第45話 愛、かな?
「お、おい、紗季。どこまで行くんだよ?」
ショッピングモールの出入り口付近にて、俺は紗季を引き留める。
「どこって……ホテル」
「へ? ほ、ホテル?」
家に帰るんじゃなかったのか? 急にホテルって……。
紗季も自分が言った言葉が意外だったのか、さっと顔を赤くする。
『あ、や、やばっ。家に帰るつもりだったのに、とっさにホテルとか言っちゃった!? 訂正! 訂正しないと…………訂正、しなきゃダメかな……? 別に、しなくても良くない? 本当に、ホテルだって行きたいんだから……』
「何か問題ある?」
「……あるだろ。何を言ってるんだよ」
「何をって……。お兄ちゃんだって、流石にわかってるんでしょ? あたしたち三人が、あえてこんなことをしている理由」
「それは……ある程度は」
「なら、あたしの気持ちも、わかってるよね? あたし……お兄ちゃんが欲しい。そして、他の誰にも、どうしても渡したくない。お兄ちゃんがあたし以外の誰かと一緒にいるところなんて、想像しただけでイライラする。お兄ちゃんがあたし以外を選んだら……あたし、どうなっちゃうかわからない」
紗季の数字は「100」だ。危険水準だと思われる数字。俺が紗季以外の誰かを選んだら、紗季は本当にその人をどうにかしてしまうかもしれない。
『ワガママでごめんなさい。こんなことを言っても、お兄ちゃんが困っちゃうのはわかってる。聞き分けのない子供だって、むしろあたしを嫌いになっちゃうかもしれないのもわかる。
岬先生は特にやっぱり大人だし、神坂先輩だってあたしほど幼稚じゃない。だけど……だけど! あたしはやっぱりお兄ちゃんがいないとダメなの! お兄ちゃんがいないと、あたしはあたしじゃいられなくなっちゃうの! だから、お兄ちゃんはあたしを選ぶしかないの! わかるでしょ!?』
立ち止まっている俺たちの脇を、他のお客さんが少し迷惑そうに流れていく。それでも、紗季はただ静かに俺を見つめている。心の中では激情が渦巻いているはずなのに、表面上はそれを感じさせない。
強すぎる気持ちを、必死で押さえ込んでいるのだろう。
「紗季……」
どうすればいいとか、なんと声をかけるべきかとか、考える前に紗季の体をそっと抱きしめる。
『へ? へ!? あれ? なんで抱きしめられてるの!? これってどういう状況!?』
「少し、二人で話そう。ここじゃなんだし、外へ行こうか」
「……うん」
『お兄ちゃんに抱きしめられて……耳元で囁かれて……あふぅ……。幸せすぎて腰が抜けそう……』
紗季を解放し、今度は俺が紗季の手を引いて歩き出す。そして、人気のないショッピングモールの裏手に着いて、俺と紗季は壁に背を預けて並んで立つ。手は繋いだままだ。
そこで、スマホがメッセージの受信を伝えてくる。神坂さんから、何かあったのかと確認。戻る予定の時間は既に過ぎている。
少し遅れるとだけ返事をして、スマホをポケットにしまった。
「ごめん、お兄ちゃん。あたしのせいで……。二人とも、怒ってるかな?」
「文面からはちょっとわからない。まぁ、これくらいで怒ることはないだろ」
「そっか……」
「それはそうと……ちょっとキスでもしてみるか?」
「………………へ? 今、なんて?」
『チョットキスデモシテミルカ? ちょっとキスでもしてみるか? へ? なんで急にそんな風に誘ってくれたの? あたし、ただワガママでお兄ちゃんを連れだしただけだよね? 何も良いところなんてなかったよね? むしろ強引さにときめくの?』
紗季はわかりやすく混乱していて、視線をあちこちに飛ばしている。
それに対し、俺は案外冷静だ。自分からこんなことを言うなんて赤面ものなのに。
「キス、するか?」
もう一度尋ねてみた。紗季の顔はみるみる赤くなる。
『聞き間違いじゃない!? キスに誘われてる!? なんで!? どうして!? この展開はおかしくない!? あたしから誘うならまだしも、お兄ちゃんからってどういうこと!? お兄ちゃんもあたしを好きだってこと!? そんなそぶりはなかったような!? 鈍感な唐変木な振る舞いは、全部フリだったってこと!?』
おい、紗季。お前、本当に俺のことが好きなのか? 鈍感な唐変木って……。
「いいいいいいいいいいいいいいいいの!? き、キス、しても、いいの!?」
「うん。いいよ」
「え? え? え!? ど、どうして!? なんで!? そんな展開じゃなくない!? あたしはただ、お兄ちゃんを無理矢理連れ出しちゃっただけで、お兄ちゃんはあたしのワガママを優しく受け止めてくれただけで!?」
「……まぁ、なんでって訊かれると、俺も上手く説明しきれないんだけどさ。紗季となら……それもいいかな、って」
「……お兄ちゃんは、あたしのこと、どう思ってるの? お兄ちゃんは、あたしとキスしたいの? それとも……ただ、あたしに合わせてるだけ?」
「うーん、正直言ってさ、俺もよくわからないんだ。紗季をどう思っているのか……。家族としてももちろん大事で、一人の女の子としても、全く意識しないわけではなくて……。紗季とキスしたいという願望も、キスしてみたいという好奇心も、同時に感じてる。紗季に合わせてる……つもりはないけど、キスでもしてみたら、もう少しこの気持ちにも明確な形が見えてくるのかもしれない」
「……キスするってことは、あたしと付き合うってこと?」
「実のところ、そこまでは決めてない」
「何それ? 付き合ってもないのに、とりあえずキスだけするの? 爛れてるなぁ」
『……あたしが望んでいるような気持ちでいてくれているわけじゃない。でも、キスしてもいいって思ってくれるくらいには、あたしを大事に思ってるわけだ。お兄ちゃんも……普通じゃないなぁ』
「付き合っていなければキスしちゃいけないなんて、神様が決めたわけでもあるまいし。俺たちは俺たちが納得するようにやっていけばいい」
「……それって、兄妹間での恋愛も、自分たちの納得するようにすればいいってこと?」
「……そうだなぁ。神様は何も禁止なんかしちゃいない。法律が禁止しているのは兄妹間の結婚だけ。恋愛禁止は……なんとなくそういう空気があるだけ。
自分の人生は、自分で考えて決めるべきだろ。兄妹間の恋愛も、自分たちが納得するようにすればいい……。きっと」
「……そっか。自分たちが納得するようにした先で、必ずしも幸せにはなれなくても、そう思う?」
「幸せになるだけが、人生の目的ってわけじゃないさ」
「うん……そうだね」
「ただ……俺はやっぱり、紗季が幸せになってくれる未来を望んでる。別に幸せにならなくてもいいなんて、安易に幸せを手放すのはきっと楽してるだけなんだ。幸せになることを諦めない方が辛くて大変で、本当に価値があることだと思う」
「……うん。それも、そうだね。って、お兄ちゃん、結局あたしとどうなるつもりなの? 世間も、幸せも、全部後回しにして……あたしと、一緒になってくれるの?」
「俺は、それでもいいよ」
紗季の手に力が籠もる。もうこの手を離さない……そんな決意を感じてしまう。
『それでもいいよ、ということは、まだ消極的にあたしを受け入れてくれてるだけだよね。積極的にあたしと一緒にいたいとは言ってくれてない。
ただ……お兄ちゃんの中で、あたしが最優先なのは確かなんだと思う。これは恋じゃなくて……愛、かな? あたしと同じ気持ちじゃない。でも、もしかしたらあたしよりも強い愛情を秘めているのかも……? それなら、もう……』
「お兄ちゃん、キスしてよ」
「うん。わかった」
紗季と正面から向き合う。このままキスを……というところで。
「口じゃなくて、頬に」
「ん? 頬に?」
「うん。そう。今は、それでいいや」
「あ、ああ……わかった」
指示に従い、俺は紗季の頬にそっとキスをする。唇で触れる柔らかな頬の感触。間近に感じる甘い香り。……もっと深く、紗季と繋がりたい衝動が沸いてきた。
自重して、ほんの数秒で紗季から離れる。紗季の顔は、耳まで真っ赤になっていた。
『キスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされたキスされた! 頬にだけど! 頬にだけど! お兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好きお兄ちゃん大好き! 体が熱い! うずく! お兄ちゃんがいないとやっぱり無理! お兄ちゃんがいない人生なんて考えられない! 好きすぎておかしくなりそう!』
「……あ、ありがとう。お兄ちゃん……」
「……ん」
しばし俯いていた紗季だったが、俺に体を預けてきた。抱きしめてくるので、俺もその華奢な体を抱きしめ返す。
「……少し、このままでいさせて」
「うん」
「そしたら……二人のところに、帰ろ」
「うん」
『お兄ちゃんはあたしのもの。絶対に譲らない。渡さない。だけど……今すぐ奪わなくても、いいや。お兄ちゃんはあたしを愛してる。それは間違いない。あたしを愛してくれているお兄ちゃんを、あたしは信じよう。他の誰かになびくことなんて、ありえないって……』
紗季の数字は、「107」に上がっていた。……俺は、取り返しのつかないことをしているのだろうか? 紗季の静けさに、俺は背筋が冷えるのも感じていた。
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