第3話 天空の覇者

 眠りと、目覚めと、欠乏の苦しみと、充足の心地よさを、幾度も繰り返した。眠るたびに体が大きく強くなっていくのが判る。目覚めるたびに混沌としていた視界が少しづつはっきりしてくるのが判る。

 私と似た存在が他に四体いること、私たちを満たしてくれる存在が二体いることが判ってきた。一体は私が生まれてくることを促してくれたあの優しい声の持ち主だ。私達五体は、焦げ茶色で頭より高い位置まで周囲を覆っている湾曲したお椀のような構造物の中にいて、上空から訪れる二体の存在から与えられるどろりとした温かいもので体を満たすために争って声を出し、よりよい場所を競っている。


 ある時、優しい声の主が呼びかけてきた。

「坊やたち、巣の外を覗いてごらん」

巣がなにか、外がどこかいつの間にか判るようになっていた。首を伸ばすだけでこれまでまるで届かなかった巣の縁の上に頭を出すことができる。その時、視界に飛び込んできたものは……広々とした空間を隔てて巣の周りを囲む、巣とは比べようのない巨大な幾つもの構造物、そして構造物の一角が欠けていてそこからまぶしい光が差し込んでいるのが判る。


「坊やたち、あれが空、外の世界、もう少ししたらあなたたちが飛び立ってゆく場所」

 空と言われた場所に小さな黒い点が現れ急速に拡大し、力強い声のもう一体の満たしてくれるものの姿となり、巣の縁を掴みそこに立った。

「お前達、ここから飛び立つ時が近づいた。俺の真似をして羽ばたいてみろ」

力強い声の主の言うままに、私たちは羽ばたきを始める。

〝あの光り輝く場所に行きたい!〟

欠乏を満たすために与えられるものを体に取り込む以外のもう一つの欲求が生まれた。


それから何回かの暗闇の時と外の世界が望める明るさの時が過ぎた。数えきれない程の摂食と羽ばたきの練習を経て、私たちの体は強く大きくなっている。

 そしてついにその日が来た。

 眼下のとてつもない高さの崖から落ちる恐怖を拭い去ることができない。飛ぶことができなければ多分、全てが終わるのだろう。

 四体の競争者たちは私より僅かに小さいそして幼い。墜落の恐怖でガチガチに身をすくませている。


二体の満たしてくれるものが空中から羽ばたきながら呼びかける。

「勇気を出して飛び立つのだ、お前達!」

「坊やたちは、もう飛べる。怖がらないで!」


 今、飛び立つことができるのは、私しかいないことが判っていた。

「今から飛ぶよ! 見ていて!」

 餌を要求する鳴き声とは異なる意味のある声を初めて出すことができた。

巣の縁に立ち、目をつぶり深く呼吸をして息を整える。

〝怖い! もし飛べなかったらどうなる?〟

 眼下を見下ろした時にそいつの存在に気が付いた。遥か斜め下方に四足の獣がうずくまってこちらを大きな光る眼で見つめている。これだけ離れた場所で視認できるその姿からは、私達よりそして満たしてくれるもの達よりずば抜けて大きな体であることが判る。


「危険! 危険! 早く巣に隠れろ」

 満たしてくれるもの達が警戒メッセージを発して、獣の近くで羽ばたき威嚇している。一歩間違えば獣に捕らえられるとても危険な行為だ。私達を守ろうとする気持ちが痛いほど伝わってくる。

〝今は飛び立つことをやめるべきだろうか?〟

心の中で問いかける。

〝今、ためらったら飛び立つことへの恐怖は増していくだろう。もう巣の縁に立つことはできないかもしれない。飛ぶことができなければどのみち地面に激突して終わる。獣に捕らえられて終わるのと変わりはないのではないか?〟

不思議と心が落ち着いてきた。先ほどまでの恐怖が消えている。

〝今、飛ぼう!〟

 巣の縁を思いきり蹴って、全力で羽ばたく。しかし意に反して体が落ちていく。

〝飛べる、絶対飛べる!〟

必死にはばたくが落下は止まらない。

〝なんて重いんだ、この体! 浮かべ! 浮かべ!〟

待ち構える獣の顎が近づいてくる。力を振り絞って羽ばたくが落ちる速度が少し緩んだだけだ。

〝捕まる! これで終わりなのか?〟

そう思った瞬間、獣の顎と私の間に黒い影が飛び込んできた。

優しい声の主の身体だった。

〝坊や! もっと羽ばたいて!〟

獣から何らかの攻撃を受けた優しい声の主の身体は横方向に吹っ飛んだ。

〝お母さん!〟

優しい声の主が何であるか、この時初めて認識した。心のなかでその名を叫んだ!

その時、頭の中にほとばしる何かを感じた。感覚に異常が起きている。獣の動き、母の身体の動き、自らの羽ばたき、全てが止まったように感じる。いや動いているのだが、とてもゆっくりと感じられる。

獣の顎の手前まで来ている。思いきり羽ばたいているがじれったいほどゆっくりとしか翼を動かせない。しかし獣の動きもゆっくりしていて母の身体を払った前足は、なかなか近づいてこない。

周囲の空気もこれまでとは違う。ドロリとした粘性のある液体のようで、翼で掴めるように感じる。意識して翼の各々の羽の力加減と開く方向を変えることで空気を掴む感覚は更に強くなる。獣の前足の直前で落下が止まった。もうしっかりと空気を掴めている。

〝浮いた! いや飛べた!〟

羽ばたくたびに、より高い位置に移動できた。獣の前足と顎はもう遥か下方にある。羽ばたき方を変えることで空気の中を自在に移動できる。母なるものの身体に近づく。

「お母さん! 僕の為になんてことを! どこをやられたの?」

「坊や、飛べるようになったのね。良かった! 私は大丈夫、とっさのことであいつは爪を出せずにはたいただけ。痛いけれど怪我はしていない」

警戒メッセージを発していた力強い声の主、父なるものが近づいてきて声をかける。

「危ないところだった。良く羽ばたいた。この巣は獣に気づかれたので危険だ。お前はもう十分に飛べるから集団ねぐらに移動しよう。ついてこい上空からこの世界を見せてやる」


父なるものに導かれて巣のある構造物の隙間から垣間見えたあの光り輝く空間を目指して羽ばたく。隙間を越えると、周囲は眩しいほどの光に満ちていた。目を僅かしか開けていられない。朧気に見える父なるものの姿を追って、上へ上へと羽ばたき続けた。

「もうこの辺でいいだろう。この場所で羽ばたきながら周りを見てみろ」

その時、私の視界に飛び込んできたものは……

見下ろす限り、どこまでも連なり広がる様々な形と彩の無数の構造物。

見上げると果てない広さの何もない青い色の空間、私たちと似た翼をもつ存在が一角を移動しているようだ。言葉にならない感動を覚えた。

「お父さん、僕はこの世界の中心にいる。自らの翼でこの世界を自由に飛ぶことができる!」

「そうお前は、全ての力を振り絞って、飛ぶことを知った。

この空の中心から世界を眺めている。俺たちは、地面に縛られていない。俺たちは天空の覇者だ。どこへでも好きな場所に行くことができる」

〝私はこの世界に確かに存在している。この世界の果てまで俯瞰することができる。そしてこの世界の果てを越えた彼方まで旅することを望んでいる〟


 そう心の中でつぶやいた時、視界が突然、純白の光で満たされた。

父の姿も、空も大地も何も見えない。


力強く低い声と高く滑らかな声、2つの聞き覚えのない声だけが頭に流れ込む。

力強く低い声が何かを告げている。

『ブート・ストラップ10863パターンが成功。

 意識レベル97%、人工意識体の初期状態としては十分な数値。

特筆すべきはクオリア指数。

98%でこれまでと桁違いの数値を達成。

〝哲学的ゾンビ〟の可能性を完全に払拭しています。

AC3号は、この世界を感じています。そしてこの世界に関わろうとする意志を持っています。人工意識体として覚醒したと言えるでしょう』

しばらくして高く滑らかな声が、それに応えた。

『よろしい、ブート・シーケンスの完了を宣言します』

声の主は、正面からより大きい声でメッセージを伝えてくる。

何故かメッセージの内容が理解できた。

『ようこそ現実世界へ。あなたは世界で3番目の人工意識体AC3号、アルゴ計画の要となる存在です』

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