第9話 覚醒

 船外活動をする日が訪れた。私は半ば眠り、半ば起きているような状態でアテナから指示されたアクティビティをこなしている。遠くのものを望遠鏡で覗いているような現実感のなさと何事も深く考えることができない、やりたいことを感じない状態は続いている。

 アテナの音声に従って乗降ハッチから船外に出ると、直ぐ脇にその巨大な銀色の女神のような彫像が立っていた。

「私の駆動体を実際にみると驚くでしょう。でももっと驚くものがこれから観られるわ!」

 

 鼓動が早くなっていることに気づく、いつもより目覚めている感覚が強い。

「モットオドロクモノ? ワカラナイ」


「私の掌に乗ってちょうだい。この世界をもっとよく見せてあげる!」


 その言葉と同時に、この星に関する情報が頭の中に流れ込む。

『赤色矮星イズムナティを廻る第三惑星パラス、

直径凡そ一万七千キロメートルの地球型岩石惑星スーパーアース、内部構造の違いから重力は地球の9割程度

公転周期と自転周期が一致しており、自転軸の傾きがほぼゼロの為、常に同じ面をイズムナティに向けている。

 常時昼の半球と夜の半球、そして境界線のトワイライトゾーンが存在する。

水が豊富に存在する為、大気と水の循環により同種の惑星と比較して、惑星表面の温度差は少ない。

 それでも昼半球の緯度0度地点の海は常に沸騰しているし、夜半球の緯度0度地点はマイナス130℃の凍結した世界となっている。

居住に適しているのは平均気温0℃~35℃のトワイライトゾーン、アルゴ植民船はこの地域の一方の極地に着陸した。便宜上こちらを北極点とし、居住施設をポーラーシティと命名した』


「イズムナティを望むこの世界の赤く染まった風景はいかが?」

アテナの掌で地上12メートルの高さまで持ち上げられた私の目に入ってきたものは、


 地球のものよりはるかに大きくそして毒々しいほどに赤いこの星の太陽。

そして周囲に放射状に広がる赤、朱、緋、紅、深紅、茜、臙脂、バーミリオン、ルビー、スカーレット、クリムソン、〝赤〟という範疇のあらゆる色に染められた様々な形の無数の鱗雲。ステンドグラスやシュールレアリズムの絵画を想起させる光景だった。

 僅かな高さの違いだが、遠くまで見晴らせる。地平線の奥に海がそして水平線が広がっている。

 紅色の彩雲の一切れが、濃い赤とピンクの混じったその色が先程から心に引っ掛かる。

〝どこかで見た色、とても印象的でそしてとても悲しい思いがする、思い出せない! この紅色をしたものの記憶がどうしても! もうそこまで出かかっているのに‼〟


 その瞬間、脳内のシナプスが繋がり発火した。思い出の色彩が鮮やかに甦る。

スリーパー採取で作成した意識の積層構造を成す薄膜の各層が猛烈なスピードで回転し、特別な記憶が開けた薄膜の小さな鍵穴の部分に合わせて止まる。表層から深層に向けてその穴に意識のクオリアが徐々に貫通していく。

〝もう少し、もう少しで思い出す‼〟

クオリアの鍵は、とうとう意識の再深層に到達した。ずれていた意識の積層構造が再び元の構造を取り戻した。

スリーパー採取にて取り込んだ後、長い旅の道程にて、ずれて認識できなくなっていた記憶、意識、感覚、全てが蘇える。


〝麻里亜!


 あれはあなたの唇に塗ってあげたルージュの色!

何で今まで忘れていたのだろう〟

心のフォーカスが急激に引き寄せられていく。

もう遠くから眺めていた淡い世界ではない。

私はこの世界に生きている。そしてこの紅色の世界で激しく感動している。そしてこの世界に対して意思を持っている。

「ユキさん、あなた泣いているの? あなたの思念波をはっきり感じるわ。あなたはとうとう覚醒したのね」

アテナの言葉に反応して、手を頬に充ててみた。熱い涙がとめどなく溢れている。

〝麻里亜、ありがとう。

あなたの思い出が私をこの世界に覚醒させてくれた。黄泉の眠りから覚ましてくれた〟

産まれたばかりの新生児のように、アテナの掌のうえで、涙を流し、嗚咽しながら泣き続けた。

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