魔法少女のお仕事 延長戦

「オブシディアンさん、ですよね?」


 話しかけて来た少女は、修道服を着ている。


 彼女は眼に十字架の文様が浮かんでおり、とろけそうな笑みを浮かべている。


 少女はオブシディアンから距離6mのところに佇んでいる。


 オブシディアンは、彼女が魔法少女であることを瞬時に察知したが、それ以上のことはわからない。コスチュームは修道服だが、金色の糸でいたるところに刺繍が為されており、見る角度が変わると、黒よりも金のほうが目立つ色をしているように見えた。貞淑さに性的なものを見出したかのような心底下品な色合いだ。

 魔法少女のコスチュームは、中にはきわどいものもあるが、ここまで露悪的なコスチュームは見たことがない。

 こんな魔法少女がいれば、名前ぐらいは聞いてもおかしくはない。


――いや、それより。


 それよりも問題は、彼女はさっき、オブシディアンの名前を呼んだということだ。


 今のオブシディアンは、変身していないし、オブシディアンは変身前の姿を、ホワイトリリー以外の誰にも明かしていない。メンバーのダイヤモンドとルビー相手ですらそれなのだ。こんなどこの誰とも知らない相手が知っているはずがない。


 だが、呼んだ。

 それはつまり、そういうことなのだ。


 オブシディアンはすぐさま変身した。後ろで一つに纏められていた髪が、黒曜石の色味を帯び、顔も作り変えられる。服装は白のフリルのついたシャツに、膝丈スカート、ソックス。最後に胸、腕、足首に装身具がつけられれば、変身が完了する。


「誰?」


 オブシディアンに気づいた周囲の人たちが、立ち止まって彼女を指さす。「あれ、キュア・オブシディアン?」「うっそレアキャラじゃん。話しかけようぜ」「もう一人は誰だろ」

 シスターがくねくねと体を曲げて、甘えるように言った。


「ああん。そんな風に見ないでくださいまし。あたくし病弱ですのよ? そんな熱情のこもった視線に晒されては……いまにも倒れてしまいそう」


「ニンフォか?」


 シスターがぱっと手を叩く。

「そんな下品な言葉を使うものではありませんのことよ?」


「あたくし、ホーリー・スピネルと申しますの。アナタとは違う、ホーリーシリーズの魔法少女ですわ」


「ホーリー……?」


「そうです。それで、そっちのほうは」


 ホーリー・スピネルが体をそっと後退させる。オブシディアンは気付く。後ろからなにものかが襲い掛かってきている!


 その魔法少女は、凶悪な顔で襲い掛かってきている。


 魔法少女がオブシディアンの体に拳をぶつけ、渾身の力で地面に叩きつけた。魔法少女の腕力では歩道の石はひとたまりもなく、下の地面ごと圧力に吹き飛ばされ、爆弾と間違うような音が響き、盛大にがれきをまき散らした。人間であればひとたまりもない。魔法少女さえまともに喰らえば無事には済まない。そんな一撃。


――そっちのほうは。


「そっちは、ホーリー・ウルツァイトと言いますの」


 舞いあがった土埃から守るためか口元を手のひらで覆いながら、スピネルが言った。


 突然の惨事に、周囲で悲鳴があがった。デート帰りのカップルや、サラリーマン、学生が散りじりになって逃げ惑う。なかには状況をわかっておらず、ただ大きな音がしたから逃げたものもいる。

 

 やがてがれきが落ちきり、雷鳴のような響きがやむと、あたりは静かになる。遠くの方で、騒ぎを聞きつけた人々の声がし、近くからは逃げ遅れた人々が、ただ固唾をのんで、彼らの様子を窺っている。


「うぉぉぉぉぉっ! ボクの腕がぁぁぁ!」


 そんな叫びとともにがれきの中から先に立ち上がったのは、襲い掛かった魔法少女だ。

 だが、無事ではない。右腕がとれてしまっている。これに動揺し、ごうごうと泣き叫んでいる。

 一滴の涙も流していない。

 一方で、オブシディアンもまた、生きている。地面に倒れてはいるが、いつも披露している仏頂面に、脂汗を浮かべ、自分の前にたつ魔法少女を睨みつけている。

 彼女の右腕もまた、体から離れている。しかし、こちらは少し様子が違った。ウルツァイトがただその腕を千切られたように騒いでいるのにたいし、オブシディアンの右腕は彫像が割れただけのように見える。オブシディアン自身も落ち着いている。


 スピネルは目を細め、舌打ちをした。


――抜け目ないわね……。


 オブシディアンはまだ騒いでいるウルツァイトを道の反対側まで蹴り飛ばした。オブシディアンは力の強い方ではないが、それぐらいのことはできる。右腕を左手でつかみ、ふらつきながらも立ち上がった。


「お前ら……バカか……ここはラブラドライトの地区だぞ……。プライドの高いあの女が自分の街で魔法少女が暴れるのを見逃すと思うか……」


「残念だわあ。ベテラン魔法少女からでるのがまさか他人頼りの脅し文句だなんて。もともと少ないオブシディアンファンがいなくなっちゃうんじゃな~い?」


 スピネルが言う。

 スピネルが表情に嘲りを宿す。


「あんたの言うラブラドライトも、他の十一人の魔法少女も来ないわよ。来るならもう音ぐらいしてると思わない? どう? どっからかするかしら。あなたを助けにくる音が」


 スピネルの言う通りだった。どこからも自分以外の魔法少女が来る気配はない。

 他の区域からもだ。ただし、こちらは元々、原則的に助けを求められるまでは向かわないという不文律があるからでもあるが。


「痛いー痛いー痛いー」


 ウルツァイトがまたがれきから立ち上がる。オブシディアンも、逃げ遅れた人々も、その姿をみてギョッとする。


 ウルツァイトは、背が低く、髪は緑がかった銀色だった。ダイヤモンドに少し似ている色だ。女道化師のような珍奇なボーダーの入った踊り子のドレスを身にまとい、背中にモーニングスターを担いでいる。

 だが最も目を引くのは、その瞳だ。彼女の瞳には黒目がいくつもある。なないろ、ななしょく、ななつの黒目。それが忙しなく動いているのだ。


「気色わる……」


「あーっ言ったなっ! 言ってはならないことを!」


「気色悪いものは気色悪いんだよ……」


「あらあら可哀そうに」


 スピネルがウルツァイトに近寄った。


「あのお姉ちゃんに虐められたのね? でも嫌っちゃだめよ? あのお姉ちゃんはね、可哀そうな子なの。憐れむべきなのよ。変人、無愛想、無神経、そのくせ人一倍傷つきやすい。自罰的、頑固、もうどうしようもないのよ」


 スピネルがウルツァイトの腕を繋ぎ合わせ、すりすりと掌でこする。すると、腕がもう繋がっている。


「あなた、逃げないのね。右腕外れてるのに。巻き込みたくないとでも言うつもり?」


 スピネルが言う。


「そんな余裕あるのかしら。だってあなた。スライサーを持っていないんでしょう?」


 オブシディアンが目を見開く。


「そんなことまで知ってるのか」

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