ハーダー、ベター、ファスター、ストロンガー 3


                ▽


 オブシディアンは逃げ回りながらウルツァイトの隙を探した。オブシディアンはアーマメントとキックでウルツァイトを倒すことが出来るのであれば、それを狙うべきだと考えていた。


――でも少なくともここじゃ、無理だな。


 ルビーがアンバーを運び出す時間を稼ぐためにわざと狭いところに入った。それと、もう一つ、この狭い空間であれば、ウルツァイトは動くのに多少の苦労がいる。そう願ってカーブを曲がり、階をうえに行っている。アーマメントとキックの黄金パターンを使うなら、一度、距離をとってやったほうがいいからだ。


 だがそこが難しい。ウルツァイトは巨体だが、オブシディアンよりほんの少し遅いか、変らないか、それぐらいしか速度の差がないのである。これはオブシディアンにとって多少の誤算だった。


 ウルツァイトの爪がコンクリートの柱をバターのように切り裂く。オブシディアンはそれで少し距離が出たかと思うが、背後を窺って、余裕があるとは言えないほど近くにあの巨体があることを確認する。


 オブシディアンは飛びながら、目の前のカーブが立体駐車場の最後のカーブであることに気づいた。つまり、ここを曲がって坂を昇れば、そこはもう屋上ということになる。


 オブシディアンはここまで、カーブを曲がる速度だけで距離を稼いでいた。オブシディアンとウルツァイトでは速度が同じでも、小回りでは明確な差がある。


 しかしその距離稼ぎもそこまで。これでつけられたのはたった2m程度の距離である。こんなものは魔法少女のなかでは距離とは言わない。完全なキルゾーンだ。だいたいウルツァイトぐらいの巨体なら一歩どころか体を伸ばすだけで届くだろう。


――やってみるか? あの方法で?


 オブシディアンが最後のカーブを曲がる。ここでほんの少しの差がまた生まれる。ウルツァイトは停められていたカローラにぶつかりながら曲がる。


 屋上へ続く坂と、それに伴って赤らんだ空があった。そして前を行くオブシディアンと、その後ろに道となって浮いている黒曜石も。ウルツァイトは先ほどと変わらず黒曜石に乗って自分から離れていこうとしているが、少し動きがおかしい。


――コントロールが難しいんだ、これは。


 オブシディアンは舌打ちをした。今の自分は五年前、はじめて魔法少女になったときとあまり変わらないぐらいにしか黒曜石の精度を保てなかった。


 そもそも魔法少女全員に備わった鉱石を操る能力は、いわば新しく腕や足を生やすようなものなのだ。当然、脳はそういうものを動かす機能を持っていないわけだから、これには二重思考を成立させるぐらいの集中力が必要になる。実際、オブシディアンほどそれに長けた魔法少女でも、飛行のような複雑な動きをしている最中には、黒曜石を動かしたり、ましてそれにリンクしたりするようなことはしない。飛行に集中できなくなって落ちたりすれば、耐久力のない自分にとっては大きな隙だからだ。


 だがこのときのオブシディアンはそれをやった。つまり、それを試すだけの価値があると考えたからだが、オブシディアンは飛行しながら後ろ向きに遠隔アーマメントを使ったのである。


 ウルツァイトはそれにすぐさま気づいたのか、バックステップで黒曜石から離れようとしたが、もう遅い。オブシディアンが今度は自分の胸に黒曜石の杭を突き立て、傷を作る。

 これでオブシディアンの体には三つ穴が空いていることになる。

 いい加減しんどい頃合いだ。

 大体、ホワイトリリーに回復してもらったとはいえ、スピネルと魔法使いを連続して相手したあとである。もう何度、アーマメントを使ったかも憶えていない。ルビーやダイヤモンドの必殺技ほど魔力消費は多くないとはいえ、この一回でもうオブシディアンの魔力はほとんど残されていなかった。


 オブシディアンは一瞬意識を失い、コントロールを失ってグレーのセダンに突っ込んだ。魔力消費と集中に気力を持っていかれたせいだ。


「う……」


 オブシディアンは眼を白黒させながらも起き上がった。ウルツァイトが坂をゆっくりとあがり、屋上に現れた。胸に小さな亀裂が走っていた。やはり存在として相手が格上であればあるほど、傷は小さくなるらしい。


 オブシディアンはセダンのバンパーに背中を預け、座った状態で黒曜石の杭を出した。杭をウルツァイト目掛けて飛ばす。するとあっさりと杭は、ウルツァイトの体へ突き立てられた。


 オブシディアンが躓きそうになりながら立ち上がる。ウルツァイトが突っ込んでくる。それを、オブシディアンは車のボンネットをジャンプ台にして、ウルツァイトの体を乗り越える形で避ける。


 着地した先で黒曜石の塊を浮かべ、並べる。


――避けさせない。防がせもしない。これで決めてやる。


 ウルツァイトがセダンを掴んでいた。


 セダンが飛んでくる。オブシディアンは直撃を受け、屋上の端に車ごと持っていかれる。


                 ▽


 車はひっくり返り、オブシディアンの足のうえに乗っていた。オブシディアンは呻き、車のボディに手をかけるが、「それじゃ間に合わない」と思った。


 ウルツァイトがオブシディアンに迫る。


 ルビーが現れ、オブシディアンの手を取って車から引っ張り出す。


「間一髪……大丈夫だった? 私今日、すごく人助けしてる気がするよ」


「ふぅ……リリーは? あと、ダイヤモンドは?」


「知らない……二人ともこの駐車場に入っていったんだけど」


                 ▽


 ダイヤモンドとホワイトリリーはウルツァイトを追って、立体駐車場の中に入った。音がした上階へ目を向ける。


「相変わらず無茶してんな、あいつ……」


「言ってる場合!? 早く合流しないと!」


 ダイヤモンドが、ああ、と零す。そして走って二人のいる上階へと昇ろうとする。


「天井を破っていったほうがいいんじゃない?」


 ホワイトリリーが言う。


 こっちも無茶なことを言うな、と思いながら、ダイヤモンドは冷静に。


「いや、それは……」


 そこで、ダイヤモンドは倒れている人影に気づいた。


 一瞬、逃げ遅れた一般人かと思う。だが、近づいて違うと悟る。


 そこには顎を砕かれてまともに動けなくなっていたスピネルがいた。


 どうやらオブシディアンに殴られたときには、魔力も限界を迎え、体力もなくなっていたらしい。這って外に出ようとしたはいいが、ウルツァイトのつくった穴から出ればダイヤモンドやオブシディアン、ルビーに見つかると考えたのか、階段のほうに廻っていこうとしたようだ。


 それも力尽きたのか、うつ伏せになって気絶しているようである。


 いったんは無視しようとしたが、ダイヤモンドは、ウルツァイトのせいか、その前から魔法使いが原因でそうだったのか、立体駐車場がぐらぐらと音をたてて揺れ、今にも崩れそうになっていることに気づいていた。


 ダイヤモンドは苦虫を噛み潰したような声で唸り声をあげた。


「ああ~……クソ、こういうのって苦手だ。トロッコ問題みたいで嫌いだ。こっちの倫理観を試すようなさ。こういうのは、プリントの上でだけやって欲しいもんだ」


 ダイヤモンドは頭をがしがしと掻いた。


「頼むよ、リリー。アタシにあいつを見捨てるよう説得してくれよ」


 言いながらスピネルに近づく。


 ダイヤモンドの肩に乗って彼女を回復させながら、ホワイトリリーが言う。


「こいつには苦しめられた、けど……」


 ホワイトリリーの言わんとしていることがわかったダイヤモンドは、「だよな」と言い、スピネルの肩に手をのせた。


「おい、お前……」


 スピネルが振り返り、ダイヤモンドの体を射った。


「…………」


「ダイヤモンド」


 ホワイトリリーは戦慄する。


 スピネルが狂ったように笑う。


「アハハハハハハハ! わたくしを! 見下すから! アッハハハハハハ!」


「ゲボ」


 ダイヤモンドが胸に手を当て、血の塊を吐き出す。地面に膝をつき、倒れそうになるが、傍らの壁に手をつき、それを抑える。壁にも血がついている。


 スピネルは立ち上がり、踊り狂っている。


「ダイヤモンド?」


「…………」


 ダイヤモンドが黙って口から血を拭う。


 スピネルはハイになっているのか、ダイヤモンドが立ち上がったことに気づいていない。ダイヤモンドがスピネルの両肩を掴み、鼻柱に額を叩きつける。骨の折れる高い音がし、スピネルがか細い声を出して倒れる。


                ▽


 ルビーとオブシディアンの二人は、なんとかウルツァイトの攻撃を避けていた。オブシディアンは逃げるのに精いっぱいで、ルビーの攻撃は決め手に欠けていた。


 オブシディアンはルビーと相談し、ともかく胸に突き立てた杭をなんとか押そうと考えていた。


                ▽


「そういえばあいつ……キル・スイッチが稼働してないってきいたときも、大丈夫そうな感じ出してたよな」


 それを貫く矢を放てるから、そう言っていたのだろう。


「ごめん、私のせいだ。スピネルをここから出そうって言ったせいだ」


 ダイヤモンドが爪で抉れた柱に手をかけ、言葉を返す。


「良いって。リリーが言ってなきゃ、アタシが言ってたし」


 先ほど二階から投げ落としたスピネルを思い出す。


「はあ……マジ凹むわ……」


 屋上の方からひときわ大きい音がした。


「ダイヤモンド、まだ戦えそう?」


「いけるし、いくしかない……って、ヤダな。オブシディアンみたいなこと言っちまった」

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