第44話 仕方ないこと
浴衣というのは、ちゃんと着るのに少々時間がかかるものらしい。空き時間にちょっと調べてみたら、初心者が一人でやると三十分くらいかかるのだとか。
今回の場合、店員が補佐してくれるのでそんなに時間はかからなかったが、後々大変そうではある。
さておき。
浴衣姿の紗季は、文句なしに可憐な美少女だった。深みのある青地に、白い花が描かれている浴衣は、紗季を奥ゆかしい和風美人に変えていた。着ているものが変わるだけで、女の子は全く印象が変わるものだ。今は髪の色も普段と違うが、いつもの髪でも似合うと思う。
「……ど、どうかな?」
「うん。可愛いな。今、ものすごく紗季の絵を描きたくなった」
「本当に? ふぅん、なら、お兄ちゃんには気に入ってもらえたわけね」
『お兄ちゃんに気に入ってもらえたなら、もう全てが上手くいってるってことね! でも……どうしよう? 浴衣は欲しいけど、浴衣に合わせて帯とか下駄とかも買わなきゃと思うと、予算は超えちゃうよね……。考えてなかったなぁ……』
今回、浴衣だけで三万円弱。帯もそこそこのものなら五千円程。さらに下駄も買うと、相当高額なお買い物になる。
付属品くらいなら俺が出してやっても……と思うが、にこにこしている若い女性店員に一つ尋ねてみる。
「あのー、俺たちまだ高校生なんですけど、こういうちょっと高級な浴衣って、まだ早いですかね?」
「いえ、そんなことはありませんよ。特に浴衣などがお好きなお客様は、高校生でもご購入されますね」
「なるほど……」
紗季の場合はどうだろう? せっかく浴衣を買いに来たわけだし、特に浴衣を好きな面もあると思うが……。
ふむむ、と悩む俺と紗季。そこで、女性店員が続ける。
「……浴衣に特別な関心があるというわけでないのなら、まだ安価なものでも良いかもしれません。年齢に応じて好みはかなり変わってきますし、今一番好きな色が、来年、再来年、その先も一番好きな色とは限りません。
それに、やはり流行り廃れもありますし、持っているのが一種類だけでは飽きてしまうこともあります。迷われるようでしたら、一度時間をおいてみるのもいいでしょうね」
「なるほど……」
「……店員としてこんなことを申し上げるのもなんですが、浴衣はレンタルするのも良いのではと思います。
レンタルでも決して安くはありません。でも、年に一度か二度かしか着ることがなく、あとはずっとタンスにしまわれることになるのであれば、高価な浴衣は少しもったいないかなと。レンタルなら、その時々に応じて、一番好みの浴衣を着ることができますよ」
「……レンタルか。確かに、浴衣って着る機会は少ないし、持ってても宝の持ち腐れになってしまう気はするな。紗季、どうする?」
「うーん……お兄ちゃんはどう思うの?」
「俺は……買うのは少しもったいないかなとは思う。普段使うものに三万円出すのと、たまにしか使わないものに三万円出すのは違う。人によって大事なものは違うから、浴衣がどうしても欲しいなら買ってみるのもいいけどさ」
「そうだよねー……。すごく可愛いんだけど…… 改めて着てみて迷っちゃうなら、まだあたしには早いのかな」
『……それに、高い浴衣だと、これを着てエッチはできないよね。シワになるのも汚すのも嫌だし』
真面目な顔で何を考えているんだ。俺の方が赤面してしまうじゃないか。
「……惜しいですけど、今日は止めておきます。せっかく着せてもらったのにごめんなさい」
「いえ。いずれ、やっぱりずっと手元に置いておきたいと思うようになりましたら、またご検討ください。いつでもお待ちしていますよ」
「はい。わかりました」
結局、紗季は何も購入することなく、浴衣屋を後にした。
「あの浴衣良かったなぁ……。っていうか、いつもと同じ感じのショッピングだったね。今日は少し特別な感じにしたかったのに……」
「俺と紗季で、そんな特別な感じにするのは難しいんじゃないか? ずっと一緒にいるんだからさ」
「そうかもしれないけど……」
『今日は、あの二人よりもあたしの方が素敵だって思わせないといけないの! いつもと同じ感じじゃ、ただの妹っていう認識から抜け出せない!』
「あ、そうだ。あれ見てみよう。ガチャガチャ、なんか面白いのあるかな」
「うわ、なんか急に子供っぽくなった」
「俺たちはまだまだ子供だろ? それでいいじゃんか。そんな焦らなくても、お互いに勝手に大人になっちゃうんだしさ。特に、紗季はそうだろうな。俺はすぐにおいてけぼりにされるんだろう」
「……あたしは、お兄ちゃんと一緒に大人になりたい。勝手に先に行かせないでよ」
「なら、それとなく俺を引っ張ってくれ」
「他力本願じゃん。お兄ちゃんなんだからしっかりしてよー」
「たった一年の差で兄も妹もあるか。だいたい、ほとんどの場合で男より女の方が精神的な成長は早いもんだろ」
「まーたそんな情けないこと言うー。そういうとこ嫌ーい」
「嫌われる勇気」
「ドラマも本もよく知らないくせに」
「タイトルだけで何かわかったような気にかるからいいじゃん」
「良くないよ」
紗季との時間は、他の誰よりも居心地がよいように思う。変に気を使う必要もなく、思い付いたことはなんでも言える。これは、紗季だって同じだと思う。
嫌いだなんて言ったって、本当に嫌いになるわけじゃない。お互いに信頼があるからこその軽口。
紗季となら、これからずっと二人暮らしをしろと言われたって、なんの問題もなく過ごせるだろう。恋愛感情なんてもう飛び越えて、お互いを思いやれるはずだ。
あまり時間はなかったが、二人でガチャガチャの並んだ一画を見て回る。キャラものからシュールなものまで、種類は様々。
『こんな何気ない時間も好きなんだけど……お兄ちゃんをもっとときめかせたい。じゃないとあの二人に勝てない』
見て回りながら、紗季が俺の手を握ってくる。
「……急にどうした」
「別にいいじゃん。お兄ちゃんが迷子にならないように、手を握ってるの」
「子供かよー」
「さっき、子供って言ってたじゃん」
「確かに」
紗季の手を振り払うことはしない。むしろ、俺だって手を握っていたい。昔はよく手を繋いで歩いたし、その手の温もりが好きだった。
『お兄ちゃんと手を繋ぐの、久々かも……。いつの間にかなんかすごく頼もしくなった感じ……。うぅ、お兄ちゃんのくせにナマイキな。お兄ちゃんをときめかせたいのに、あたしの方がときめいちゃうじゃん。手汗が……なんか恥ずかしい。いいや、これはお兄ちゃんの、ってことにしとこ。ああ、もうとにかくお兄ちゃん大好き。お兄ちゃんがいないと無理。死ぬ。お願いだから……他の誰かのところなんて行かないで……』
紗季の切実な想いが、俺の心を射抜く。
紗季……なんで俺のことなんか、そんなに大好きなんだろうな?
俺も紗季のことは大切だけど……紗季だけを大好きと言うわけじゃない。男女の差ってことなのかな……?
いつもより言葉少なに、ガチャガチャをざっと見て回る。五十台くらいはあったが、すぐに見終わって、俺たちはハンバーガー屋に向かう。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「ちょっとだけ、遠回りして帰ろ?」
「ん? ああ……わかった」
紗季に導かれて、俺たちは遠回りしてハンバーガーショップに向かう……向かってるか? これは反対方向……?
『……やっぱりやだ。もうお兄ちゃんを二人に会わせたくない。このまま二人で帰る。お兄ちゃんはあたしだけのお兄ちゃんだもん。誰にも渡さないもん。お兄ちゃんが他の誰かと付き合い始めちゃったら、あたし、その相手を本当に殺しちゃうかもしれない。だから、こうやって無理矢理奪っていくのも、仕方ないことだもん。お兄ちゃんならわかってくれるよね?』
紗季は無言。ただ、出口に向かっているだろうことはわかった。これは……どう止めれば良いだろうか……。
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