第17話 野暮用
「や、どうしたの、藤崎君。随分悩ましげだね? もしかして、『さっき俺の名前を覚えていた女の子、俺のこと好きなんじゃ……』とか考えてるのかな?」
「……違いますよ。その程度で勘違いするほど、女子を未知の生命体と思ってるわけじゃありません」
「そう? ま、妹ちゃんもいるもんね。流石にそこまで童貞脳じゃないか」
「……高校教師が、滑らかに童貞とか言わないでくださいよ」
軽く抗議すると、岬先生は形の良い唇を緩く歪める。
「いいじゃん、そのくらい。大学生くらいになったら、当たり前みたいに日常会話で飛び交うワードなんだから」
「日常会話で飛び交うんですか? 男も女も関係なく?」
「関係ないかなぁ。皆一日三回は童貞って言ってるよ?」
「……胡散臭いですけど、まぁ、いいです。大学生になったらわかると思うんで」
「そだね。そんなことより、藤崎君はどうしてまだこんなところにいるのかな? いつもなら部室にいる時間じゃない?」
「野暮用がありまして」
「あらあら、どこで覚えたのそんな言葉。破廉恥だわ」
「破廉恥!? 何がですか!?」
「破廉恥極まりないじゃない。野暮用だなんて、浮気の言い訳にしか使われない意味深ワードだよ。藤崎君、さては他の女と会ってきたのね? 私というものがありながら!」
「ちょ、先生、冗談でもそういうこと言わない方がいいですって。誰かが聞いてて、面白おかしく噂話にされたら、岬先生の立場が危うくなるんですから」
「あっはっは。確かに。今のは失言だったかも」
『失言だけど、気分的には本心だからなぁ。私がいるのに、藤崎君は他の女の子に興味を持っちゃうのかな? そんなの、許せないんだけど?』
「……えっと、先生、とにかく、俺は今から部室行きますんで。では」
「それなら一緒に行こうよ。私もちょうど部室に行くところだったし」
『っていうか、藤崎君がいなくて退屈だから、探しに来たんだけどね』
「いいですよ……」
「で、結局何をしてたの? 部活の担任として、藤崎君のさぼりについて追求する権利があるんだよ?」
「……今まで他の誰に対しても追求なんてしてないじゃないですか。基本自由参加で、来たいときに勝手に来る。それがうちの部のやり方でしょう?」
「その制度は今だけ撤回されたの」
「なんでですか……。横暴な」
「私は部活の顧問だよ? 漫画部においては私がルール。誰にも文句は言わせない」
「岬先生、キャラ変わってますよ」
「あはは。かもね。っていうか、そんなに人に話せない理由なの? それならあえては訊かないけど」
「いえ、そうでもないですけどね」
岬先生も、俺のことを好き。それがわかっているからこそ、撮影会やダンス鑑賞について話すのにためらいがあった。気にしすぎかな……?
仕方なく、先ほどまでの流れを説明。
すると。
『ふむふむ……。紗季ちゃんとのダンス鑑賞会は、まぁ、仲のいい兄妹が戯れてるだけかな。それにしても仲が良すぎる感じはあるけど、この話だけじゃ深いところはわからない。兄妹間で本気の恋愛感情が生まれるなんてそうそうないし、そんなに気にしなくていいか。
それより、神坂さんについては要注意な気がする。彼氏でもない、写真の専門家でもない男の子に、自分の写真を好きなように撮らせるかな? 普通はそんなこと許さないよね? 藤崎君とそこまで仲良しだったのかな? 授業以外での神坂さんを知らないから、これも何とも言えない部分はある……。だとしても、もしかしたら、神坂さんは藤崎君を狙ってる? そういう想定をしておいたほうがいいってこと?
神坂さん……。勘違いだったら悪いけれど、あなたは私の敵って認識に切り替えるわ』
撮影会をしただけで、こんな推理が働くものなのだろうか。
俺は女心はわからないから、岬先生の推理が妥当なものなのかはわからない。でも、岬先生は神坂さんを要注意の敵と見なしたようだ。紗季にも岬先生にも狙われるなんて……。神坂さん、逃げて……っ。いや、俺が軽々しく話したせいなのだから、俺が守らないと……っ。
神坂さんの身を案じる俺であったが、岬先生とて今から神坂さんを暗殺しにいくわけではない。表面上は至極穏やかに微笑んでいる。
「藤崎君、漫画部のくせに充実した青春送ってるじゃない。羨ましいなぁ」
「充実って……。妹に振り回されて、友達の彼女にいいように使われてるだけですよ」
「それでもいいじゃない。なんにも起きない人には、本当になんにも起きない高校生活になるんだから。男の子からしたら、仲良くしてくれる女の子が一人でも二人でもいてくれたら、それだけで最高の三年間でしょ?」
「岬先生はどうしてそんなに男心を理解してるんですか? 高校生男子の心情を取材したことでもあるんですか?」
「そんなことはしてないよ。でも、何となくわかるの。そりゃ、男と女の違いはあるけど、私だって一時期はものすごく地味で、友達は二次元にしかいないような生活だったんだから」
『……思い出したくもない、過去の話だけれど』
先生の吐き捨てるような心の声が、俺の胸にチクリと突き刺さる。
この件については、あまり触れない方が良さそうだ。
「……へぇ? そうなんですか? 全然そんな風には見えません。昔から、朗らかで人見知りもほとんどない、人気者だったんじゃないですか?」
「お? それ、遠回しに私を褒めてる? 今の私はそんな素敵な女性に見えるって? 嬉しいなぁ。褒めてもほっぺにチュウくらいしかできないよ?」
「いや、だから先生としてそれはダメでしょ……。止めてくださいよ」
「なにぃ? 私のチュウが受け取れないってかぁ?」
「そ、そうじゃないです。ただの冗談だってわかってますけど、万一岬先生が解雇とかなったら、学校の皆が悲しむじゃないですか。俺だって悲しいですよ。岬先生は人気あるし、授業もわかりやすいんですから、度が過ぎる遊びは止めてください」
「藤崎君は私の身を案じてくれるね。なんて優しい男の子……。ご褒美にマウストゥマウスをしてあげる。これならキスじゃないから大丈夫でしょ?」
「そのものじゃないですか。ダメですって!」
『むぅ……。手強いなぁ。こっちがこっそり本気で誘ってるのに、なかなか乗ってこない。性欲盛んな童貞男子高校生だったら、軽く誘っただけでもっとドギマギしてくれると思ったのに。
本当に、私がただ冗談で誘ってると思ってる? よほど性格悪くて人をからかうばっかりの人じゃない限り、好きでもない相手には冗談でもこんな話しないんだけどね。その辺の線引きもわからないか……』
何度も言うようですが、本当は、全部わかった上で、全てをスルーしているんですけどね。
わかっているのにわかっていないフリをするのは、ある意味すごくもどかしくて辛い。
全部わかっていると伝えたい。でも、そうしたらこの曖昧な関係を終わらせて、相手の気持ちにきちんと向き合わなければならない。
その覚悟は、俺にはない。本気の好意を正面から受け止めるには、俺はあまりにも未熟すぎる。
「……もうすぐ部室ですね」
「あ、そうだ。ちょっと用事を思い出したんだけど、藤崎君もついてきてくれない?」
不自然な流れで、岬先生が何かを思い出す。だが、当然のごとく。
『用事なんて何にもないんだけど。ただ、藤崎君と二人で歩く時間がもっと欲しいだけだけど』
とのこと。
頼みを断る理由はなく、俺は了解の返事。
さて、俺はこんな岬先生とどう向き合うべきなのか……。まだ答えは出そうにないな。
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