第6話 深層人格走査

 暗闇ではない、かといって明るくもない。色彩も形も視覚に関する情報を一切感じない空間に浮遊している。体を覆っているものは粘性が極端に低い液体らしい。温かさも冷たさもなく、肌への抵抗を一切感じない。何も聞こえない、自らの呼吸音も鼓動さえも。全身が腰椎麻酔をした下半身のように動かすことができず、感覚もない。考えることと思いだすことだけが可能なようだ。


〝コギト・エルゴ・スム! デカルトがこれを受けたらさぞかし喜んだでしょうね。よくまあこれだけ全ての感覚を遮断できたものね〟

 音声でも文字でもない純粋な言葉そのものが頭に流れ込んでくる。

『ご気分はいかがですか。柊博士?』

〝悪くはないわ。自分を見つめなおすために俗世間から隠遁するのには最適な感じってとこかしら?〟と思索を返す。

『そんな冗談が出るようなら、十分リラックスされているようですね。

これからスリーパー情報採取の為のDPS、深層人格走査を行います。主観的な時間間隔では、産まれてからこれまでの人生を全てやり直すような長さに感じる方もおられるようですが、実際の所要時間は凡そ7時間、感覚除去と復帰が短時間で完了すれば、日帰りも可能な検査です』

〝生涯を経験しなおすのね、臨死体験とか走馬灯とか言われる理由がよく判る説明ね。何かおみやげはもらえるのかしら?〟

『一生の思い出をお持ち帰りいただけるかと。規則なので、これからDPSの仕組みと作成される人格・記憶モデルの概要を説明いたします』

〝面白いこと言うわね。あなた、人間のオペレーター?〟

『いいえ、私は簡易型ACです。柊博士たちが開発されている汎用ACよりずっと単純な存在です』

〝そうなの? これだからチューリングテストの更新が年々難しくなるわけだ〟


『あらかじめお断りいたしますが、DPSは完全な人格・記憶のコピーではありません。感覚遮断状態の意識に対して、超高速でその時代の生活や社会情勢から推測される単体または複合した感覚刺激を与え、反応パターン及び想起されるイメージを採取します。

刺激を与える順序は当初はいろいろな方法が考案されていましたが、古い記憶には連想して想起される関連記憶が多く、それが呼び水となってより多くのより深層の記憶が採取できることが判り、現在で誕生時の記憶から時間をたどっていくことが、刺激授与の標準的な方法となっています』

〝自然薯の根を地面からていねいに掘りすすめて、大物をGETするみたいなイメージね! 自然薯は細いところが折れちゃうけれど、明確に意識されていないような記憶も採取できるものなの?〟

『ここ数年でスキャニング技術は、物理的限界近くまで向上しました。シナプスが放出するごく微量な神経伝達物質まで測定できます。脳全体のニューロン構造解析結果と合わせて、意識される強度以下の記憶とイメージも十分に採取することが可能です』

〝採取した反応パターンと記憶イメージはどのように保存されるのかしら?〟

『DPSの結果はACに移植されることを想定した積層薄膜構造のオブジェクトとして保管されます。イメージとしては玉ねぎの葉が重なっている状態です。数十万枚存在するそれぞれの薄膜は玉ねぎと違って透明で僅かな染みのような不透明な領域、記憶部分を有します。中心部分の観照域から透過的に観察することで、各薄膜上の染みが合成された記憶イメージが採取できる仕組みとなっています。

 一部の薄膜の破損や、データ部分の消失は、全体を透過的に観察することで補完されます。人間の記憶の大脳全体での偏在性と同様の特性を実現しています。薄膜同士がずれることでデジタルデータでは難しかった記憶の可塑性、変化が起こる仕組みも備えています』

〝ACへの移植をターゲットにした保存方法と言うのがどうにもひっかかるわね……

スリーパー覚醒の際に、何も起こらなければよいのだけれど。

人間での検証は、クローン生成禁止法で封じられているし、動物実験では良好な成績を収めているらしいけれど、動物は抽象的な思考はしないからね……〟

『柊博士、時間です。ここまでの説明をご理解いただき、ご了承いただければ、DPSプロトコルを開始します』

〝OK、理解したわ。初めていただけるかしら〟

 母親の胎内で聞いた両親の声が聞こえ始める。長い長い五十年余りに渡る人生の振り返りが始まった。

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