第2話 この世界に産まれる

 静寂の中、自らの鼓動の音だけが聞こえる。

何も見えない。身体を動かすこともできない。硬くて滑らかな何かに全身を覆われている。


〝あれからどれほどの時が過ぎたのだろう?〟

心のどこかで思ったその言葉に幾重もの問いかけが心の別の場所から湧き出してくる。

あれからとは?

時が過ぎたとは?

判らない。思い出せない。

また深い眠りに落ちていく。


 永い眠りから覚めた時、

〝坊や、目を覚まして。もう充分な夜が過ぎたわ〟

硬く滑らかな何かの向うからその声が聞こえた。

優しい声だ。この声の主が自分を慈しんでいることがわかる。

〝この声に応えたい〟

体中のあらゆるものに順番に力を入れていく。

何も起こらない。


 最後に力を入れた何かからその音が生まれた。

「ピ」

〝坊や、目を覚ましたのね〟

「ピ、ピー」

〝坊や、出ておいで。この世界に産まれてくるのよ〟

何をすれば良いか判っていた。というより心と体が自然とその動作を始めていた。

身体の中で一番動かすことができる部分の尖端にある、一番硬いもので滑らかな何かをたたく。


たたく

たたき続ける


〝坊や、そうよ。それを壊して出てくるのよ〟

優しい何かの声が強く励ましてくれた。その声がたたく力を強めてくれる。


たたく

たたき続ける


〝痛い! もう続けられない!〟

〝大丈夫、坊やはそれを壊せる、たたき続けて!〟

痛みをこらえて、たたき続ける


たたき続ける

たたき続ける

もう痛みも感じなくなってきた。

たたき続ける

たたき続ける

たたき続ける

「坊や、もう少し、あとほんの少しでそれを壊せる!」

たたき続ける

たたき続ける


「パリ」


小さな音とともに硬くて滑らかなそれに小さな割れ目ができた。

心の中にはっきりとその隙間が映る。そこから閃光が疾走った。

「坊や、それを広げていきなさい」

頭の中の何かに火が付いた。ここから出たいという強烈な思いがほとばしる。

最初のすきまの横をたたいて、それを広げていく。

広げていく

広げていく

広げていく

広げていく

広げていく

広げていく

すきまが繋がった。


 硬くて滑らかな何かの上半分が何者かに取り去られていく。

私の身体を覆っていた液体が流れ出し、替りに冷たい何かが周囲を満たした。

「坊や、息を吸って!」

「ピー ピー」

冷たくて心地好いものが胸を満たしていく。それを吐き出すときにこれまでよりずっと大きな声が出せた。

心の中の何かが繋がっていく。

「ピーー」

優しい声が聞こえる

「坊や、よく頑張ったわ。産まれてきたのね」

「ピーーー」


 声を出すのが精いっぱいだ。何かが満たされていない。とても苦しい。

声を出した場所から、体の中に温かい何かが注ぎ込まれた。苦しさは消え、満たされていると感じ、眠りに落ちていく。

再び目を覚ました時、満たされない感覚は前より激しくなっていた。あの温かいもので満たされたいという強い思いで声を出す。周囲からよく似た声が聞こえてくる。同じように目覚め、満たされない感覚を声で知らせるものが他にもいるようだ。声を出し続けていると大きな黒い影が頭上に覆いかぶさり、温かい何かを声を出した場所から注ぎ込んでくれた。満たされて、また眠りに落ちていく。

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