桃の精と桜の精

西川笑里

桃と桜を入れた入れたショートショートです

 3月が終わろうとしていた、ある村の春の日のお話です。

 その年はなかなか寒さが取れず、3月に入って急に暖かくなった年でした。

 

 さて、いつものように1年という長い眠りから覚めた桜の精が大きく背伸びをしています。

「あー、よく眠った。さて、今年もまた1週間だけ花を咲かせますかね」

 そう言いながら、桜の精が着物の袖を一振りすると、川土手に並んだ桜の木がポツポツと花を咲かせていきます。その様子を満足そうに見ていた桜の精は、薄いピンク色の桜の花びらに、やたらと色の濃いピンクの花びらがひとひら混ざっていることに気がつきました。

「やあ、あれは八重桜よりももっと濃い色をしているなあ。もう少し控え目な色に咲かなければ桜ではないなあ」

 桜の精はそんなことを呟きながら、もう一度袖を振るのですが、ひとひらだけ色の濃い花びらが薄くなる気配がありません。さて、どうしたものかと思案していると、「あなたはどなたです?」と声がします。

 桜の精がキョロキョロとあたりを見回すと、先程の濃い花びらを持った、それはそれは美しい神が語りかけていることに気がつきました。

「私は桜の精。其方はどこぞの御方でしょう」と問いかける。

「私は桃の精。初めてお目にかかります」

「おお、桃の精と言われるか。桃とは其方が手に持っている花びらであられるか。なぜにこれまでお会いしたことがないのか。しからば桜なら薄い色を好むが、こうやってみると桃という花の色もなんと美しい」

「ありがたきお言葉、嬉しゅうございます。しかし毎年私ども桃が咲くには、この季節は遅過ぎるのです。おそらくもう二度とお会いすることもないでしょう」

 そういうが早いか、桜の木に絡んでいた桃の花びらは、一陣の風に吹かれて川に落ち流されてしまったのでした。桃の精に一目惚れした桜の精は悲しみに暮れながら、ひとつの決意を固めました。


 さて翌年のこと、まだ3月の初めだというのに一輪だけ桜が咲いたと村で話題になりました。そしてその一輪の桜はたちまち散ってしまい、風に乗り桃の木に落ちて行きました。

 そして、村の川土手の桜は、もう二度と花が咲くことはなくなったということです。


 恋は盲目。


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桃の精と桜の精 西川笑里 @en-twin

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