第32話 あれ?
しばらくすると、岬先生が深い溜息を一つ。それから、気分を入れ替えるように一度髪をかきあげ、再度笑顔を作る。紅潮が納まってしまったのは惜しいが、ダークサイドに落ちたような雰囲気も綺麗さっぱり消えているので安心した。
『ふぅ……。ようやく落ち着いた。藤崎君にはやっぱりもっと指導が必要ね。ああいうのは、ちゃんと場面を考えて言ってもらわないと。
それにしても……女子高生相手にちょっと熱くなり過ぎたわね。
私を攻撃してくるだけの敵だったら、もちろん容赦なく叩き潰すところ。けど、言ってしまえばただの恋敵だし、一応大事な生徒だし? それに、藤崎君の手前、あんまり手荒な真似はできないよね。
ここは、神坂さんを追いつめるなんてことはしないで、正々堂々と女性として勝つことで諦めてもらうのがいいよね。藤崎君も、そういう女性の方が好きでしょ。
今回は、彼氏のミスで不快な気持ちにさせられてしまっても、寛大な気持ちで許してくれる彼女っていう方向性で行ってみよう』
「藤崎君」
「は、はい……」
「藤崎君が勝手に他の女性を連れてきたことで、正直言って私は嫌な思いをしたよ」
「……はい。すみません」
「今回はもう許すけど……また、貸し一つ、だよ?」
「……はい。わかりました」
俺が頷くと、岬先生がふふんと鼻を鳴らす。岬先生の考えている通り、神坂さんを闇の力で押しつぶすより、こうして明るく振る舞ってくれている方がずっと魅力的に映る。冷静になってくれて良かった……。
『今度は何してもらおっかなぁ。夢が膨らむわぁ。今日のデートは思い通りにはならないみたいだけど、焦らされるのも悪くはないかな? まぁ、藤崎君にはある意味災難かもね? 私が満足するまで、ベッドの上でたっぷり可愛がってあげるからね?』
『……岬先生の雰囲気が変わった。足が震えるくらい怖かったのに、そんな雰囲気はもう全然ない。
しかも、藤崎君のことを可愛らしい雰囲気で許しちゃうなんて、藤崎君からしたらめちゃくちゃ惹かれちゃうところじゃない。ミスをしても許してくれる寛大な女性なんて、男の子が好きにならないわけがない。
悔しいけど……わたしが半ば無理矢理ついてきたことで、岬先生の評価が上がる結果に……。逆境を味方につけるなんて、こういう面でもやっぱり岬先生は強い……。わたし、こんな人に勝負を挑むの……?』
岬先生の方向性の切り替えは、図らずも神坂さんに大きなダメージを与えてしまったらしい。正直……俺も岬先生の寛容さにはグッと来た。
「っていうか、藤崎君、岬さんって何よ?」
「いや、その……ここは学校じゃないので、そういう呼び方がいいのかな、と」
「そうね。でも……本当は、岬先生呼びする藤崎君に、『今日は岬さんって呼んでよ』って可愛らしくおねだりするつもりだったんだからね? その機会を奪わないでくれる?」
「あ……すみません。気が回らなくて……」
「罰として、今日一日、私のことは那菜さんって呼ぶこと。いいね?」
「え、ええ? 急にハードル高くないですか? 俺たち、そういう関係じゃ……」
「藤崎君、私の指令に逆らえる立場だと思ってるのかなー?」
「……いえ、そんなことはありません」
「わかっていればよし。それじゃ、りぴーとあふたみー。『那菜さん』」
「……な、那菜さん」
「ふふ? ウブな呼び方が可愛らしくていいわね」
岬先生がうりうりと俺の頬を人差し指でつついてくる。……今の岬先生、ガチで可愛すぎじゃない? 明らかにダークサイドより魅力的だよね?
俺にとびきりの笑顔を向けた後、岬先生は神坂さんに向き直る。
「ところで、神坂さん。どストレートに訊いちゃうけど、もしかして坂田君とは上手くいっていないのかな?」
「へ? あ、えっと……どうして、そんなことを訊くんですか?」
『藤崎君とイチャついたと思ったら、急にわたしに来た。どういうつもり……?』
「一応、はっきりさせておいた方がいいかなと思って。まぁ、答えにくいなら答えなくてもいいけどね。ただ、そうね。私の経験から言わせてもらうと……高校生の時の恋愛なんて、失敗することに価値があるものよ」
「は、はぁ……?」
「あんまり言っちゃうと余計なお世話になるんだろうけどさ? 上手くいかない恋愛を自分が経験することも、相手に経験させることも、とても価値があることだと思う。
人間ってさ、本当に手痛い失敗をしたときにしか、真に何かを学ぶことってできないんだよ。だから、高校生の恋愛は別れも含めて貴重な経験。別れるときにはスパッと別れちゃっていいよ」
「……で、ですかね」
「うん。それで、別れ話で関係がこじれちゃって……みたいなことがあれば、私に相談してくれてもいいよ。当人同士では解決できないこともあるものだし、年上の力を借りるのも悪くない。
離婚する夫婦だって、別れるために弁護士を挟むこともある。一度深く関わり合った二人が別れることは、大人にとっても難しいこと。高校生にとっても難しいのは当たり前。
自分の行いの結果なんだから自分だけで解決しなきゃ、とか気負わなくていい。困ったときに誰かを頼るのは、何も悪いことじゃないよ。
ま、こんなのは本当に余計なお世話かもしれないけどね?」
岬先生が、大変頼りがいのある笑顔を見せる。……一時はどうなることかと思ったけれど、もうサスペンス展開にはならなさそうで本当に良かった……。
「あ、ありがとうございます。すごく……心が軽くなりました」
『あ、やば……なんか泣きそうになってきた……。わたし、卓磨には酷いことをしていると思うし、本当に身勝手なこともしているし……。岬先生は、色々なことを察した上で励ましてくれたんだよね……。温かい言葉って、こんなに心を慰めてくれるんだ……。藤崎君だって、こんな女性の方がいいに決まって……。
……ダメダメ! こんなところで諦めない! 岬先生にだって、わたしは負けない!』
神坂さんは軽く頭を振り、強い意志のある目で岬先生を見つめる。
「……いざとなったら、本当に頼るかもしれません。でも、まずは自分の力で頑張ります」
「そ。それならそれで。じゃーあ、もう少し色々見てから次に行こっか」
どうやら、ひとまずは不穏なところのない三人でのデートになりそう。
危機は脱したようだけれど、俺もダメなところはきちんと反省しないとな。
……あれ? そういえば、何か忘れているような……。
ふとそんな思いが過った俺に、世界の静止からようやく立ち直ったような、歪な心の声が聞こえてきた……。
『……お兄ちゃんなんでその女たちとそんなに楽しそうにしているの? そもそもなんでお兄ちゃんは今さっき岬先生のことをしきりに褒めていたの? おかしくない? おかしいよね? お兄ちゃんはあたしのお兄ちゃんで、お兄ちゃんが褒めていいのはあたしだけだよね? そんなの当たり前じゃない世界の真理じゃない。っていうか、そもそもなんでお兄ちゃんはこの女たちと一緒にいるんだっけ? あれ? これは岬先生から誘ったんだよね? お兄ちゃんから誘うわけないし。だとして、お兄ちゃんはどうしてその誘いに乗ったの? もしお兄ちゃんが岬先生のことなんてどうでも良かったら、そもそも誘いになんて乗ってないよね? ってことは、もしかしてお兄ちゃんは岬先生に少なからず好意があるってこと?
嘘。嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘絶対嘘。そんなのあり得ない。お兄ちゃんが他の女になびいちゃうなんてダメ。あたしの方がずっとずっとお兄ちゃんのこと大好きだし、お兄ちゃんの恋人になるのはあたしが一番相応しい。こんなの絶対おかしい。あたしが何年お兄ちゃんのこと好きで、ずっとアプローチし続けてると思ってるの。お兄ちゃんが他の女になびくなんて、あってはいけないこと。お兄ちゃんはあたしのもの。お兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんはお兄ちゃんは』
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