二回目の挑戦②

 その頃、唯は最も傾斜のきつい27%の地点を懸命に駆け上っていた。

 昨年はここに挑戦する事さえ出来ずにレースを終えている。今回こそはアサギマダラのような自然との一体感を感じたいと思って一年間トレーニングに励んできた。

 身体は思うように動かなくても、ガイアの力を自分のエネルギーに変えて走るイメージトレーニングもしてきた。


 ところが実際はそんな気持ちよいものではなかった。ここに挑戦できているという喜びは感じているものの、筋肉はピクピクしているし、呼吸も怪しい感じになって、ギリギリの状態が続いている。


 何とか止まらずにあそこまで! その連続だ。

 もう急な所は最後だろう? という思いを何度も何度も裏切られ、それでも心折れる事なく、前へ前へと進んでいく。


 最後に少し下ってからの長い長いラスト2キロ。

 しっかりしろ! ゴールまで。何としてでも!

 少しでも速く! などとさえ今は思えない。漕いでいるのがやっとだ。

 それでも、いくら遅くたってペダルを漕ぐ足を止めなければ、ゴールは必ずやってくる。


 ようやく最後の直線に入り、最後の力を振り絞る。


「唯! ラストだ!」

 道路脇から声が飛ぶ。風斗が叫んでいる。

 その声を皮切りに周りにいた人達の視線が一斉に降り注がれたような気がした。

 そこにいた人達が皆拍手をし、口々に叫んだ。

「えっ? 唯さん?」「唯がやってきた〜!」「唯さん、ゴールだ!」「ブラボー!!」


 唯が顔を上げると、そこには大勢の人達が応援してくれている姿があった。

 たった今まで「死にそう」と思っていたのに、一気にパワーがみなぎったような気がして、唯は最後の直線を全力で駆け上った。

 右手をほんの少しだけ上げ、最高の笑顔でゴールした。


 風斗が駆け寄ってきて唯を支えた。

「唯! おめでとう! やったな!」

「ああ。風斗、お前は?」

「勝ったぜ! オレ達最高だ!」

「マジか? 勝ったのか! おめでとう! オレ達最高だ!」


 風斗は用意しておいた車いすに唯を乗せてゴール地点から離れた場所に移動していった。

 係の人が完走賞のメダルを首に掛けてくれた。唯の預けた荷物を風斗が取りに行こうとすると、別の係の人が荷物と飲み物を持ってきてくれた。


 トップクラスの表彰式がちょうどこれから始まる所だ。風斗は唯を救護室に連れていって休ませようとしたが、唯は表彰式を見てから休むと言ってその場にとどまった。


 唯は風斗の表彰をしっかりと見届けた。壇上の六人の選手達は輝いて見えた。今回ニ位に沈んでしまったセルビアは、風斗の手を高々と上げ、その勝利を讃えた。

 ニューヒーローの誕生に、会場は割れんばかりの拍手を送り続けていた。


 壇上を降りると、風斗はインタビューを振り切って唯の元へと急いだ。


「風斗、カッケーな」

 唯に言われたが、その顔色が悪い事が心配になって救護室に連れていこうとした。

 唯は「大丈夫だから」と言いながら、祝福に来てくれた王さんにもお礼を言って、元気そうに振る舞っていた。


 王さんがくつろげる場所と暖かい飲み物を用意してくれていたので、とりあえずそこで休む事にした。

 唯は暖かいジンジャーティーを飲みながら、その飲み物と王さんの温かな潤いが身体に染み渡っていくのを感じていた。

 唯は車いすに座ったまま、何だか気持ちいい夢のような世界に運ばれていった。


 映画『あしたのジョー』のラストシーン。「燃え尽きたぜ、真っ白に‥‥‥」

 唯が大好きなシーン。

 オレもこのまま真っ白な灰になる? それもカッコいいな‥‥‥

 そんな事を思いながら、時間が流れていく。


 少年の頃から「出し切った」と思えるレースは沢山あった。17歳の時の世界選ジュニアのレース、18歳の時のインカレもそうだった。今回のレースと違って、もっともっとシビアな闘いの数々を経験してきて、それらと比べる事なんて出来ない。

 出来ないけれど、今回のゴールは格別な味がした。


 動く事が全く出来なくなったあの日からおおよそニ〇年。パレード区間を含め今日の約五時間のレースは、今持っているあらゆる能力を使い切れた満足感があった。 


 今までやってきた事を、自分自身を全てを試され、自分の持っている物の全てを引き出していく必要があった。そんな感じが、今までにないゴールにしてくれたのだと思う。

 

 そんな思いで少しだけ涙が出た。


 このレースはもう終わりに出来るな。これ以上上手くは走れないだろう。これ以上の結果も求められないだろう。でも、ここへの挑戦は楽しかったな。それが無くなってしまうのは何だか寂しいな。


 どのくらい時間が経ったのだろう。

 ほんの数分にも思えるし、一時間位が過ぎたようにも思える。温かい飲み物は身体を潤し、元気を取り戻させた。


 唯はそのまま真っ白な灰にはなれなかった。

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