第18話 用事
「用事の前に、部室に鞄だけ置いていいですか?」
岬先生に声をかけると、笑顔で了承してくれる。
「うん。いいよ。ついでに、東さんにも少し藤崎君を借りるって伝えておこう」
「借りるって……。俺は東先輩の所有物的なポジションではありませんよ」
「藤崎君は鈍いなぁ。そんなんじゃ、よほど親切に気持ちを伝えてくれる相手とじゃないと恋愛できないよ?」
「へ? どういうことですか?」
「なーんでもありません。自分で考えましょう」
『私の気持ちにも気づかないし、東さんの気持ちにも気づかない、か。あんなにわかりやすく、ずっと藤崎君のことを待ってるのに。部活の参加率は元から高かったけど、毎日毎日部室に顔を出すようになったのは藤崎君が入部してから。それはつまり、そうういうこと。
とはいえ、東さんは東さんで、いまいち自分の気持ちがわかってない様子なのよねぇ。毎日会いたいとか、同じ空間にいたいとか、傍にいてくれると落ち着くとか……。それって、好きってことじゃないの?
片時も忘れられなくなるくらい相手を想って、ドキドキが止まらないような気持ちだけが恋ってわけじゃないのに。
……なんて、東さんには教えてあげないけど。そっちがぼんやりしてる間に、私がもらっちゃうもんね』
えっと……東先輩の気持ちって、そういうことなのか?
俺に対して特に思い入れのある態度ではない。好感度も「53」にすぎない。
この数字なら、俺に対しての気持ちはさほど強くないのだと思っていた。でも、実はそうでもないのだろうか。恋に落ちる一歩手前……くらいの認識?
そう、なのかな。東先輩の心の声は聞こえないから、全然本当のところがわからない。
ただ、どうでもいいと思っている相手に対して、『付き合ってみる?』なんて言わないよな。
うーん……東先輩とどう接すればいいのかわからなくなってきた。明確に俺を狙っているわけではなさそうだが、俺からすると一番すっきりと付き合える相手かもしれない。いや、そんな軽い気持ちで付き合うなんて酷すぎるか。
考えても答えは出ないので、現状維持でいくしかないと結論づける。
部室までやってきて扉を開けると、東先輩が特に関心もなさそうな目でこちらを見てきた。
「ああ、藤崎君、遅かったね」
「遅れてすいません。ちょっと野暮用で」
「……藤崎君も、いつの間にか破廉恥な言葉を使うようになったね」
「あれ? 野暮用って言葉、世間的にもそういう認識になってるんですか?」
この二人がいつかそういう話をして共通の認識を持ったのか、俺の知らないところでその認識が一般的になったのか。前者、だよね?
「藤崎君は遅れてるねぇ。あと、岬先生、お帰りなさい」
「うん、ただいまー。でも、ごめん、もうちょっと藤崎君借りてくね。さ、藤崎君、鞄を置いたら出発だよー」
「あ、はい。すみません、東先輩。岬先生のお手伝いに行ってきます」
俺は鞄を机の上に置き、部室の出入り口へ向かう。
「ふぅん。お手伝いね。じゃぁ、また」
「はい。すぐに戻ります」
東先輩は、部室を後にする俺の方をもう見ていない。自分の作業に集中している。
『東さん、恋愛下手ねぇ……。無関心なフリなんて、余計に相手から関心を持たれなくなるだけなのに。気になるなら、自分も行く、とか言わないと。悪いけど、藤崎君に関しては譲るつもりはないから、優しくはできないよ?』
どうも、岬先生には東先輩の態度がそういう風に見えるらしい。うーん……難しい。やっぱり、俺は大変な鈍感な部類になるのだろう。
「藤崎君、ついてきて」
「はい。わかりました」
『さぁて、なんの用事もないんだけど、どうしよ? それっぽい用事、ひらめけー! 頼んだぞ私の潜在能力ー!』
岬先生が急に祈りはじめて、思わず笑ってしまいそうになる。
岬先生は大人で、ずるさというのも感じるけれど……やっぱり、可愛いところもあるんだよなぁ。
同級生だったら、心おきなく好きになっていたのかな……。
『どうしよっかなー、用事なんてなんにもないんだけど、それらしきことをしないとカッコ悪いよねー。あ、そうだ。購買にお菓子買いに行こ。三人で食べる用に、って言えば、ちょっとは体裁も整うでしょ』
のほほんとそんなことを考える岬先生に連れられて、俺は学校内を歩き回る。購買は一階にある食堂に併設しているのだが、何故だか階段を上っている。随分遠回りをしていると思うが、本当に購買に行くのだろうか?
それに、時折他の生徒ともすれ違っている。岬先生の心情を考えればあまり目立たない方が良いはず。でも、逆にここまで堂々と振る舞い、すれ違う生徒に朗らかに挨拶していると、全く怪しく見えないのも確かだ。
「……岬先生、どこに向かってるんですか?」
「ふっふーん? 到着してからのお楽しみー」
「どういう催しですか、これは」
「先生と校内を散歩するっていう催しだよ?」
「……字面だけ見ると興味が沸かない催しですね」
「確かにー。先生と校内散歩だなんて、私が高校生だったら絶対嫌だわー」
「それを俺に強要するってのはどうなんでしょうね?」
「別にいいじゃない。私と散歩したい男子高校生は案外多いのよ? 私の脳内アンケートでは、実に学校の七割の男子が希望してるわ」
「それ、完璧に先生の妄想じゃないですか。……でも、実際アンケート取ったらそれくらいの数字にはなりそうですね」
もっと多いくらいかな。先生としても人気があるし、女性としても魅力的なのだから。
「そんな光栄な散歩に連れ出してるんだから、藤崎君ももっと喜んでいいんじゃない?」
「健全な高校生たるもの、先生とのお散歩で浮かれるわけにはいきませんよ。先生と生徒なんて、男女としては結局上手くいかないのも目に見えてますからね」
「あーあ、そんな夢のない発言をするなんて、藤崎君も意外と俗世に染まってるね。たとえ世間が許さなくても、自分の気持ちを貫くのが若さってものでしょ?」
「先生、『若気の至り』って言う言葉、知ってますか?」
「んー、私の辞書には載ってないみたい。多分、永久に記載されることはないでしょう」
「……そうですか」
『うーん、いまいち反応良くないなぁ。この調子だと、まだまだ私に特別な関心は持ってくれないのかな……。こんなつかず離れずじゃダメかも。もっと積極的に揺さぶる手を考えた方が良さそうね』
何やら思案を始める岬先生。俺と会話しながらもあれこれと考えを巡らせる。その思考の流れはちょっと俺には刺激が強すぎて、下半身の血の巡りが良くなってしまった。
二分程してからようやく思考がまとまり、ある程度は無難なところに収まってくれた。ほっとしたような、残念なような。
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