第49話 目覚め
金島の一件も落ち着き、少し時間を置いたところで、俺たちは徒歩十分のところにある海浜公園にやってきた。こぢんまりとした公園とはいえ、砂浜があり、海が望める綺麗な公園だ。時刻は十八時過ぎだが、まだまだ空は明るい。風は穏やかで天気も良く、海の青さが一層美しく映えている。なお、シーズンではないからか、人はまばらだ。
ちなみに、金島の一件の前に俺が岬先生に尋ねた問いは流れた。別に本当に聞きたい話でもなかったので気にしない。
「綺麗ですね……」
「ん? それ、私のこと?」
岬先生がおどけて言うので、俺も調子を合わせた。
「はい。そうです」
「あはは。絶対違うくせにっ。調子いいんだからっ」
「岬先生が綺麗なのは事実ですよ」
「そーおー? 嬉しいじゃないの!」
流石は岬先生。俺は自分の発言に赤面してしまうが、岬先生は軽く流している。これが経験の差か……。
『お兄ちゃん、もうあたし以外の女の人を褒めないでよ……』
『岬先生ばっかりずるいなぁ……。わたしも、可愛いって言ってくれたらいいのに……』
二人の心の声に応える間もなく、岬先生が紗季と神坂さんに声をかける。
「二人とも、心の準備はいいかな? 予定通りいくよ?」
ここで、紗季が不意に手を挙げる。
「あ、ちょっといいですか? あたし、どんな結果になっても諦めないし、どんな手を使っても欲しいものを手に入れるつもりでいるんですけど、本当に予定通りにしますか?」
『いざというときには、本当に、無理矢理でもお兄ちゃんを奪う。他の女を排除する。前は強硬手段に少しためらいもあったけど、今はもうないんだよね。たぶん、お兄ちゃんのためならすんなり人を殺せる。……まぁ、お兄ちゃんを犯罪者の兄にはしたくないから、実際に殺すかは別だけど。ただ、必要ならギリギリまで追い込むくらいはしちゃう……』
紗季の心の声には不気味な静けさがある。強すぎる想いが、激情よりもある種の穏やかさを作り出したようだ。
……うん、俺のせいだな。俺が、紗季をこんな心境に導いてしまった。
紗季の冷徹な視線を受けてなお、岬先生はにこやかに応える。
「いいんじゃない? たぶん、それは皆一緒だからさ?」
『今日は『悪いこと』しないようにしてきたけど、相手がどんな手段でも使うっていうなら、こっちだって遠慮しない。紗季ちゃんが強敵なのは認める。それでも、だからこそ燃えちゃうところもあるかなぁ』
「……皆一緒、ですか」
「うん。だからね、紗季ちゃん。諦めないとしても、お互いに手段を選んでいる方が良いとは思うよ? どちらかが滅びるまで戦うなんて、お互いにボロボロになるばっかり。
さっきの感じを見たところ、紗季ちゃんと私だと特にそうなんじゃないかな? そして、私と紗季ちゃんが争っている間に……かすめ取っていく子もいるでしょう?」
紗季と岬先生の視線が神坂さんに向く。神坂さんは、少し怯えた様子で体を震わせた。
『こ、この二人、やっぱり怖い! 今日はまっとうな勝負をしてくれたけど、いざとなったら何をされるか……』
「……先に退場してもらえばいいんじゃないですか?」
「あらあら、過激ね。良い案だけど、それで紗季ちゃんの欲しいものは手に入るのかしら? 強行手段をとっても、紗季ちゃんの欲しいものは、紗季ちゃんの望む形では手に入らないんじゃない?」
紗季が目を細めて岬先生を睨む。笑顔の岬先生が、妙に怖い。
『……ちっ。相手が小者だったら、手段を選ばなければすぐに排除できる。でも、岬先生はどうも厄介……』
『さぁ、紗季ちゃん。悪いことばかり考えていると、藤崎君の心はむしろ離れて言いっちゃうぞ? それでもいいのかな?』
「……あのね、私は紗季ちゃんと良好な関係を保ちたいって思ってるの。過剰な争いは控えましょ?」
「でも、欲しいものが被っている以上、それは無理じゃないですか?」
「争い続けることにはなるでしょうね。一度手に入れたところで終わりじゃなくて、その後もずっと……。いつか完膚なきまでに負けるのが嫌なら、今のうちに手を引いた方がいいと思うけど?」
「……なるほど。そっちがその気なら、あたしも覚悟を決めますよ」
『お兄ちゃんを巡って、相手が諦めるまで争い続ける……。すごく厄介だけど、岬先生が敵ならそうするしかないか。まぁ、いずれ完璧に勝つのはあたしだけど』
『今日の結果がどうあれ、紗季ちゃんとの戦いは続くわよねぇ。それはそうとして』
「ねぇ、神坂さん。そういうことなのだけれど、神坂さんはどうするのかな? 今のうちに諦めるのもいいと思うよ?」
岬先生の問いに、神坂さんは頬をひきつらせる。
『こ、この二人についていけるかな……? 藤崎君のことは好きだけど、紗季ちゃんと岬先生とも取り合いが続くのか……。平穏な恋愛には到底ならないよね……。はぁ……ここで引くのが賢明かな……』
神坂さんが俺を見る。すると、自信なさげに見えた瞳に、奇妙なまでに強い光が宿る。
『藤崎君……やっぱり好き。大好き。好きすぎて自分が怖い。卓磨と付き合い始めた頃より、ずっとずっと強くて熱い気持ちが渦巻いてる。
……わたしって賢明なんかじゃないんだね。この二人は怖いのに、ここで引くなんて考えられない……。
怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。怖い。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。うん、好き。
っていうか、そもそもなんでそんなに怖がってるんだっけ? いくらなんでも急に包丁で突き刺してくるわけじゃあるまいし、命の危険まではないよね? だったら、別に怖がるものなんて何もないんじゃない?』
神坂さんの唇に、三日月のような怪しい笑みが浮かぶ。
『アハッ。ここまで好きなら、どこまでも激しく突っ走っちゃえばいいじゃん。たとえ、自分の身が滅んだとしても……ねぇ?
フフフ。まぁ、いっか。こんな恋も、きっと楽しいよね? 負けないよ?』
神坂さんの中で、吹っ切れてはいけないものが吹っ切れてしまったようだ。
……窮地に立たされて、本来なら目覚めることのなかった何かが目覚めてしまったといでも言うのだろうか。
「岬先生。わたし、諦めませんよ?」
「そーお? なら仕方ない。予定通りに進めましょ?」
『ふぅん、神坂さんもこっち側に来ちゃったのかしら? 藤崎君も罪な人……。女三人を狂わせた責任は取ってもらわないとね? まぁ、狂ったのは藤崎君のせいっていうより、私たち三人が影響しあった結果でしょうけど』
『……神坂先輩はすぐに引くと思ってたけど、変なスイッチ入ってるみたい。そういう素質があったのかな。なら、もう戦い続けるしかないか』
微笑み合う三人。そして、ほぼ置いてけぼりな俺。なんで俺、この争いの渦中にいるんだろうな……。
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