまでだ。目を覚ませ。

 突然オレの声が邪魔に入ってきやがった。ハッとして身体を起こす。


「凛さん。明日オレは最高のレースをします。しっかりと見ていて下さい。今日は本当にありがとうございました。今日だけじゃなくこれまでずっと。あ、そしてこれからもずっと宜しくお願いします」


 丁寧に丁寧に、深く深く頭を下げていた。

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