第8話 王都編

 オベリー王国の中心、王都グランドベリーの裏路地を銀髪の乙女が駆けていた。


 普段食べられない高級肉の入った包みを大切に抱えて、一刻も早く家に帰ろうと息を弾ませている。


「こんな薄暗いところに居ちゃ、危ないぜ?」


 裏口から顔を出した目つきの悪い男が、彼女に声をかけた。

 彼の顔には青痣があり、血を流す巨漢を引きずっている。

 巨漢はピクリとも動かないが、息はしているようだった。


 チンピラと乙女、出会ってはいけない二人に見えるが、彼女は顔を綻ばせて彼の元へ駆け寄った。


「ルドベキアさん、こんにちは。良いお肉をいただいたから、早くお家に帰りたくって。お兄ちゃんもお休みなので」


「兄貴がいるのか。久しいな」


 ルドベキアは掴んでいた巨漢を路地裏に放り出すと、血のついた手をズボンで拭って、彼女の美しい銀髪の上にポンと置いた。

 さらさらの銀髪を優しく撫でる。


「だが、危険だから通るなって何度も言ったろ、カラー。美人なんだからよ、襲われちまうぜ」


「あなたが守ってくれるでしょう?」


 カラーの目は髪に隠れて見えないが、悪戯っぽく笑っているのがわかった。

 注意していたはずのルドベキアは彼女の言葉に耳を真っ赤にする。


 ルドベキアは王都グランドベリーの下町を纏める若頭である。


 オベリー王国の中心であるこの都市は、良い悪い含めて多くの人間が集まる。

 ここ下町は、その中でも悪い人間が集まりやすい場所である。


 二人の足元で寝転がっている血を流した巨漢も、田舎から出てきたばかりで力任せに暴れていたのを、ルドベキアが締めたのだ。


 犬歯をにっと出してルドベキアは言う。


「任せとけ。俺たちは誰にも負けやしない」


「信じています。ですが、怪我はあまり感心できません」


 カラーの冷たい手が青痣になったルドベキアの頬に触れる。

 優しく撫でると、あっという間に青痣は消え、日焼けしたいつもの肌に戻っていた。


「サンキュー。ほら、兄貴が待ってるんだろ。さっさと行きな」


 銀髪をさらりと下げて、走り出す。

 その後ろ姿を眺めながら、ルドベキアは気絶から目覚めて起き上がろうとする巨漢に蹴りを食らわせた。





 裏路地を抜けて大通りに出る。

 視界がひらけ、カラーは太陽の光に目を細めた。


 輝く太陽の下、大通りの奥には砂時計型のお城が見える。

 通常のお城の上に、さらにお城を逆さに付け加えたかのような外見は、七本の柱で支えられているにしても、嵐がくれば倒れてしまいそうな不安定さを感じさせる。


 歪で、何度も改築を重ねたせいで統一感がない。

 だが百年以上栄えた偉大な城である。


 カラーの兄はあの城で働いている。

 父親のあとを継いで住み込みで働いているため、年に数回しか会えないが、今日は待ちわびた兄が帰ってくる日なのだ。


 家に着くのは夕方頃だと言っていた。兄のために夕飯を作り、夜が明けるまで語らい合う。

 真面目なカラーが夜更かしする、年に数回しかない機会。

 楽しみにしていた大切な日である。


 カラーの働く肉屋さんの店長に話したら、大盤振る舞いで高級肉のファットンをくれた。

 兄の大好物であることを、覚えててくれたのだ。


 この街の人は好きだ。


 気の荒い人が多いけれど、本当は繊細で優しい人ばかり。

 このは。


「店にいないから、探したぞ。カラー嬢」


 背骨に響くような低い声がした。

 軍人にしては、背の高い割に筋肉の薄い、ひょろながい男がカラーの腕を掴んだ。

 大通りから裏路地に引き込まれる。


「ダチュラー、様」


 恐怖が体を縛りつけたせいで、絞り出した声はかすれていた。

 掴まれている腕から嫌悪感が這い上がってくるが、振り解くのをかろうじて我慢する。


 ダチュラーは城で働く兄の同僚だ。

 城で何をしているのか知らないが、邪険に扱えば兄に迷惑がかかる。


「あんな汚い店でよく働いていられるな。感心する。私なら、兄のように君の能力を十全に扱えるだろうが、どうだね?」


「遠慮します。それに、汚くはありません」


 カラーは髪の隙間から睨んだ。

 男は睨まれているのを知ってか知らずか、冷たい目で見下ろしている。


「神は君に印と美貌を与えたが、賢さは与えなかったようだ」


 歪んでいる。

 彼女の目にはダチュラーが混沌とした空気を纏っているのが映っていた。

 聖魔法を極めた人間特有の、吐き気のする圧がある。


 自然と体が後ろに下がったが、腕を掴まれているせいで離れられない。


「ご用件は、以上ですか」


「いや、伝言を伝えにきた。君の兄は、残念ながら仕事が忙しく会えないそうだ」


「……そう、です、か」


 ダチュラーが急に腕を離したせいで、カラーはよろめいて倒れた。

 大切に抱えていた包みが、体重で潰れてしまう。


 兄のために店長からもらった好物だが、兄がこないなら潰れても仕方がない。味は変わらない。私がひとりで食べるのだから。

 そう自分に言い聞かせる。


「おや、失敬。そのような安物の肉ではなく、これでさらに良いものを食べたまえ。君は細すぎる」


 地面に、硬貨を数枚置かれた。

 カラーはそれを拾いたくなかった。

 ダチュラーにとっては端金で、カラーにとっては大金だとしても。


「結構です。……失礼します。ダチュラー様」


「最後に一つ、いいかね」


 この場から一刻も早く立ち去りたかったカラーは、背を向けたまま続きを待った。


「君の父から何か預かっていないかね」


「……いいえ」


「……そうか。行きたまえ」


 今度こそ走り出そうとした瞬間、遠くで爆発音が響いた。

 人々の悲鳴と叫び声が響き、ガラガラと崩れる音がする。

 二人は揃って大通りへ向かった。


 そこにあったのは、街を破壊しながら浮き上がる四角い機械だった。





クリア・シンボル:ノート5『ファットン』


 (庶民にとっては)高級肉。

 脂肪豚ファットトンの名の通り、普通の豚より脂の乗った豚である。

 甘い味わいは庶民のお祝い事で引っ張りだこ。

 子供はみんな大好き。

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