第5話 意外
岬先生は要注意人物かもしれない。俺が密かに戦々恐々としていると、東先輩が口を開く。
「それにしても、部室に逃げてくるなんて、また何か嫌なことでもあったんですか?」
「ううん 、特別に何かあったわけじゃないよ。ただ、四六時中先生でいるのって疲れるの。学校でゆっくりできる場所ってここくらいだから、来ちゃった」
「先生、発言が先生っぽくないですよね。生徒にそういう心情を吐露してもいいんですか?」
「本当はいけないんだろうけどねー。でも、私だってまだ社会人二年目。つい最近まで大学生やってたのに、『はい、じゃあこれから社会人なのできっぱり気持ちを切り替えましょう』とかできないよ」
「まぁ、わからないでもないですね」
「東さんも社会人になったらよくわかるよ。年だけ取っても大人になれないこととか、時間の流れにすぐには心が追いつけないこととか。私も、『教師だって人間だったんだな』とか今になって気づいたりするし」
岬先生が俺の隣の席に着き、椅子の背もたれにだらりと体を預ける。岬先生の授業を受けることもあるが、そのときにはもっとしゃきっとしている印象だった。でも、それは結構無理をしているのだろうな。こうしてギャップを見せられるとぐっと来るところもある。
『はぁー。藤崎君と二人きりだったらもっといい気分転換になったんだけどな。東さんがいるのはわかってたし、創作に励む人に出ていってとは言えないよね。藤崎君と、部室でいけないこととかしたいな。学校で教師と生徒が禁断の関係に……。いい、これはいい。単なる妄想で終わらせたくないっ』
岬先生を横目で見ていると、岬先生が俺に笑顔を見せる。
「どうしたの? 今日はやたらと私を見てくるじゃない」
「あ、いえ、なんでもないんですけど」
『今の視線は……なんだろう? 残念だけど、恋する少年の目ではない気がする。私、何か変だったかな? という感じでもないか。でも、見てくれるのは嬉しいな。あーあ、いっそ全部見てほしいなぁ』
ぜ、全部ってどういうことっすかね?
わかるけど、わかっちゃいけない気がする。この場では特に。
妙に緊張しつつ、話を変える。
「……あー、先生って、家ではいつもどんな漫画描いてるんですか?」
岬先生は、お飾りの漫画部顧問ではなく、本当に漫画を描ける人である。プロとまではいかないが、単なる素人とは段違いの実力者。学生の頃はそういう活動をしていたし、コスプレなども嗜むのだとか。人によっては理想的な教師かもしれない。
「ん? 前に言わなかったっけ? 私がよく描いてるやつは学校では見せられないよー、って。普通に十八禁だし」
「その、十八禁の中でもどんなジャンルなのかなー、とふと思いまして。BLですか?」
「私はBLを描かないよ。オタク系女が皆、BLを描くわけじゃない。あ、私については、読むのは好きだけどね?」
「あ、そうなんですね……」
『私が描くものが気になるってどういう心境? 教師と生徒の禁断の愛を描くか気になってる? ってことは私に気がある……? 今度二人きりになれたとき、それとなく誘ってみようかな……?』
聞こえているものは、本当に心の声なんだろうか。岬先生は、本当にこんなことを考えているのだろうか。
「藤崎君は……いい大人が十八禁漫画描いてるとか、BL好きだとか聞くと引いちゃう?」
「そんなことないですよ。大人になったら、学生時代に好きだったものが急にどうでもよくなるなんてことはないでしょうし。大人になっても好きなものを好きって思えるのは、いいことだと思います。僕も、将来はそんな風になりたいですね」
「そっかぁ。そう言ってもらえると嬉しいな」
『藤崎君は私みたいなのに理解があっていいな。親なんか、『いつまでお絵かきなんかやってんの、もう子供じゃあるまいし』とか言ってくるもんね。ちゃんと就職して稼ぎもあるのに、文句言われる筋合いないっての」
先生の表情は笑顔のまま。しかし、その内面では色々と思うこともある様子。
ふと、この流れは、聞こえているのが心の声であるのかの確認に使えるのではないかと思う。
「……先生の周りに、先生のことを悪く言う人でもいるんですか?」
「悪く言うっていうか、『いつまでも子供じゃないんだからお絵描きは卒業したら?』とかは親に言われる。こっちだって分をわきまえて、あくまで趣味とか副業の範囲で活動してるんだから、文句言われる筋合いはないのにさ」
「あー、なるほどー」
これは、もうほぼ心の声で確定でいいだろう。俺の勝手な妄想でここまで先生の内情と合致することはあるまい。
俺が密かに心の中で頷いていると、東先輩が不意に目付きを鋭くする。
「先生の親御さん、それは酷いです。今でもまだそんな親がいるものなんですね。親世代がやってることなんて、どうせ酒かゴルフか野球観戦とかくらいでしょ? もしくはただ時間とお金を浪費する旅行ですか? そうじゃなかったとしても、たいしたことなんてしてないのに、人の創作活動を否定するなんておかしな話です」
「あはは、本当にそうだよね。うちの父親なんか、平日の夜はテレビ観ながらお酒飲んで、休日はゴロゴロするかドライブするか。
私のやってることを子供の遊びって言う割には、自分は子供より生産性のない生活してる。一般的に大人がすることをやって、自分はもう子供じゃないですよ、立派な大人なんですよ、って言える状況に安心しちゃってる感じなんだよね」
「ある意味、可哀想です。そういう生活が幸せだと思っていたり、あるいは自分の幸せを望まないことが、大人として立派なんだと思い込んでいたり」
「ま、そういう育ち方をしてる世代、もしくは、そういう育ちの世代に育てられた世代だから仕方ないよ。それに、がむしゃらに働くことだけを考えてた世代が、日本を成長させてくれたっていう一面もあるしね。頭ごなしに否定はできないよ。お互いに」
「……そうですね。お互い様かもしれません」
ニュフフ、と不敵に笑う岬先生。この笑みはなんだろう、と思っていたら。
『今の私、結構かっこいいんじゃない? 大人の女って感じじゃない? 藤崎君、私に惚れちゃったんじゃない?」
どうも、頭の中は俺のことで一杯みたいだ。光栄ではあるけれど、かなり意外だし、かっこよさが何割か減じてしまっている。
その後も十分程おしゃべりをしていたら、岬先生が立ち上がった。
「それじゃ、また放課後に少し顔出すねー」
『あー、藤崎君と離れるのは寂しいよぅ。でも、いつまでとダラダラしてられないし。藤崎君と結婚しても、ちゃんと養ってあげられるようにしなきゃだもんね。頑張ろー」
なんで俺、養われることになってるの!?
岬先生には俺がどう映っているのだろうか? そんなに頼りない?
心の声に問いかけるわけにもいかず、岬先生はいい匂いを残して去っていった。
大人の魅力たっぷりで、俺を好いてくれているのは嬉しいのだけれど、なんだか戸惑いの方が大きいな。
「……先生、なんか機嫌良かったね」
「え、そうですか? いつもあんな感じでは?」
「……いつもはもう少しだらっとしてる。今日は饒舌だし、笑顔も多かった。変な感じ」
「ふぅん……」
俺はいつも通りだと思ったが、いつも通りというのがつまり、先生はいつも俺に対して他の人と少し態度を変えていたということなんだろうか。
先生、いつから俺を意識してたんだろう? きっかけは?
色々気になるが、もちろん答えは出ない。しかし、俺が心の声を聞けるというのなら、いずれは自然と答えを知ることもあるだろう。そのときをじっくり待ってみればいい。
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