第24話 なんとかなる……?

 翌朝。

 珍しく紗季が俺を起こしにくることもなくて、少し寝坊してしまった。

 時刻は朝七時。いつもなら、休日でも紗季があと三十分は早くに起こしに来る。それがなかったというのは、昨日の出来事が尾を引いているのだろうか。

 隣の部屋の物音に耳を澄ませてみる。が、特に聞こえてくるものはない。心の声は、壁を隔てると聞こえづらくなる。物理的な力で伝播しているわけではないと思うが、仕組みは謎だ。ドアくらいの薄いものだったら間にあっても声は聞こえるんだけどな。


「……この時間に起きるの、久しぶりだな。っていうか、結局そのまま朝を迎えちゃったなぁ……」


 今日のデートを中止にすべきだという気持ちもくすぶっていたが、岬先生には何も連絡を取っていない。下手に連絡を取ると逆に紗季に色々と知られてしまいそうだったし、ぎりぎりまで様子を見たいという気持ちもあった。

 紗季は、本当に俺を尾行してくるだろうか。それさえなければ、岬先生とのデートもどうにか遂行できそうだが……。

 とはいえ、中止にすべき要素がありつつも、こうしてまだデートするつもりでいるのだから、俺は岬先生とのデートを楽しみにしてしまっているのだろう。

 先生と生徒という関係でありながら、いったい何を考えてしまっているのだか……。


「……とりあえず、準備しよ」


 ひとまず食事のためにリビングへ。両親はまだ起きていないので、いつもなら俺と紗季の二人きり。しかし、リビングに紗季の姿はない。しっかり者の紗季が寝坊なんて珍しいこともあるもんだ。

 普段は紗季がご飯を作ってくれるが、今日は俺が準備する。トーストと目玉焼きとインスタントのスープだけなので、俺だって十分に準備は可能だ。

 紗季の分も作っておくべきか。というか、起こしに行くべきか。うーん、でも、年頃の妹の部屋に、男の俺が勝手に入るわけにはいかないよな。

 迷っていると、少し慌てたように紗季がリビングにやってくる。


『寝坊した! 昨日お兄ちゃんのこと考えて眠れなかったせいだ! 妙にムラムラして何度もしちゃったせいだ!』


「あ、お、おはよう! ごめん、寝坊しちゃった!」

「おはよー、って! 下着姿で出てくるなよ! 下、ちゃんと穿いてこい!」

「ふぇ?」


 慌てて出てきたのか、紗季の下半身は下着だけの状態だった。昨夜も見たものではあるが、その艶めかしさにはまだ慣れない。


「きゃっ! ちょ、ちょっと、これは、なし! ああん、脱ぎっぱなしだった! あれから寝落ちしてた! 取ってくる!」


 紗季が即座に回れ右で部屋に戻っていく。リアルな声でもそんな妙に生々しいことを言うのは止めてくれ。恥ずかしい。


『やっばー! もはやパンツ穿いた記憶もない……。ちゃんとパンツは穿いてた昨日のあたし、偉い! っていうか、変なシミとかついてないよね? 濡れた跡とか残ってたら恥ずかしすぎる!』


 心の声も、それはそれでかなりの生々しさだった。起こしてはいけないものがムクリと起きあがりそうだった。

 ともあれ、あの調子なら紗季は元気を取り戻しているようだ。一人でする余裕もあるみたいだし……あ、こういうのを考えるのは控えよう。うん。

 三分ほどして、紗季が再び姿を現す。


「……朝からドタバタしちゃってごめんね」

「気にするなよ。俺は別に気にならない」


『朝からカッコ悪いところ見せちゃったなぁ……。もっとしっかり者の妹でいたかったのに。昨日からばたばたしっぱなし。っていうか、あたしって実は結構おっちょこちょい? 慌てるとテンパっちゃうのかな……。恥ずかしいなぁ』


「むしろまぁ、なんていうか、ドタバタしてる紗季……結構可愛いな、って思ってた」

「へ!? か、可愛いかな!? で、でも、なんかみっともないっていうか!?」

「みっともないことないって。いつもしっかりしてるから、たまにそういうバタバタしてるところは愛嬌があっていいなと思うよ」

「そそそそ、そうかな!? それってつまり、お兄ちゃんは……っ。あ、いや、なんでもないけどね!?」


『ダメダメ! お兄ちゃんはあたしのこと好きってこと? とか訊くのは時期尚早だよ! まだ、ちょっと強引にでもあたしを意識してもらっただけ。あたしのことを好きになってもらえるように、これから頑張るんだから。既にあたしのことが好きだなんて、そんな都合のいいことは考えちゃダメ! 昨日のメッセージを読んだ感じ、お兄ちゃんのくせに何かを感づいてる風だけど、ここはまだ何もなかった感じで押し通す!』


「……まぁ、とにかくご飯食べよう。たまには俺が作ったご飯も悪くないだろ?」

「うん! ありがとう! 嬉しいなぁ!」


 二人で向かい合って食卓につき、細々と会話をしながら朝食を摂る。


『ふぅ……。お兄ちゃんも、気を利かせてかいつも通りな雰囲気でいてくれる。昨日のことなんだけど……とか言い出されたら恥ずかしくて死ぬ。あれは作戦失敗。いけると思ったけど、あまりにも恥ずかしすぎた。イメージではもっと上手くやれるはずだったんだけど……。もう! あたしの意気地なし! こんなんじゃ本番のときだって怖じ気付いちゃうんじゃないの!? いざとなったらやっぱり恥ずかしくてできないとか、あり得ないからね! 冷静に考えればそんな大したことでもないでしょ!? 裸になって抱き合ってお兄ちゃんの体の一部があたしの中に入ってくるだけ……ああ、もう、やっぱり恥ずかしい!』


 表面上はいつもより少し素っ気ない程度の振る舞いなのに、内面では一人大反省会をしているらしい。筒抜けだと聞いている方が恥ずかしい……。

 少しして、気を取り直すように紗季が口を開く。


「えっと、お兄ちゃん、今日は坂田先輩とお出かけなんだよね?」


『そんなわけないけど、考えても誰と出かけるのかわからないんだよなぁ……。いったい誰なんだろう? 神坂先輩ともちょっと会うみたいだよね。でも、それとはまた別の人……?』


「ああ……今日は卓磨とだよ」

「ふぅん。二人で?」

「まぁ、うん」

「ふぅん……。珍しいね」

「そういうこともあるさ」

「そっか」


『色々と聞き出そうかとも思ったけど……余計なことはしないで、尾行して真実を突き止めればいいかな。ここは刺激しないでおこう。無関心っぽい方がお兄ちゃんも油断するでしょ』


 紗季は本当に心理戦を仕掛けてくるよなぁ……。心の声が聞こえてなかったら全く勝ち目がなかったよ。聞こえてても勝ち目がない気もするけど。

 表面上は穏やかに食事を続けていると、俺のスマホに着信。まさか、岬先生? 特に何もなければ一切連絡せずに待ち合わせ場所に、とのことだったが、何かが起きたのか。


「……うん? 神坂さんから? 朝からなんだ?」

「神坂先輩? どうしたんだろうね? 出てみたら?」


『神坂先輩と会うのは八時だったはず……。何の用事が知らないけど、あたしとお兄ちゃんの二人きりの時間を邪魔するとか万死に値するわ』


 表情だけにこやかなの、やめてくれませんかね? 余計に怖いですわ……。


「……ちょっと出てみる。もしもし? 神坂さん、どうしたの?」


『おはよー! ちょっと早いけど来ちゃった。すぐ近くにいるんだけど、入れてもらえない?』


「へ? もう来たの?」


『早く目が覚めちゃって。迷惑かなと思ったんだけど……やっぱり無理? 無理なら、少し時間潰してくるよ』


 神坂さんは神坂さんで強引に来たな……。申し訳ないが、紗季とは会わせたくないし、そもそも神坂さんは俺が卓磨と会わないことくらい知っているはず。これはまずい状況だ。少し散歩でもしてもらおう……。


「神坂先輩が来てるの? なんだぁ。やっぱり神坂先輩とお出かけだったんだね。別にあたしに隠さなくてもいいのにさ! せっかく来てるならあがってもらおうよ! あたしも神坂先輩に会いたいし、別にいいでしょ?」


 俺が答える前に、紗季が妙に明るく言った。スピーカーを使っていたわけではないが、静かな室内なら音漏れで会話は聞こえてしまったようだ。……ということでいいんだよな? 特殊な細工のせいとかじゃないよな?


「あー……うん。そうだな。紗季も会いたがってるみたいだし、来てくれて構わないよ……」

『本当? ありがとう! 急にごめんね! 埋め合わせはいずれ!』

「……まぁ、気にしないでくれよ」


 ひっそりと溜息を吐いていると、すぐにチャイムが鳴る。本当にすぐ近くまで来ていたらしい。

 くっ。これは、いったいどう切り抜ければいいのだろう? 紗季と神坂さんという二人の名探偵を前にして、俺は岬先生とのデートを隠し通せるのか?

 ……まぁ、無理だな。うん。無理に決まっている。

 しかし、岬先生のためにも、ここはぎりぎりまで頑張ってみよう。俺は二人の心の声が聞こえるというチート能力がある。きっと、きっとなんとかなるさ!

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