第10話 日本一という夢想
始め、彼が何を言っているのか理解できなかった。
私が何か聞き間違えたのだろうと思った。だって、まさか彼がそんな突拍子もない、社会性の欠片もない提案をするようには思えない。
でも、唯ちゃんが珍しく苛立っているのを見てどうやら聞き間違えじゃないことがわかった。
まさか彼がこんなことを考えていたなんて思いもしなかった。
彼もまた私と同じように傷ついて、二度と味わいたくはない挫折をあの時味わったのだとばかり考えていた。
「ウルフ班に勝ちたい」
それは単なる挑戦の言葉ではない。少なくとも私たちにとっては。
トラウマとでもいうべきだろうか、直接言葉にしなくても全員が共有しているはずの禁忌だった。
ウルフ班というのは近隣の別の団、大田十八団のボーイ隊にある班で日本一との呼び声高い優秀な班だ。実際のところ規律が整っていて技術レベルも高い。
それを相手取って勝とうだなんて一般論としても夢物語だ。わかりやすく例えるんだったら弱小校が甲子園優勝を目指すのに似ている。漫画ならいいけど実際にやらされるほうはたまったものではない。
今までやってきた練習の何倍もきつい練習を急に毎日やらされるのだ。普通に体を壊すに決まっている。
それでも、優勝できるならまだいい。なんだか報われた気がするし、社会的な名誉だって得られる。もしかしたらプロにだってなれるかもしれない。
だが、負けてしまえば。
すべてを失ったのならどうだろう。
地を這い、辛酸を嘗め。挙句の果てに周りに「最初から無理だと思ってたんだよ」なんて言われれば。
きっとリベンジだなんて考えることはないだろう。二度と挑戦などせずに静かに朽ちてゆくだろう。
そういう風になるのが当たり前だ。それが普通だ。
だが、そういえば、彼は普通ではなかった。
彼がどういう思考回路でそのような結論を出したのかはわからないが、彼は考える前に行動するタイプではない。恐らく、確固たる信念と熟考の末に出された結論なのだろう。
みんなが、いや彼がこちらを向いているのが見えた。彼の結論について思案しすぎたのか、議論は私の結論を聞く段階に移っていた。
本当になけなしの勇気を振り絞る。今がその時だ。
いままで彼に自分の気持ちをぶつけられないくせにこういう時だけ勇気が出てきてしまうのだ。我ながら本当に嫌になる。どうしてこの体はこんなにも役割に忠実なのだろう。
それでも、何度か口が空振るのがわかったが、外見を気にしている場合じゃない。なんとしてでも、今これを言わなければ私は流されてしまう。
彼の顔を見てしまえば考えなんて簡単に変わってしまうという妙な確信が私の中にはあった。私のなけなしの乙女の部分はそれでいいのだと叫んでいた。でも、それ以上にずっと大きい声で、私の次長としての部分は責任を振りかざしていた。
彼があまりに無茶をしそうになった時止めるのは私の役目。それは皮肉にも一年前に彼がしてきたことを同じようにたどることを意味した。
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