決意②

「はい。ありがとうございます。オレ、風斗が生まれて初対面した日から新たな気持ちが芽生えたんです。

 風斗は命を落とさなかった。オレはすごい生命力を見た。

 オレもあの時の事故で途絶えそうだった命をたくさんの方に繋いでもらった事を改めて思い出したんです。


 あの時からオレも精一杯を繋いでここまで来る事が出来ました。パラリンピックでも輝けた。あれから一年が経って、今もパラリンピックで成し遂げられなかった車いすラグビーで世界一になる事を目標に頑張ってます。

 だけど、本当は、本当にやりたい事は、ずっと封印していました。無理矢理諦めていました。100%無理だって言い聞かせていました。自分自身で、自分自身に。

 けど、だけど、風斗の生命力を見て、本当に100%無理なのかよって問いかける自分がいたんです。


 。強く強くそう思うんです。

 一週間前に風斗が驚きの動きをした時、オレは思わず『そんなに早く成長するなよ。オレを置いていくなよ』って叫んでいた。

 オレは風斗と一緒に出来る事を増やしていきたいと思っていたし、何となく風斗がオレを導いてくれると思っていたのに、早くも置いていかれたと思ったんです。 


 ところが、風斗はオレの叫びを聞いてくれたように動きを止めて普通の赤ちゃんに戻った。何でだか分からない。何であんな事が起こったのか分からないけれど、神様と風斗がオレにもう一度チャンスをくれたような気がしたんです。

 オレはやってみもせずに本当にやりたい事を諦めたくはない。


 それは生半可な覚悟では出来ない事は分かっているし、全てを懸けてそこに費やしても達成出来る確率はゼロに近いのかもしれない。それに自分一人の力で出来る事ではないし、多くの人を巻き込む事になるし、迷惑をかける事になるかもしれない。

 だからやっぱりそんな事はやるべきではないと何度も言い聞かせたんです。何度も何度も自分自身に言い聞かせたけれど、突き動かされるこの思いを押さえつける事が出来ないんです」


 激しい。熱い。史也も凛も圧倒されて、しばらく言葉が出ない。

 音の無くなったその空間を癒す声があった。

「いっいっ」

 風斗の顔がくしゃくしゃっと可愛く微笑んでいた。


 凛は数年前の事を思い出していた。看護師として唯を診ていた頃、唯の我慢強さと、それを表に出さずに笑い飛ばして前に進んでいく姿に驚嘆していた。

 あの頃は自転車の話は全くしなかったけれど、彼がずっと封印していた物への思いの強さを初めて見た気がした。


 史也は唯が高校時代の最後に挑んだ世界選ジュニアのレースと彼のゴール後の姿を思い出していた。

 力は出し切ったが世界の力にねじ伏せられ、目標だったメダルには届かずに、飢えた野良犬のようにズダボロになっていた姿。

 あの時の熱い思いを再び見たような気がした。唯は事故後もいつも本気だった。車いすラグビーにも本気で取り組み、だからこそパラリンピックで沢山の人達に感動を与える事が出来た。

 けれどそれは本気で取り組むスポーツの枠を超える事が出来ないのだろう。


 自転車は違う。ロードレースはスポーツである事に変わりはないけれど、オレ達、オレにとっても唯にとってもそれはなんだ。


「それが風谷唯だ。お前にはそれしか無いんだろ? なら納得出来るまでやってみればいいんじゃないか」

 史也は深く考える事無く、思いがそのまま言葉となって口から出た。


「待って。そんなに簡単に言わないで」

 普段は史也に反論する事が殆ど無い凛が強い口調でさえぎる。


「頸髄損傷。完全麻痺。それが意味する物を私はこれまで嫌というほど突きつけられてきたの。唯だって分かっていたから夢を封印して新しい道を歩んできたんでしょ? 

 ここまで来て、せっかくここまで来たのに、また泥沼のような中に自ら飛び込んで足掻あがこうというの? ねえ、どうしてなの? 

 そんな苦しみの中に飛び込まなくても、今のままもっと上を目指していけば充分じゃないの?」


 凛の目からは涙が溢れていた。悔しい。頸髄損傷、完全麻痺というこのどうしようもないものが悔しくてたまらない。


 唯は冷静だ。感情的になって言っているのではないし、とても落ち着いた口調で続けた。


「ありがとうございます。史也さんの気持ち、凛さんの気持ち、本当にありがとうございます。

 分かってます。可能性が限りなくゼロに近いと知っていたからオレはまだ何もやっていないんです。でも今はそれでもやってみたい。


 方法は色々考えているけれど、自分一人で出来る事じゃないから、まずは史也さんと凛さんに伝えたんです。あ、勝さんだけには気持ちを伝えました。車いすラグビーもやめて迷惑かける事になってしまうから。勝さんは分かってくれました。本気でやるなら全面的に協力すると言ってくれました。オレの夢でもあるからと。


 もし史也さんと凛さんが、いや、風斗も含めて三人が心良く思ってくれなかったとしたら無理だと思っています。きっと失敗に終わる。

 もしも三人が応援して下さるのなら、若林先生にも相談して成功する道を探ります。今はもう自分にはしか見えてないんです」


 若林先生とは、唯が事故後に運ばれた病院でお世話になった主治医だ。凛は若林の指示に従って唯を診ていた。

 若林だったから唯は命を落とさずにすみ、ここまで回復出来たんだと、唯も凛も思っている。そして若林は今でも唯を心から応援してくれている先生なのだ。


「凛」と史也が静かな口調で呼びかけた。


「うん。分かってる」

 凛は涙を手でぬぐった。

「唯を応援している。あの時からずっと、今も、これからも。唯が選ぶ道を応援する。史也の事も唯の事も信じているから」


 唯は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

 心の底から感謝の気持ちを述べた。


「よかったな、唯。頑張ろうな」

 史也がそう言うと、また可愛らしい声がした。

「いっいっ」


 三人が笑った。

「風斗も応援してくれてるんだな。オレ、頑張るよ」

 唯の目がキラリと光った。

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