第33話 やばい
あかん。岬先生よりもやべぇ奴だ。紗季が見ているのに、岬先生をベタ褒めするのは手段を間違えてしまったかもしれない。壊れすぎて、心の声がものすごく怖い。
紗季の存在に気づかないふりをしようと思っていたけれど、このまま放置していたら誰かを刺し殺してしまいそうだ。心配すぎて、神坂さんと岬先生の言葉がろくに入ってこない。
「……どうかしたの? なんか、落ち着かないね?」
「おやおや? 何か気になるようなエッチな本でも見つけたのかな?」
神坂さんと岬先生が尋ねてくる。それに応える余裕はない。
『お兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるなお兄ちゃんに話しかけるな殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……』
うわー! と叫びだしてしまいたい。心の声が聞こえるって、こんなに怖いことなのか。好意を伝えてくれるだけならいいが、こんな狂気をダイレクトに注がれ続けたら、頭がおかしくなってしまう。
やばいやばいやばい。これは本当にやばい。どうしようとか迷っている場合じゃない。
俺は、立ち尽くす紗季の方を見る。その目は見開かれ、正気のものとは思えない。
頭上には、「102」という数字。今朝は「94」だったはずだが、何故か急に数字が百を超えている。嫉妬に狂うと数字が上がるのか? 意味わからん。とりあえず、これは好意が高まりすぎて、もはや制御不能の狂気に変わっているということだろうか。勘だが、この数字が百を超えると、人間は狂ってしまうのかもしれない。
「……本当にどうかしたの? 顔が青いよ?」
「もしかして具合悪い?」
「……あ、えと……その……ごめん。ちょっと、あの子が気になって」
「へ? あの子が?」
「うん? 藤崎君、ナンパしたかったの?」
ここはもう知らないふりは得策ではないと、紗季を正面から見据える。そして、澱みきったオーラを放つ紗季に、なるべく気さくに話しかける。
「なぁ、紗季だよな? こんなところで何してるんだ?」
「え?」
「紗季ちゃん?」
『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……ん? 今、お兄ちゃんに呼ばれた……? え、嘘、あれ? も、もしかして、バレた!?』
ああ……良かった。狂気のループが解除され、人間の言葉を取り戻してくれた。正常ではないとはいえ、俺の言葉が届かないほどではなかった。
紗季はキョロキョロと狼狽え、とりあえず帽子で顔を隠そうとする。
「ち、違います!」
「いや、まんま紗季の声じゃん。紗季、何やってんだよー」
俺は紗季に近寄り、その顔を覗き込む。
「入ってきたときから、そんな気がしたんだよなぁ。それ、メイクとファッションで印象変えてるのか? すごいな、紗季、そんなこともできたのか」
「や、ちょ、あんまり近くで見ないでよ。は、恥ずかしいなぁ」
『お兄ちゃんはあたしのこと気づいてた! 悔しいけどやっぱり嬉しい! 姿が変わっても、やっぱりあたしのことは気づくんだ! お兄ちゃんとあたしの絆は、他の誰よりも強いんだ!』
頭上の数字が「103」に増える。あかん。これはたぶん、増やさない方が良いやつだ。
ここは……少しだけ責めてみよう。これで俺への好感度が下がってくれれば……っ。
「偶然ここに来たってことはないだろうし、俺を尾行してきたのか? まったく、俺が誰と会うのか、そんなに気になったのかよ。
兄妹だからって、俺ももう何でも紗季に話す年齢じゃないんだ。俺にもプライベートはあるんだぞ? 代わりに、俺だって紗季のプライベートや一人の時間は尊重してる。何でも俺に話してくれる必要はない。そういうもんだろ?
まぁ、ちょっとした遊び感覚でつけてきたんだと思うけどさ、尾行された方としては気分が良くないぞ? 紗季だってもう子供じゃないんだからわかるだろ?」
「あ、そ、その、ご、ごめんなさい……」
『いやー! お兄ちゃんに嫌われた!? こんなことやってたらそりゃ嫌だよね!? でもでもでも、どうしても気になっちゃったんだもん! お兄ちゃんを他の女に盗られたくないんだもん! 好きなの! 好きだからこんなことしちゃうの! それだけなの!』
落ち込んだのか、紗季の数字が「101」に落ちる。うんうん。とりあえず、この調子で百切りを目指そう。
っていうか、好き好き言い過ぎだ。心に響きすぎるから、無性にドキドキしちゃうんだって。妹相手なのに……。
「紗季ちゃんがついてきてたなんて、全然気づかなかった……」
神坂さんが、感心と不安を織り交ぜたようにぼやいた。
『尾行されてたってことだよね? こういうの、案外気づかないものなんだ……。確かに、あえて後ろを振り返るとかもしなかったし、ずっとついてきてたとしても全くわからないよね……。今回は紗季ちゃんだったから良かったけど、不審者とかだったら怖いな……。気をつけないと……。
っていうか、紗季ちゃん、追求も途中で終わってあっさり引いたなと思ってたら、ついてくる気満々だったからなのか。愛が重いな……。わたしも人のこと言えないけど……。
とりあえず、藤崎君は紗季ちゃんの気持ちに気づいてないみたいね。でも、紗季ちゃんはこのままだと何をしでかすかわからないな。今夜にでも藤崎君を襲っちゃうんじゃないの? うかうかしてられない。もう、今日中に勝負をつけるしかない!』
「……紗季ちゃんまで、とはね」
岬先生も意味深に呟いた。
『詳細はわからないけど、わざわざ藤崎君を尾行していたってことは、藤崎君を好きってことで間違いないのね? 妹でありながら兄に好意を持つなんて、だいぶ常軌を逸してるじゃないの。私といい勝負じゃない? なるほどなるほど。敵は二人いるってことね? 藤崎君は、絶対に渡さない』
二人の決意がまるっと俺に伝わるので、戦々恐々である。
好かれるのは嬉しい。でも、猛獣に狙われる小動物の心持ちだ。
「紗季、もう尾行ごっこはいいだろ? 家に帰りな?」
「や、でも、えっと……」
『やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ! 帰りたくない! このまま帰ったら、お兄ちゃんがこの二人のどっちかに奪われちゃう! そんなのはダメ! っていうか、お兄ちゃん、なんでそんなこと言うの!? ここまで来たなら一緒に遊ぼうとか、誘ってくれてもいいんじゃないの!? あたしを一人だけ帰すなんておかしくない!? お兄ちゃんらしくなくない!?』
紗季の数字が「100」まで下がる。順調だ。でも、その悲しさも伝わってくるから、非常に心苦しい。
「紗季も、いつまでも俺にべったりじゃダメだぞ? つーか、これは俺で遊んでるのか? 趣味悪いなぁ。もっと健全な遊びを覚えろよな。変な趣味持ってたら彼氏もできないぞ?」
無言の紗季。そして、その目にじわりと涙が溜まり、ぐずぐずと泣き始めてしまった。
あ、やりすぎた奴……?
『違うもん……。お兄ちゃんで遊んでるとかじゃないもん……。お兄ちゃんが好きすぎるだけだもん……。お兄ちゃんと離れたくないだけだもん……。なんでわかってくれないの? これだけアピールしてたら、少しぐらい気づいてくれてもいいじゃない……。お兄ちゃん以外の彼氏なんていらないし、お兄ちゃん以外に好かれたいとも思わないし、お兄ちゃん以外の人なんて世界に必要ないし……っ。ただ兄妹に生まれたってだけでお兄ちゃんを好きになっちゃいけないとか、そんな世界の方が間違ってるもん。絶対おかしいもん……。なんでお兄ちゃんはお兄ちゃんなの? あたしはなんでお兄ちゃんの妹なの? なんでよぉ……っ』
数字が「99」に下がった。……とりあえず任務完了だ。後は少しだけフォローしよう。
「わ、ちょ、紗季! ご、ごめんな。ちょっと言い過ぎた。俺が悪かった!」
『あーあ。紗季ちゃん泣かせちゃった。あんなに好き好きアピールしてるのに、どうして藤崎君は気づかないのかな? 兄妹だから、そういうのが想定外すぎるのかもしれないけど、もうちょっと気づいてもいいんじゃない?』
あたふたする俺を見て、神坂さんが呆れた。
『藤崎君、ちょっと酷いなぁ。紗季ちゃんがここについてきたの、大好きだからって言うのはわからなかったかな? 恋に狂った女の子が一人いるだけなのに、全く見当違いのこと言うなんてね……。
……ん? でも、もし藤崎君が、紗季ちゃんの気持ちに全部気づいてるとしたらどうだろう? 紗季ちゃんの気持ちを受け入れるわけにはいかないから、あえて鈍感なふりをして、突き放そうとしてる……? これは考えすぎ?』
岬先生、ちょっと鋭すぎませんか? 三人目の名探偵ですか?
「えっと、紗季、とりあえず今日は一緒に色々回らないか? せっかくここまで来たんだしさ」
「……行く。ぐすっ」
『誘ってくれた……。嬉しい……。でも、こんな状況だから仕方なく誘われたのは寂しい……。ばか……』
紗季の涙が俺の心をえぐる。でも、俺がしたことは、たぶん間違っていない。好意が高まりすぎて、犯罪に走ってもらっては困る。たとえ傷つけることになったとしても、紗季のことは守らなければ。
「神坂さん、岬先生。すみません。それでいいですか? っていうか、ダメだったら……ごめんなさい。俺、今日は紗季と一緒にもう帰ります」
俺の問いと宣言に、顔を見合わせる神坂さんと岬先生。
『……あれ? 藤崎君が珍しくすごく決意に満ちた目をしてるような……? これは、何を言っても揺るがない雰囲気だ』
『そう……。女の子にも、恋愛にも不慣れだけど、妹のためなら一瞬で強い気持ちを持てるわけね。兄としての強さか……。なんか、悔しいなぁ……。ここでごねると印象悪いし、本当に帰っちゃうんだろうし……』
「仕方ないね。いいよ」
「ま、しょうがないね。四人で回りましょ」
「ありがとうございます」
二人に頭を下げる。俺としても、紗季のためならすっと心が据わった気がする。兄としてなら、俺も少しはましな人間になれるのかな……。
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