獅子、身中に虫を飼う 1
そのオブシディアンは数時間前、ラブラドライトの区域の片隅にある森のなかで、目を覚ました。かなりの時間を眠っていたらしい。時計を見ると、昼を回っている。
石に寄り掛かって寝ていたため、体が硬くなっていた。髪もきしきししているし、気に入っているゴシック・ロリータ服にも枯れ葉が纏わりついている。
オブシディアンは魔法少女に変身した。
眠る前には欠けていた右腕を動かし、ぐっぱぐっぱと手を開いたり閉じたりして、体の試運転をする。
問題はないらしい。存外、いい睡眠をとれたのか、気分も悪くない。
「結局、ウルツァイトには見つからなかったか……」
まあ、あの抜けた感じを見ると、暗い森で人を探すなどできないと思っていたが。オブシディアンは立ち上がり、辺りを見渡した。人一人いない。かなり深い森のようだ。郊外とはいえ都会にこんなところがあるとはオブシディアンも知らなかった。
――考えることがたくさんある。ホーリー・ウルツァイト、ホーリー・スピネル。ホーリーシリーズ。それに――それに、ラブラドライト。
でも、その前に。
「おなかが減ったな……」
ぐぅぅ、とオブシディアンの腹の虫が鳴る。
▽
オブシディアンは木を上まで登って街の場所を見当づけた。森の出口である。森林公園の開けた地点まで来ると、誰かに見つかる前に変身を解いた。
オブシディアンは、そのまま公園の外に出て、目の前にあったラーメン屋に入った。ゴシック・ロリータが奇異なのか、はたまた恰好がぐちゃぐちゃだったから、その両方か、店中から目線を集めたが、気にせずカウンターに座り、味噌ラーメンと餃子を頼む。
「はい、おまち」
運ばれてきた味噌ラーメンを、オブシディアンは飲むようにして食べた。麺をすすり、れんげでスープをすくってミニラーメンを作り、紅ショウガを載せ、後からやってきた餃子をあいだに挟みつつ、ラーメンを堪能した。
その後は、しばらくなにも考える気になれず、水をちまちまと飲みながらぼうっとテレビを眺めていた。
テレビでは巷で人気の魔法少女を特集していた。マニッシュでファッションセンスのよいキュア・ウォーターメロンというのが人気らしい。街では魔法少女のコスチュームを真似た、魔法少女コーデなるものも流行っているそうだ。
オブシディアンは平和だなと思った。ウルツァイトや、スピネル、“魔法使い”のことが、頭の中で遠くの方に生きそうになっているのを感じた。
それは嘘もあり、単に勘違いでもあり、願望でもある。
上手くやったと思った。アンホーリー・トライフェルトを倒し、魔法少女をやめるところまで行ったはずだ。だがどうだろう、今の状況は。
オブシディアンは、手の甲の端に土のあとを見つけ、おしぼりでそれを拭きとった。現実逃避しかけていたオブシディアンを引き戻したのは、おしぼりのざらついた感覚と、テレビから続けて流れてきた、Aの惨状だった。
『――昨日未明起こった“魔法使い”の襲撃による死者は87名にのぼるとみられ、現在も遺体の検分が行われている最中です。行方不明者などの相談は、以下のばんごうに――』
オブシディアンの喉がひゅっ、と鳴った。
燃え上がる炎、リポーターのいる場所から、遠目でもわかる倒れた人体。客が「不味くなるから変えろ」と言った。店員がテレビリモコンを向け、テレビのチャンネルを変えるが、ニュース番組はどこもこれを取り上げているらしい。
店員がチャンネルを教育チャンネルに合わせようとしたところで、オブシディアンは店員の腕を掴み、見せてと言った。
目を離すことが出来なかった。
――わたしのせいだ……。
オブシディアンは思った。
――わたしが逃げずに、戦うことを選んでいれば……。いや、あの時わたしは、修道服のほうが追ってこなかったのはおかしいと思っていたんだ。それをもっと重要に考えていれば……。
「おい姉ちゃん、もしかして、魔法少女かい」
客の一人が言う。
オブシディアンは黙って会計してもらい、店を出て行った。
「いったいなにをやってるんだわたしは……。辞めたってこれじゃ仕方ないじゃないか……」
――それは違う。
言いながらオブシディアンは、自分でそれは違うと考えた。
結局のところ自分は、まだ魔法少女をやめられていないのだ。
オブシディアンは近所のネットカフェに入った。200円を払ってシャワーを浴びると、ネットを開き、情報の収集をする。
☆魔法少女の法責任とは? 現役弁護士にインタビュー
☆この夏、いちばん映えるあなたのために……魔法少女コーデのすべて
☆“魔法使い”によって87名が死亡。生存者なし
数あるネット記事から、今回の事件に関係のあるものを探す。
オブシディアンはあるブログ記事をクリックした。過激な記事だった。魔法少女はいったいなにをやっていたのかとライターは怒りの声を上げ、モザイクなしで死体の写真をあげていた。
オブシディアンはゴミ箱にむけて嘔吐した。えずき、咳をし、深呼吸をする。
意味がない、意味がないと考えているのに、コメント欄を見てしまう。
そこには、憎悪の声が大量に寄せられていた。中には冷静なコメントもあるが、信者かと返され黙らされてしまうだけだ。そのほとんどが、魔法少女を役立たずだと断していた。
――落ち着け、落ち着け……冷静に考えろ。重要なのはそんな情報じゃない。重要なのは、ラブラドライトや、ウルツァイトのことだ。ウルツァイトにスピネル、この二人の情報はなかった。キュア・シリーズにもこの二つの宝石をモチーフにした魔法少女はいないらしい。ホーリーシリーズについてもなにもわからなかった。ラブラドライトは……ラブラドライトは、会見を開いてる。どの口が言ってるんだ、この女。だいたい前から胡散臭いとは思っていたが、あんなやつらとも繋がりがあるとは……。
ウルツァイトにスピネル、ラブラドライトは繋がっている。オブシディアンの頭の中で、勢力図が描かれていた。どういうことかはわからないが、この件に関しては情報規制もしかれているらしい。あの時間帯、あの付近で撮られた写真をSNSに載せると、すぐに消されてしまうと誰かが話していた。あそこから抜け出したのは自分と、ウルツァイトの二人だが、ここでは“魔法使い”二匹と言うことになっている。
ラブラドライトは、そういうことができるぐらいには権力があるということだ。それにホーリー・シリーズ。あの二人もどこからか派遣されて来ているはずで、ラブラドライトはそれとも繋がっている。
かたやこちらは自分一人。
「リリーにラブラドライトは危険だと知らせるべきか……?」
オブシディアンは自分で提案して、自分ですぐ却下する。今のところ、自分が狙われただけなのだ。その必要はないだろう……。
――これからの身の振り方を考えなくちゃいけない。家に帰るべきだろうか。このまま生活できるならそれもいいが、それは難しい。さりとて、自分から動くには、まだ情報が足りていない。ラブラドライトのタワーに乗り込むのが一番手っ取り早いが、自分一人じゃ攻略は不可能だ。トライフェルトのときのように一対一であれば、まだ勝機もあるかもしれないが、自分は最低でも三人を相手にしなければならないのだ。正面からはムリ。
「誘い出すか……?」
変身してそのあたりを歩いていれば、またすぐこちらへ来るかもしれない。しかし、オブシディアンは想像してみて、異様な不快感に襲われる。それはダメだ。またあの惨劇が繰り返されるだけだ。
オブシディアンは手詰まりを感じていた。もやもやとしたものを頭の中に抱え、取り払うためにメロンソーダを飲みに個室の外へ出た。
――彼女が自販機からメロンソーダを受け取ろうとした、その時。
「どいてどいてどいてどいて!」
解放された喫煙所の窓から大きな声がしたかと思うと、ネットカフェ目掛け、魔法少女が突っ込んできた。
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