第15話 妹よ……

 紗季の心の声が聞こえた理由は、すぐにわかった。弓道場前で、紗季が部活の仲間と一緒におしゃべりしていたのだ。

 紗季はダンス部に所属しているのだが、練習場所は固定されていない。部員全員で何か一つの演目をやる場合は別だけれど、それ以外ではいくつかの候補の中から抽選で割り当てられ、練習するのだとか。

 そして、その候補の一つが、弓道場前。入り口にガラスの扉があり、それを鏡の代わりとする。今日はたまたま、紗季たちのグループ三名が弓道場前に来ていたようだ。

 いや、別に紗季に目撃されたからって、客観的に見ればそれがなんだって話である。紗季は恋人ではないのだから、浮気現場を見られたわけでもない。

 しかし……紗季の俺に対する好意は、兄妹の関係を軽く越えている。心の声がわかるようになってから、紗季が毎日毎日俺と結ばれることを夢見ているのを知った。しかも、独占欲も強く、俺が他の女子と仲良くなるのを良く思っていない。


「ん? どうしたの?」


 急に黙り込んだ俺を見て、神坂さんが尋ねてくる。そして、視線の先にいる紗季に気づいた。


「あ、紗季ちゃん。今日は弓道場前に来てたんだね」

「あ、ああ。そうみたいだ」

「……紗季ちゃんがそんなに気になる? えっと……わたしと一緒にいるのを見られたら、なんかまずいんだっけ?」


『二人はただの兄妹だし、別になんにも問題はないよね? けど、紗季ちゃんって藤崎君のこと好きみたいだし、もしかして嫉妬しちゃうのかな? ……なんて、流石にそんなことはないか』


 そんなこと、あるんだよなぁ……。


『あの女……馴れ馴れしくお兄ちゃんと並んで歩くなんて許せないなぁ。っていうか、あんたは坂田先輩の彼女でしょ? 気持ちは冷めてるのかもしれないけど、まだちゃんと別れたわけでもないのに、関係を解消する前から他の男の子に色目使うってどういう神経なのかな? まぁ、お兄ちゃん以外の人に対してなら何をどうしようとどうぞご勝手にって感じだけど、お兄ちゃんをたぶらかそうっていうなら黙ってないよ? 死ぬよりもつらい思いを味わわせてあげようか? あたしにできないと思わないでね? お兄ちゃんを救い出すためならあたしはどんな手段も厭わないよ?』


 ヤバイヤバイヤバイ。紗季の思考が怖すぎる。紗季、俺はお前が本当は心優しい子だって信じてるぞ? 色々考えているようだけれど、考えているだけで実際に神坂さんをどうこうしようとはしないよな? そうだよな?

 非常に不安になり、体中から冷や汗がだらだら。先ほどまでの浮かれ気分はさっぱり消えてしまった。

 不安で胸がいっぱいだが、とにかくまずは紗季の心を落ち着かせなければ。


「よ、紗季。今日はこっちに来てたんだ。全然関係ないけど、髪を結んでるの似合ってるな。可愛いぞ。家でもそんな感じにすればいいのに」


 やや強引な流れで紗季を褒めてやると、延々と続いていた呪詛の思考が止まる。


『可愛いって言われた可愛いって言われた可愛いって言われた! 普段そんなこと言ってくれないのに、急にどうしちゃったの!? お兄ちゃん、もしかしてようやくあたしを一人の女の子として見てくれるようになったのかな!?』


「……あ、お兄ちゃん、部活も行かないでなんでこんなところにいるの? しかも、神坂先輩と一緒だし。え、もしかして、お兄ちゃん、神坂先輩と……?」


 その表情は、ラブの予感にウキウキする無垢な女の子そのもの。

 そして、心の心の声も直前までは明るかったのに。


『……付き合い始めた、とか言われたら、この女は徹底的に打ちのめすしかないかな』


 怖い……。怖いよ、紗季。

 恐怖心は決死の思いで押しやって、俺もにこやかに返す。


「はは。違うって。神坂さんは卓磨の彼女。今日はちょっと用事があって、たまたまここまで送り届けただけ」

「ふぅん……。そっか。でも、お兄ちゃん、本当にそういうときが来たら、隠さずにちゃんとあたしに言ってよね? お兄ちゃんなんて至らないところばっかりなんだから、あたしがちゃんと女の子との付き合い方ってのを教えてあげる」


『まぁ、付き合い始めた時点で、どんな手を使ってでもその女を追い払うけど』


「……おう、そのときが来たら、宜しく頼むよ。俺一人じゃ、神坂さんと付き合ったとしても初日にフられてしまう」


『藤崎君、それは絶対ないよ。むしろ一生離さないかも』


 気軽に言った俺の言葉に、真っ先に神坂さんが反応。動揺を隠すのに苦労した。


『お兄ちゃんを、付き合って初日でフるとかだったら、それはそれでムカつく。お兄ちゃんの良さがわからない低能女なら、さっさと滅びればいいのに。

 っていうか、今一瞬、神坂先輩、お兄ちゃんに妙な視線を送ったよね? これはこれは……。お兄ちゃんは気づいてないみたいだけど、やっぱりそういうことだよね? ふんふん。既に妙に親しげだし、こっちも悠長に構えてはいられない、ってことね?』


 紗季……。お前、鋭いなぁ……。神坂さんの一瞬の視線でそこまで気づくなよ……。


「お兄ちゃんの、そうやって素直に教えを乞えるところはいいと思うよ。っていうか、まずは彼女ができるように色々と変えないとかな? 明日、一緒に買い物行こうか? お兄ちゃん、どうせ予定なんてないでしょ?」

「予定がないんじゃない。俺は自由をこよなく愛しているだけなんだ」

「はいはい。ささやかなプライドを保ってもらうために、そういうことで納得してあげる」


 俺と紗季のやり取りを見て、神坂さんがクスクスと笑う。


『仲いいなぁ。こんな兄妹、憧れる……。それに、お兄ちゃんの顔をしてる藤崎君もカッコいいや。うん、好き』


 ……俺も、単なる仲良し兄妹と思えていたらな。


「……神坂さん、何を笑ってるんだよ。俺たち、なんかおかしい?」

「ううん、そんなことないよ。仲がいいな、って感心してただけ。それじゃあ、わたしは部活行くね。送ってくれてありがとう。あと、ポスター楽しみにしてる」

「おー。できるだけ早めに描くよ。また来週」

「……うん。また来週」


『はぁ……。また来週か。毎日会えたらいいのに。一緒に住んでる紗季ちゃんが羨ましい。でも、妹だったら恋愛できないか。妹にはなりたくないなぁ……』


 神坂さんの後ろ姿を見送ろうとするのだが、ここで紗季が神坂さんに話しかける。


「あれ? 神坂先輩、なんだか浮かない顔ですね。何かありました?」

「え? ううん、そんなことないよ。大丈夫」

「そうですか? それならいいんですけど……。もし何かあったら、あたしにも相談してくださいね? あ、そうだ、ないとは思いますけど、うちのお兄ちゃんが気になっちゃうとかいう日が来たら、お兄ちゃんの落とし方、教えて上げますよ?」


『相談を聞きながら神坂先輩の弱みでも握って、適当に追い払っちゃおうっ』


「あはは。そうだねぇ、そのときが来たら、紗季ちゃんは強い味方になりそう。藤崎君の好きな料理とか教えてくれたら嬉しいな」


『紗季ちゃんは優しいなぁ。いざとなったら、本当に頼っちゃおうかな?』


「まぁでも、うちのお兄ちゃんを口説くつもりなら、あたしだって黙っていませんからね? あたしの審査を通らない限り、大事なお兄ちゃんはあげられません!」


『絶対に、誰にも渡さないよ』


「ふふ。そうだね。紗季ちゃんの審査は厳しそうだなぁ。藤崎君の彼女は大変だ」


『紗季ちゃんって本当にお兄ちゃんが好きなんだなぁ。羨ましいよ、藤崎君。わたしもこんな妹が欲しいなぁ。あ、わたしと藤崎君が結婚したら、本当に妹になるのか……。って、それは気が早すぎ!』


『ん? 今、変な笑い方した? なーにを想像したのかな? もしかして、あたしみたいな妹がいたらいいなー、とか暢気に考えた? それから、お兄ちゃんと結婚したら本当に妹だー、とか思っちゃった? はっ。そんな未来は永久に来ないよ? 来るわけないよ? むしろ、お兄ちゃんに近づくなら、当たり前にあるはずの未来さえも来るかわかんなくなっちゃうんだからね?』


「それじゃあ、紗季ちゃん、わたしも部活があるから行くよ。またね」


『紗季ちゃんが妹……。楽しそうだなぁ。って、またそんなこと考えて……。まだ藤崎君と付き合ってもいないのに』


「またいつでも遊びに来てくださいねー」


『お兄ちゃんのことが好きなんだろうけど、近づくようなら容赦しない。まずは気の許せる妹キャラポジションにでもなって、それから一気にドン底に突き落としてやる!』


 あえて言おう。紗季は終始にこやかな笑顔であった、と。

 おっそろしいわ! 紗季、いったいどうしたの? ねぇ、いったい何が紗季をそこまでさせるの? 色々考えているようだけれど、本当に誰かをドン底に突き落とすような真似はしないよね?

 俺は……紗季を信じているよ? ずっと一緒に暮らしてきたんだもの。紗季はとても優しい子。間違いない。

 ……でも、万一のときは、俺がどうにかして紗季を止めなきゃだよな。心が読めるなら、それは難しいことじゃないはず……。

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