第47話 ささやかなトラブル

 少し考えた後、岬先生が何かを言おうとしたところで。


「おや? 岬さんではありませんか」


 聞き覚えのある声がする。声の方を見ると、学校ですれ違ったことのある金島先生が立っていた。俺たちの席は通路に面していたので、向こうから発見されてしまったようだ。

 金島先生は確か三十代半ばのはずだが、若々しくて二十代に見えなくもない。身長は百八十センチ近くあって、変な太り方もしておらず、すらっとした立ち姿が格好良い。

 俺は金島先生の授業を受けたことはないが、岬先生と東先輩が金島先生について話しているのを聞いたことがある。どうも岬先生にご執心だとか、考え方が少し古いとか。配信者はくだらないと思っているとかいう話も聞いた。


『うわ……。嫌なところで会ったな……。学校外では会いたくない奴……。学校内でも会いたくないのに……。はぁ……』


 要するに、いかなる状況であっても会いたくない相手らしい。金島先生、嫌われてるな……。


「ああ、お疲れさまです。金島先生」


 心中の溜息はおくびにも出さず、岬先生がにこやかに応える。


「お疲れさまです。いやしかし、ここは学校ではないんですから、先生などとは呼ばんでくださいよ」


 ハハハ、と爽やかな笑顔を見せる金島先生。この部分だけ見ると女性ウケが悪くなることはないと思うのだが。


『この笑い方嫌いなんだよね……。自信過剰が滲み出てるっていうか、自分を嫌う人間なんているわけないとか思いこんでるっていうか。他人の言うことに耳を貸さないタイプの笑い方よね……』


 岬先生は辛辣だ。岬先生が俺を好きだということがなくても、金島先生には可能性はなかったようだ。

 また、神坂さんと紗季からの印象も良くないようで。


『金島先生かぁ……。溌剌としすぎて圧倒されちゃうところあるなぁ……。押しつけがましい雰囲気、ちょっと卓磨に似てる雰囲気かも。一緒にいると疲れそう』


『自信に満ちた人って怖いな……。思い込んだ正しさで他人を無闇に断罪しそう……。あたしとお兄ちゃんからすると天敵な気がする』


 俺の印象とは裏腹に、女性ウケは悪いらしい。俺も好感を持つ相手ではないけどな。ちなみに、金島先生の頭上の数字は「18」だ。俺に対してちょっと嫌悪感があるらしい。岬先生を好きで、俺と岬先生が親しげにしているのを見たことがあれば、多少の嫌悪感を持つこともあるだろう。


「……金島……さん? お買い物ですか?」

「ええ、そうです。家からは少し遠いんですが、軽く自転車で走ってきました。いい運動になりますよ。岬さんの方は……? えっと、一緒にいるのはうちの生徒たちですかね? 確か、藤崎君は漫画部に所属してる……?」

「あ、はい。俺は漫画部に所属しています」

「そうかそうか。岬先生に色々指導してもらっているのかな?」

「ええ、まぁ。岬先生、漫画もイラストも非常に上手いので」

「そうかぁ。岬先生に教えていただけるなんて、羨ましいことだよ」


 ハハハ、とまた快活な笑い。

 頭上の数字と組み合わせると不穏なものに感じてしまうな……。何を考えているかは知りたくない。

 それから、金島先生は少し声を潜めて言う。


「しかし、岬さん。生徒と一緒にお出かけ、ですか? あまり良いことではありませんが……」

「たまたま出先で会っただけですよ。偶然会って少し一緒にいることくらい、いちいち咎められることでもないと思いまして」

「ああ、なるほど。確かにそうですね。ただ……岬さんのお気持ちもわかりますが、先生と生徒が学校外で私的な交流を持つのはよくありません。やはり教師として、ダメなものはダメなのだと態度で示し、偶然出会ってもすぐに別れるのが適切ではないでしょうか? まだお若いので公私の区別をつけにくいところもあるかとは思いますが……」


 まぁ、金島先生の言っていることは正しいのだろう。ただ、融通の利かないさに、やはり好ましくはないという印象は持ってしまう。


『はぁ……。言ってることは正しいけど、融通の利かない機械みたいな判断よねぇ……。生真面目にルールを守ることだけを教えるなら、教師が人である必要なんてないのに。基本は基本として教えつつ、場面に応じた判断力を養わせるのが教育でしょ。

 私が男子生徒と二人きりでいるならまだしも、男女混合の四人でいるくらいなら軽く流してもいいことじゃない?

 まぁ、反論しても仕方ない相手だし、ここは大人しく引いておくか……』


「……金島さんのおっしゃる通りですね。賢明な行動ではありませんでした」

「おわかりいただけて幸いです。でも、申し訳ありません。学校の外で教師面するのも好ましくないとは思っているのですが……」

「いいえ、立派な態度だと思いますよ」


 岬先生がひっそりと溜息を一つ。

 その姿を、神坂さんと紗季もどこか神妙な顔で見ている。


『岬先生、行っちゃうのかな? いなくなってほしい相手ではあるけど、半端な幕切れになっちゃう……。引き留める? でもどうやって? っていうか、逆に、本当は事前に会う約束をしてました、って言ったら、岬先生はもう藤崎君に近づけなくなるよね……。

 ライバルを排除するなら、今。

 ……なんて、こんな姑息な手段をとっても、藤崎君の印象が悪くなるだけか。岬先生がいなくなっても、消去法で紗季ちゃんの勝ちになっちゃう。ここは黙っておくしかないか……』


『岬先生が何も言い返そうとしないのはちょっと拍子抜けかな。何が何でもお兄ちゃんを取りに行くっていう態度かと思ったら、案外教師としての立場も大事にしちゃうんだ? 大人だし、職を失うのは簡単な話じゃないんだろうけどさ。ここで引いちゃうくらいの相手だったら、ライバル視する相手でもなかったのかも。

 本当は会う約束をしてました、なんて告げ口するまでもない。ここで大人しく引くくらいなら、もう二度とお兄ちゃんには近づかないで』


 紗季の目つきが険しい。そして、その険しさに岬先生も気づく。


『……その目。ここで大人しく引くくらいなら初めから手を出すなって感じね? ふふふ……。私としたことが、保身のために大事な勝負を投げ出そうとするなんてね。この二人を前にして、引き下がるわけにはいかないか。……教師でいられなくなっても仕事なんていくらでもあるし、ここは……』


 岬先生の決意を感じる。

 でも、ここで何かを言わせてしまったら、岬先生が本当に先生でいられなくなってしまう可能性もある。岬先生は教師であることに未練はないようだけれど、俺としては教師を続けてほしいと思っている。

 執着があろうとなかろうと、岬先生は教師として適性のある人だと思うのだ。ここで教師としての道を閉ざしてはいけない。


「金島さん……」

「あの! 金島先生!」


 俺は岬先生の言葉を遮り、立ち上がって金島先生と対峙した。

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