第25話 駆け引き……

 神坂さんの出迎えは俺一人でも良かったのだが、何故か紗季がついてきた。

 玄関のドアを開けると、神坂さんが笑顔で立っている。小さなロゴ入りのTシャツに、チェック柄のシックな印象のパンツスタイル。背中には黒の鞄。髪に、学校では見ない小花の髪飾りがついているのが新鮮だ。


「おはよ、藤崎君、と紗季ちゃん。ごめんね、こんな早く来ちゃって」


『さぁて、藤崎君は、今日はいったい誰とお出掛けなのかな? 紗季ちゃんに聞けば何かわかるかなー?』


 神坂さんは完璧に探りにきているらしい。バレるのは時間の問題だ。岬先生ごめんなさい……。

 にこやかな神坂さんに、紗季が同じくにこやかに話しかける。


「おはようございます。珍しいですね、神坂先輩が一人でうちに来るなんて」


『お兄ちゃんの手前、歓迎してる風を装ったけど……。それに、神坂先輩と話せばお兄ちゃんが誰と出かけるかわかるかもと思ったけど……。でもやっぱりこの女は危険! お兄ちゃんを見る目がもういやらしい! なるべくお兄ちゃんを近づけちゃダメ! お兄ちゃんはあたしが守る!』


「たまには一人で、ね。今日はちょっと、藤崎君に用事があったから」


『……ん? なんか、今一瞬だけど紗季ちゃん目が怖かったような……? 気のせい? 気のせいならいいけど……もし、気のせいじゃなかったとしたら? わたしを本当は歓迎してない? あれ? もしかして……紗季ちゃんは藤崎君のこと、ただのお兄ちゃんとは思ってない、とか……? 流石に考えすぎかな……?』


 神坂さんも鋭いな……。紗季の一瞬の目つきでそこまで想像するか? 俺、心の声を聞かないと全く何もわからないのだけれど……。


「神坂先輩はお兄ちゃんにどんな用事なんですか? 坂田先輩を差し置いてお兄ちゃんと二人で会うなんて、世間的にはあんまり印象良くないと思いますよ?」

「あはは。確かにねー。でも、別にやましいこととかないよ? だから堂々と家に来たんだしさ? それに、紗季ちゃんもいるから二人きりじゃないし?」


『ふむ……紗季ちゃんからそこはかとない敵意が……。やっぱり気のせいじゃないのかな……?』


「神坂先輩がここにいること、坂田先輩は知ってるんですか?」

「んーん。知らないよ。別に、わたしの行動の全部を逐一卓磨に報告するわけじゃない」

「いいんですか? 坂田先輩からすると、あんまり気分は良くないと思いますけど……」

「大丈夫だよー。藤崎君以外の男の子と会ってたら卓磨も気になるだろうけど、藤崎君なら気にしないよ」

「そんなもんですか?」

「うん。わたしたちはそんなもんだよ」


『とか言いながら、わたしが藤崎君と本当に二人きりで会ってたら、卓磨は気分悪くするだろうな……。結構独占欲強いし……。別れるつもりじゃなかったら、こんなことはしないよ』


『うーん……神坂先輩の言葉は嘘っぽいけど、あたしも実際の恋愛のことはわからないからな……。一般的には良くないことだとしても、当人同士は気にしないことだってたくさんあるだろうし……。そんな不義理なことをする女をお兄ちゃんは好きにならないんじゃない? 的な感じで後々攻めようと思ったけど……ここは保留ね』


 二人ともすごくにこやかに言葉を交わしているけれど、心の中では心理戦になっている模様。こんなサスペンス展開、俺は期待していないぞ。


「ま、まぁ、その、まだ俺も紗季もご飯食べてるところなんだけど、とりあえずあがりなよ……」

「ありがとー。お邪魔します。でも、本当にごめんね? 朝食も着替えもまだなのに上がり込んじゃって」

「構わないよ。俺の寝起き姿なんて、見られたところで恥ずかしくもない」


『ふふ。寝起きの藤崎君を見られたのは予定外の収穫だったなぁ。朝、起こしに来るとかしてみたい』


「……それに、紗季も、女同士なら寝起き姿を見られても気にしないだろうし」


『紗季ちゃんの寝起きも新鮮。なーんか怪しい雰囲気あるけど、それを忘れれば可愛いな。それはそうと、寝起きの無防備な姿を見せるっていうのも見方によっては強力な武器よね……。下着が見える状態で出てきちゃうとか、ハプニングを装って相手をドキッとさせるとかもできる……』


 ピンポイントで今朝の出来事を言い当てないでくれ。ドキッとしてしまうわ。


「……ま、もし卓磨が来てたら追い返すけどな。俺のことはどうでもいいけど、紗季の寝起きは見せてやらん」


『紗季ちゃんの寝起き姿は自分だけのもの宣言? これは兄としての意気込み? それとも、一人の男として意中の女の子のプライベートを独占したいのかな? ひょっとして、二人は既に両想い? もしくは両片想い? わたしの気持ちに気づいてくれないのは、紗季ちゃんに気持ちが向いてしまっているから……? ううん、これは流石に考えすぎね』


『ああ、お兄ちゃんに大事にされてる感覚、気を抜くと顔がにやけちゃうっ。でもダメ! この泥棒猫の前では冷静を装うの。あたしがお兄ちゃんを異性として好きだなんて知られたら、そんなのあり得ない、とか言って攻めてくるかもしれない。弱みを見せちゃダメ! あくまで妹という立場で、他の女を遠ざけるの!』


 二人の声が同時に聞こえてきて、頭がごちゃごちゃになりそう。理解はできているが、長時間続くと結構しんどいかも。

 神坂さんをリビングまで案内し、俺は元の席に戻る。一方、紗季は食器を動かして俺の隣に座った。最後、神坂さんが俺の正面に座る。


『お兄ちゃんの隣は譲らない!』


『ふぅん。当然のように藤崎君の隣を確保か……。やっぱり、そういうことなのかな? 深読みしすぎ?』


「藤崎君たち、相変わらず仲いいなぁ。わたしは一人っ子だから、キョウダイって憧れちゃう」

「まぁ、俺たちは上手くやれてる方だと思うけど、兄妹で仲がいいっていうのも珍しいらしいぞ。俺の知る兄妹はだいたい仲悪いし」

「あはは。そうかも。わたしの周りにも、兄と妹で仲がいいのは藤崎家くらいだよ。だいたい妹が兄を一方的に嫌うもんね。藤崎君は、よほど良いお兄ちゃんだったんだね」

「そうかな……。確かに大切にはしてきたし、昔から紗季を最優先にしてきたとも思うが……」


 俺は昔から友達が少ない。それ故に、紗季を最優先にする生活を送れたとも言える。紗季も昔は俺と同じで友達が少なく、容易に他人と打ち解けられなかったから、自然と俺と過ごす時間も長かった。それがどこかでこじれて、紗季は俺を異性として好きになってしまったんだろう。


「藤崎君みたいな兄は珍しいんだよ。男の子なんてだいたい自分勝手だもんね」


『藤崎君の優しさの源はここかな……。自分のことより、ひとの気持ちを優先するようなところあるもんね』


「男は本当にしょうもないからな。……そのせいで苦労している女の子がたくさんいるだろうと思うと、申し訳ない気持ちになるよ」

「って言っても、女は女で結構自分勝手だと思うけどね。相手にきちんと伝える努力をしないで、なんでこんなこともわかってくれないの!? っていつも怒ってる」


『……わたしみたいに、さ』


「……あー。そう、かな?」

「あはは。藤崎君が返事に困ってる。肯定したら、わたしとか紗季ちゃんがそうだって言ってるようなもんだもんね。他に女の子のことなんて知らないだろうし」

「……ノーコメントで」

「え、お兄ちゃん、あたしのこと、そんな風に思ってたの?」


 紗季が、心外だ、とばかりに俺を睨む。俺は何も言っていないぞ。それもまた答えではあるが。


「そんなことは、ないぞ?」


『あ、これは嘘ついてる顔だ。あたし、そんな風に思わせちゃってたのかな……? なんであたしの気持ちに気づいてくれないの? とは思ったことあるし、た、確かに、小学生の頃とかも理不尽に色々と怒ってたような……』


 ……俺、そんなに嘘に向いてないのかな? ことごとくバレてる気がする。

 そして、神坂さんも肩をすくめて言う。


「ま、わたしも人のこと言えないんだけどさ。男の子と親密になるとよくわかるよ。男と女って、同じ人間でも別の生き物なんだなぁ、って。考えることも、感じることも全然違うんだよね。

 誰と付き合ってもそういうギャップに苦しむことにはなるんだろうけど、少しでもギャップの少ない相手の方が過ごしやすいかもね。ぱっと見惹かれるだけの相手じゃなくて、さ」


『おっと、ちょっと言い過ぎたかな? 紗季ちゃんの目が光った感じ? わたしと卓磨が上手く行ってないこととか、藤崎君と付き合いたいと思ってることとか、見透かされちゃった? 藤崎君と違って鋭いなぁ』


 俺と違って、ね。はは。事実だから反論できねぇ。

 密かに苦笑する俺を差し置いて、紗季が神坂さんに尋ねる。


「あの、神坂先輩。もう率直に訊いてもいいですか?」

「うん? 何?」

「坂田先輩といつ別れるんですか?」

「……それは、わたしと卓磨が上手くいってない前提だよね? 藤崎君から何か聞いた?」

「あたしが勝手に察しました。今の態度や口振りからなんとなくわかります。上手くいってないから、坂田先輩を置いて単身でここまで来たんでしょう?」


『……紗季ちゃんに誤魔化しても無駄ね。藤崎君じゃあるまいし』


 いちいち俺をディスるのをやめてくれないだろうか?


「あー……紗季ちゃんには隠せないか。うん、そう。わたし、卓磨とあんまり上手くいってないの。だから、どうやって別れればいいかな、って藤崎君に相談してるとこ」

「でしょうね。それで……えっと……」 


『お兄ちゃんのことが好きで、狙ってるんですよね? とか、お兄ちゃんの目の前で訊くのは流石に具合が悪いか。なんとなくだけど……それはあなたも同じでしょ? なんて言い出しそうな気配が……。あの意味深な笑み……。あたしの気持ち、感づかれたかも……?』


『……お兄ちゃんのこと好きですよね? とか訊こうとして止めたのかな? そんなことするなら……あなたはどうなの? って訊いちゃうけど?』


「あ、ねぇ、紗季ちゃん。そう言えば、わたしからも一つ訊きたいことがあるんだけど……」

「え? な、なんですか?」


『お兄ちゃんのこと好きでしょ? とか訊こうとしてる? でも、あたしが訊かないであげたんだから、そっちだって訊いちゃダメだよ。わかってるよね?』


「藤崎君は今日誰かとお出かけらしいんだけど、誰となのかな? 紗季ちゃん、知ってる?」


『ああ、そのこと。神坂先輩も知らない相手……。いったい誰なんだろう?』


「あたしは、坂田先輩と一緒だって聞いてますよ」

「ふぅん? それは変だね。卓磨は一日中部活だもん」

「そうでしたか。じゃあ……誰とお出かけなんでしょうね?」


 二人の視線が俺に集まる。

 さぁ、本題だ。果たして俺は隠し通すことができるのか……。

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