魔法少女の逃走

――そんなことまで知っているのか。

 

 オブシディアンは二人に背を向け、逃げ出した。どこからともなく表れた黒曜石が彼女の背中をそっと押し、踵から足元に入り込み、オブシディアンは空中を飛んだ。


 魔法少女は自分のコア・ストーンとおなじ鉱石を操ることができる。その鉱石は、“心象世界”のなかにある。精神エネルギーを変換したものだ。外に出た鉱石はその魔法少女の手足のようなものであり、操作は自由。しかし――。

「アーカイブにあった通り。器用なやつね」


 修道服のホーリー・スピネルが目を細め、呟く。


「地力が低いとああいうのも上手くできないと生きていけないのかしら」


 手足が多いということは、それを操作するには多くの集中力を要するということなのだ。両手で同時に違う作業をすることを想像してみれば、その困難さがわかるだろう。


 ウルツァイトが跳んで追おうとするのを、スピネルが肩を掴んで止める。

 スピネルが囁く。


「行くのはいいわ。行ってヨシ。でもねウルツァイト、次からは絶対にオブシディアンを直接殴ってはダメよ(・・・・・・・・・)? 腕をまたもがれたくなかったらね」


「どういうこと?」


「あれはね、あいつの魔法なの。自分の欠けた部分を相手にも適用する……そういう魔法。だからあなたが不意打ちに失敗した以上、もう殴っちゃダメ」


「じゃ、どうすればいい?」


「投げなさい(・・・・・)。あなたが背中にしょってるそれを。それか組み伏せるのがいいわね。今度は殺してもいいわよ(・・・・・・・・・・・)」


「わかった! 行ってくる!」


 ウルツァイトが凄惨な笑みを浮かべた。七つの黒目が狂喜乱舞している。

 ウルツァイトがぴょんぴょんと崖を昇るヤギのように俊敏に建物の壁を昇ると、屋根伝いにオブシディアンを追い始めた。


「にげろ。うさぎ。にげろ~」


 スピネルはそう口ずさんだ。

 そして、逃げ遅れた人々へ向き直った。


「ごめんあそばせ? 騒ぎになってしまって。でも大丈夫ですのことよ? わたくし、魔法少女ですから。えーえ。キュア・スピネルと申しますの」


 ホーリー・スピネルが笑う。その表情は、先ほどまでオブシディアン相手に見せていた、心底から相手を見下した笑いではない。

 見るものを安心させるような、柔らかな笑顔だった。

 手さえ振って見せる。しかし、誰も近寄らない。

 それを見てスピネルは萎えた表情になり、“魔法”を使う。


「って、そんなんじゃ騙されないか。じゃーね」


 ホーリー・スピネルの姿が掻き消える。

 逃げ遅れた人々が、自分の隠れていた場所から出てきた。


「お、おい……。助かったのか……?」


「いったい今のはなんだったんだ? オブシディアンとなんで戦っていたんだ?」


「子供が泣いてるわ。誰か、この子のお母さんを知らない?」


 彼らは逃げ出さない。もう安全だと思い込んでいる。逃げ出すべきなのに。我先に逃げ出すような危機感を持っていない。


 スピネルはまだそこにいるのだ。固有の能力によって、姿を消しているにすぎないのである。


 嗜虐的な笑みを浮かべたスピネルが腰をくねくねと動かす。

 すると、修道服の裾が四角く膨らむ。一歩下がる。

 持ち上げると、それは大きな虫篭だ。


「うふふ……アンバーが作ったかわいい子……おなかが空いてキイキイ鳴いてる……」


 中に入っているのは赤い色の、ゴキブリのような見た目をした昆虫だった。

 彼らは携帯を見たり、誰かに話しかけたりしているだけだ。魔法少女がらみの災害が起こった後、人々は協力して状況の鎮静を図るよう、推奨されている。けがをした人を助け起こし、互いに情報交換をする。ウルツァイトが空けた穴を覗き込むたわけものもいる。スピネルはそのなかに、赤い服の女の子を見つけ、近寄った。女の子は気付いていない。

 スピネルは女の子が話しかけてきたと想定して、妄想している。


 子供がスピネルに言う。


「あなたは悪い人じゃないの? オブシディアンとどうして喧嘩していたの?」


 スピネルが子供に言う。


「それはね……知っちゃいけないことを知っちゃったからよ」


「知っちゃいけないこと?」


「そう。知っちゃいけないこと。あなたたちも、そう」


 スピネルが虫篭の蓋を開けると、中から何十匹という“魔法使い”が飛び出してくる。


 あちこちで悲鳴があがる。今度は正真正銘、本物のだ。スピネルと会話していた少女もまた、“魔法使い”齧りつかれ、叫び声をあげている。


――脳が……! 脳が……! じーんって、するわ……!


 スピネルは恍惚に顔を染め、惨状のなかを遊歩する。

 

 オブシディアンはそれを知らなかった。知っていれば、引き返して彼らを救おうとしたかもしれない。ホーリー・スピネルはそれも狙っていたのかもしれない。今のオブシディアンに、振り返っている余裕はなかった。どういうわけかラブラドライトとその仲間たちが動かないと言うのなら、彼女には逃げる以外の選択肢はないのだ。


 オブシディアンは自分の右腕を持ったまま、体側の断面から黒曜石の腕を生やした。


「おいつくぞーおいつくぞー」


 背後からウルツァイトの声がきこえる。障害物のない空中を飛んでいるというのに、もう追いつかれている。


 ウルツァイト。彼女のほうはいちいち屋根に着地し、飛び跳ね、その都度天井を破壊したり、すっころんだりしているというのに、一向に速度が落ちない。それどころか加速さえしているようだ。

――ということは、むこうがあんなバカじゃなかったら、とっくに追いつかれてるってことだ。

 オブシディアンは考える。

――高度をあげれば、ついてこれないかな……? いや、わたしは曲がるときに一瞬だけ減速する。それは高度をあげるときも同じ。集中がきかない。減速すればその瞬間に距離を詰められる。攻撃される。そしたらまた、アーマメントを使う……?


 オブシディアン・リアクティブ・アーマメント。オブシディアンの特殊技能。オブシディアンは名前の通り体が頑丈なほうではない。魔法少女の体の頑丈さは、ほとんどのばあいコア・ストーンの鉱石によって決まる。オブシディアン、ガラス並みの硬さしかない黒曜石の魔法少女である彼女の場合、体の頑丈さはダイヤモンドの二分の一程度だ。アーマメントはそれを補う技能であり、自分の肉体を黒曜石と近似にし、欠けた場合、その欠けを相手の肉体に反映するという魔法である。これを使えば、どんなに相手に耐久力があっても、相手を傷つけることができる。


 一見便利な能力だが、デメリットも多い。一つは、自分の体を欠けさせなければならないこと。発動条件なのだから当然だが、わかりやすいデメリットだ。特に今回のようにスピネルとウルツァイト、二人を相手にしていたときは、危険である。

 二つ目は体が脆くなること。ただでさえ脆い肉体を、さらに黒曜石へ近づけることになる。コア・ストーンが割られなければ死なないとはいえ、痛みやショックはあるし、ばらばらになってしまえば抵抗できない。

 最後の一つは、これも発動条件だが、相手が接触、ないしそれに近い状況でなければ、アーマメントは発動しないということだ。

 とどのつまり。

――遠距離攻撃は最悪……。

――やはり隙は見せられない!


 ウルツァイトになにができるかはまだわからないのだ。

 このまま追いつかれるか、上空へ逃げようとしてやられるか、そんな二択を選ぶ気はオブシディアンにはなかった。


「そうなれば迎え撃つしかない……」


 オブシディアンは必死になって地上の安全な場所を探す。なるべく人がおらず、なるべく開けていない場所。自分の区域ならともかく、今いるのはまだラブラドライトの区域だ。地理に明るくない。

 

――あれは。


 オブシディアンは東に何百mかいったところに、森があるのを見つけた。あたりはもう暗くなりはじめてる。あそこに逃げ込めれば――。そう思った瞬間、再び自分になにかが近づいてきていることにきづく。首を避けてよけると、前方に棘のついた丸い金属をつけた棒が、明後日の方向へ飛んでいくのが見えた。

 建物の中へ落ち、見えなくなる。


「避けるな! 黒いの!」


 ウルツァイトが文句を言う。


 オブシディアンはこれを逃さなかった。一瞬だけ減速して、方向転換する。ウルツァイトが跳びかかるが、間に合わない。


 ウルツァイトがモーニングスターを投げてくれたことで、ほんの少しだけ距離が稼げていた。森へ入ったオブシディアンが、黒曜石とともにふわりと着地する。

 彼女はびっしょりと汗をかいている。長時間集中していたせいで息を切らしている。


 早くここから逃げないと……。

 オブシディアンは森の中を走る。

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