第17話  不老不死探偵の助手 其の四

 胡麻塩をまぶした握り飯と、沢庵、葱の味噌汁を盆に載せて、茶の間に這入った。

 そこでは母親が赤ん坊に乳を遣っていた。


「うわ、失礼しました!」


 オレは慌てて襖を閉めた。


「大丈夫ですよ、おかまいなく」


 中から母親の声が聞こえてきた。


「そ、そうですか・・・」


 ならばと、静かに茶の間に這入った。

 赤ん坊は大人しく、一所懸命乳を吸っていた。

 オレはちょっと気恥ずかしくなって、伏し目がちに握り飯の載った盆を、卓の上に置いた。


「勝手に厨を使わせてもらいました」

「ありがとう、助かったわ」母親はニコリと笑った。「あらまあ、とっても美味しそうね」

「あ、あの、厠もお借りします!」

「え、廊下を左に、その奥よ!」

「はいっ!」


 オレは顔が赤くなるのを見られないように、急いで廊下に出た。

 ううう、なんだよぉ。いろいろ恥ずかしかったり嬉しかったり、ちくしょうぉ。


 気分が落ち着いた頃、茶の間に戻ると、赤ん坊は再びおんぶされ、母親は握り飯を頬張っていた。


「とっても美味しいわぁ。塩加減が絶妙ね」

「うへっ」


 うわ、変な声が出てしまった。


「どうかした?」

「あの、いや、なんか知らない人に褒められるのなんて、そうそうないもので・・・」

「あら、そう?」


 母親はそれ以上何もいわずに、ただ微笑んでくれた。


 オレたちはそのまましばらく談笑した。

 彼女の名前は下田恵子さん。旦那さんは孝雄さん。可愛い赤ん坊はあやめちゃんだそうだ。 

 役所勤めの孝雄さんは午後の五時ごろ帰宅するらしい。

 それまでここで待たせてもらうことにした。


 旦那の孝雄さんは大陸の戦争から帰ってきたばかりだということ。役所の給料だけでは生活が大変だということ、金華秘書のことは聞いたような気がする、などなど話を聞いた。

 やがて、あやめちゃんがうとうとし始めたので、恵子さんは隣の部屋に寝かしつけに行った。


 オレ独り茶の間に残され、手持ち無沙汰になり、昼飯の後片付けでもしようと、また勝手に厨を使わせてもらった。

 茶の間に戻っても恵子さんは現れないので、隣の部屋をそっと覗いてみれば、親子で寝入っている様子。

 オレは静かに離れ、更に勝手ながら、部屋や廊下、加えて厠の掃除、火鉢の灰取り、庭の草むしりなどをやってしまった。


 すげー満足感、達成感。自分の才能が怖いぜ。

 家事全般なんでも出来ちゃうの、本当に凄い。

 ん? いや、ちょっと待て。オレがこんなになってしまったのも、人使いの荒い師匠に、いいようにこき使われてるからじゃないのか?

 なんてこったけしからん。これはもう責任をと取って籍を入れてもらうしかないな。


 一通りやることをやって、一息ついて茶の間の座布団の上に座り込んだ。

 ふと窓の外を見ると、庭に咲いている菜の花に、白い蝶が舞っていた。

 あれ、オレ今すごい幸せな気分かもしれない。

 何故かはわからない。

 でも、そんな気がするのだった・・・。

 早春の暖かな午後。

 ちょっと疲れたなぁ。


「ただいま」

「お帰りなさい」

 ハッとして目を開ければ、部屋の中は既に暗くなり始めていた。

 オレは茶の間の畳に横になっていた。いつのまにか眠ってしまったらしい。

 恵子さんが気を利かせてくれたのか、体には布団が掛けられていた。

 物音と人の声で目が覚めたのだ。

 どうやら家の主が帰ってきたようだ。


「あなた、実はね・・・」

「恵子、急な話だけど、お客さんを連れてきてるんだ」

「え?」


 そんな会話が聞こえてきた。


「僕が支那の出兵から持ち帰った珍しい本のこと覚えてるかい? 実はあれを買い取りたいっていう奇特な方と出会ってね、今外に待たせてあるんだよ。着替えてくるから、上がっていてもらってくれないか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る