第30話 狂気……?

「ミュシャの絵って、なんだか現代の人が描いた感じ。最近の人なのかな?」

「うーん、俺はそこまで詳しくないなぁ……」

「ミュシャが活躍したのは百年くらい前かなぁ。この絵柄、実は日本の浮世絵に影響を受けてるんだってね。ミュシャは日本の絵が好きで、さらに日本人にはミュシャの絵が好きな人が多い。なかなか素敵な繋がりじゃない?」


 岬先生が会話に割って入ってきて、俺と神坂さんが振り返る。


「あ……岬先生」

「岬先生、おはようございますっ。こんなところで会うなんて奇遇ですね?」

「……そうだねー」


 挑戦的な笑みを浮かべる神坂さんに、どこか闇を感じる笑みの岬先生。……正直、怖いっす。


『本当に岬先生が来た……。嘘だと思ってたわけじゃないけど、いざとなると緊張するな……。岬先生も、わたしがここにいる意味はもう見抜いているはず。戦いは、もう始まってる!』


『奇遇だなんて白々しい。うーん、藤崎君から漏れたとしか考えられないし、意外と口の軽い子なのかな? 秘密はきちんと守れる子じゃないと、上手くいくものも上手くいかなくなっちゃう。ちょっと強めの指導が必要ね? ……これはこれでたぎるかも。ふふっ。

 それはそうと、この雰囲気、神坂さんはやっぱり私の敵ね? ふぅん……そうなんだぁ……。私と戦おうなんて、無謀なことをする小娘だわぁ……』


「岬先生、ミュシャに詳しいんですか? わたし、全然こういうのわからなくて……」

「私も趣味程度に知ってるだけ。でも、美術もちゃんと学んだらすごく面白いんだよ?」

「そうなんですか? 正直、特に現代アートって言われてる奴、本当に意味不明で……」

「それは、アートの歴史がわかってないからだね。

 んー、ざっくり言うと、西洋絵画的には、昔は写真のような絵を描くことが目的だった。

 でも、写真の登場によって、ただありのままのものを描くのが素晴らしいっていう時代が変化した。人間だからこそ、手仕事だからこそできることってなんだろう? って追求する時代に移った感じ。

 そこから色んな紆余曲折があって、最近では、人間の思いこみを突き崩すようなものの見方を、芸術というフィルターを通して伝えるっていう感じになっていってるみたい。現代アートは、見て感動するものって言うより、見て考えるものって感じかな」

「へぇ……?」

「あ、よくわかってないね? まぁ、一言で説明できることじゃないから仕方ないね。でも、現代であってもいわゆる現代アートだけが素晴らしいわけじゃないし、こんなのくだらないって切り捨てるのも悪いことじゃない。感じ方は人それぞれっていうのがアートなの。学校の美術の授業じゃ、それをきちんと教えてもらえないけどさ。

 アートにも色々な種類があるし、神坂さんが気に入るようなアートもあるはずだよ」

「そうなんですね……」

「もし興味があるなら、現代アートとは何かっていうの、無料動画で解説してる人もいるから、見てみるといいよ」

「はい……」


『岬先生は恋敵になるんだろうけど……やっぱりどこか格の違いが……。藤崎君も

こういう話好きそう……。なんだかすごく感心した目をしてるし……。

 で、でも、等身大で付き合える女の子の方がいいって言う男の子も多いはず! わたしにもチャンスはある! エッチだってできるし! あ、それは岬先生もか……。いや、岬先生としちゃったら淫行だもんね!』


『私が神坂さんに負けてるところがあるとすれば……若さ、かな? まだ自分の年齢を嘆くには早いけど、やっぱり女子高生って男の子からすると至上の魅力があるんだよね……。今しか手を出せない相手でもあるし。若さはそれだけで武器だから、油断はできないわね。ゆっくりと、でも確実に……捻り潰さないと』


 そこで、岬先生は俺の方を向き、やや不機嫌顔で言う。


「アートのことはさておき、藤崎君。どうして神坂さんがいるのかな? 一人で来るように言わなかった?」


『岬先生、偶然会ったことにはしないんだ……。わたしも白々しかったし。それで通すのは無理って判断したんだね』


「すみません……。色々あって、神坂さんには岬先生と会うことを話してしまって……」

「ふぅん。……色々あったんだろうけど、藤崎君、秘密を守れない男の子は信頼を失っちゃうよ?」

「本当にそうですね……。反省しています」


『どういう経緯だろう? 男友達と遊ぶんだ、とでも言っておけばいいと思うんだけど、それじゃ言い逃れできない状況に? なんで? 単に意志の弱さとかじゃないよね……。神坂さん、よほど追い詰めるのが上手なの? もしくは、泣き落としでもした? 単なる追求ならまだ抵抗できても、泣き落とし系には弱そうよね……。あーあ、私もちょっと抜かっちゃったなぁ。もっと念押ししておけば良かった』


「終わったことをいちいち言っても仕方ないね。このお店、どう? 面白いでしょ?」

「……はい。面白いです。普通の書店しか知らなかったんで、こういうお店があるって新鮮です」

「個人経営のお店って、独特で面白いんだよね。品揃えがいいわけじゃないけど、新しい本との出会いの場になるって感じ。他にも、パン屋と本屋が併設してるところとか、絵本だけを集めたところとか、色々あるよ」

「へぇ……色々あるんですね」

「そうそう。今度紹介するね。……で、神坂さんは、今日はいつまでついてくるのかな?」


『せっかくのデートを邪魔しないでほしいんだけど?』


「わたし、今日はずっと藤崎君と過ごすつもりですよ?」


『なんだか圧が強いけど、ここで引いちゃダメ! 一日放置したら、藤崎君が岬先生に食べられちゃう!』


「それ、藤崎君が許可したのかな?」

「はいっ」

「ふぅん。そっかぁ……」


 一瞬、岬先生の冷ややかな視線が俺に注がれる。

 ……俺、もしかして生きて帰れないのかな。


「岬先生としてもその方が都合がいいんじゃないですか? 先生として、教え子一人と二人きりで過ごすより、教え子二人と三人で過ごした、のほうが外聞がいいでしょう?」

「ま、そうかもね。でも……もう一回だけ訊くけど、本当についてくるつもりなのね?」


『私の邪魔をするなら、どうなっても知らないよ?』


 岬先生の笑みは実にたおやかなもの。しかし……これは、笑顔で小動物を踏みにじれる人間だけが作れる表情に違いない。


「……ついて行きますよ。わたしの意志は変わりません」


『うわぁ、気を抜くと腰が抜けそう……。岬先生、絶対ただ者じゃない……』


「あ、そ。なら仕方ないね。一緒に遊びましょ?」

「……はい。じゃあ、決まりですね。今日は三人でのデート、楽しみましょう」

「藤崎君もそれでいいのね?」

「……はい」


『神坂さんは帰って、って言ってくれたらキュンとしちゃうんだけどなぁ。っていうか、これが、神坂さんを無事で帰す最後のチャンスかもしれないけど……?』


『よし! とりあえず、二人の間に入り込んだ! まだまだ勝負はこれから!』


 ……やべぇ。俺、どうしたらいいんだろう? 神坂さんの無事を願うなら、この場は強制的に帰ってもらうべきか? でも、神坂さんはどうしてもついてくると言いそうだし……。

 冷や汗をたっぷり流していると、不意に紗季の心の声が聞こえてきた。


『……あれ? 入っていくの見えたけど、やっぱり岬先生だ……。お兄ちゃんの約束の相手って、岬先生だったの……? これは流石に予想外だ……」


 紗季の平常通りの雰囲気がどこか救いだ。

 ただ、声がするということは、紗季が近くに来ているということ。店内は広くないので、入ってきたらすぐに紗季とわかってしまうと思うが……。


「いらっしゃいませー」


 店主が来客に声をかける。え、もしかして入ってきたの?

 視線を来客の方にやる。すると、黒い帽子に茶髪のボブカット、さらに眼鏡をかけた、見知らぬ女の子がやってきた。あれ? 紗季じゃないのか? 服装も、いつもよりアクティブな印象だ。

 神坂さんと岬先生もチラリと来客の方を向くが、ただの他人と思って視線を戻す。


『……よし。気づかれてないね。いつもと全然印象違うから大丈夫! お兄ちゃんにも気づかれないのはなんだか寂しいけど……』


 やっぱり紗季だった。え、紗季って変装の達人なの? 女は化粧で別人になるとも言うけど、そんなに変わる?

 意外な一面だが、とりあえず、気づいていないふりをしておこう……。

 っていうか、紗季のことは今は重要ではない……はず。俺はどうすれば……。

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