第20話 お誘い

 服越しとはいえ、生まれて初めて女性の膨らみをしっかりと味わってしまった日から、一週間が経っていた。

 紗季とは服を買いにいったし、神坂さんのポスターも初校を提出済み。卓磨は神坂さんが少しそっけない雰囲気なのを察しているが、まだまだそれを重大時とは考えていない。まぁ、この一週間にはその他にも色々あったが、細々したことは略。

 そんな中、岬先生はまだ俺に対して特別な要求をしてきていない。概ね『デートしてもらう』ということで決まっているようだが、何かもっと面白い要求が思いつかないかと、考え中のようだ。

 そして、今日はまた金曜日。無難に一日を過ごし、放課後になった。先週は神坂さんとの撮影会があり遅れたが、今日は真っ直ぐに部室に向かう。

 部室のドアを開けると、いつもと違って東先輩の姿はなく、代わりに岬先生だけが一人で黙々と漫画を描いていた。


「あ、藤崎君。東さんは欠席だって。昨日、頑張りすぎてほぼ徹夜しちゃったからきついんだって」

「徹夜って……。そういうのはむしろ今日やるものでしょうに」

「どうしても今描きたい! ってなっちゃったんでしょうね。創作してたらそういうこともあるよー」


『その若さが少し羨ましいけど、とにかくナイス徹夜! おかげで今日は藤崎君と二人きり……。どうせ今日も他には人が来ないだろうし、二人きりの時間を満喫してやるわ!』


 俺は、定位置になっている端っこの席に着席。すると、先生がまたあえて俺の隣に寄ってきた。


「二人きりなんて、ドキドキしちゃうね?」

「そういうこと、先生が言っちゃダメでしょ」

「あはは。確かに」

「まさか、学校内で男子生徒に手を出すとかしてないですよね?」

「してないよー。まだ」

「まだって……。将来的には手を出すつもりなんですか?」


 こんなやり取りに白々しさはある。何も知らないフリも辛いものだ。


「さぁ、どうでしょー?」

「なんですかその反応……。本当に大丈夫ですか?」


 岬先生は意味深な笑みを浮かべるのみ。以前の俺であれば、『あれ、もしかして、岬先生って俺のこと……?』とドギマギするところだろう。しかし。


『もう、『付き合おうよ』って言っちゃいたいなぁ。生真面目で相手を思いやりすぎるところがあるにしても、大人の女性からそんなこと言われたらコロっといっちゃうんじゃないかな? 傍にいるだけでこんなにドキドキするのに、先生と生徒の距離を保つなんてばかばかしいよね?

 そりゃ、いたいけな女の子を毒牙にかけるクソ男教師とかはダメなんだけど、そういうのと一緒にしないでほしいよね。

 教師と生徒、絶対ダメ、っていう雰囲気のニュースを流すのにも意味はある。でも、こうしてただ好きになっただけなら、その恋をまっとうに進めるくらい構わないでしょ?』


 岬先生の気持ちがダダ漏れのため、俺はドギマギするどころか、ドキドキしっぱなしである。

 この二週間ほど、むき出しの好意を向けられてばかりで、俺は紗季、神坂さん、岬先生の三人を非常に意識してしまっている。

 好意を持ってもらえるのは本当に嬉しいことだ。誰か一人だけからそんな好意をぶつけられていたら、とっくの昔にその人と付き合い始めていただろう。三人同時だったから、迷いが生まれて付き合うまでには至らない。


「藤崎君にはまだわからないだろうけど、大人には大人の事情があるものよ。逆に、藤崎君がもし先生を本気で好きになってしまったらどうする? 先生と生徒で恋愛なんてダメだから諦めよう、ってなる?」

「……正直、そのときにならないとわかりません。そういう恋愛はダメだし、破滅の予感がする関係なんて避けるべきだとはわかっています。

 だけど……本気で好きになってしまったら、そんな風には思わないのかもしれません。難しい恋かもしれませんけど、どうにかして恋を成就させる方法を考えるんじゃないかと思います」


 こんな風に考えるのも、岬先生の心の声を聞き続けたからだろうか。

 岬先生だって、先生である以前に一人の女性であって、抑えがたい想いを抱くことはある。

 その想いをどうにかしてコントロールするのが大人。そういう考えもわかるが、コントロールできない心情も想像に難くない。

 まだまだ子供にすぎない俺には、岬先生を否定する言葉は見いだせなかった。


「うんうん。恋をしちゃったら、成就させたくなるよね。一般的に先生と生徒の恋がダメって言われてたって、お互いの気持ちが一致してるなら問題ないじゃん、って思っちゃう」

「その気持ちはわかりますけど、やっぱり先生が言うことではないですね」

「まぁねー。私、先生失格だ」

「……考えるだけなら問題ないとは思いますよ」

「あら、優しい。藤崎君は話がわかるね」


『ふふふふ。藤崎君、先週より態度が軟化してるんじゃない? これなら希望はありそう。

 ただ、結局のところ一番の問題は藤崎君の気持ちかな……。藤崎君は私のことどう思ってるんだろう?

 この反応を見るに、私にもチャンスはあると思う。でも、先生と生徒って、やっぱりそれだけでかなりの障害だもんね。その障害を乗り越えてでも、どうしても一緒にいたいと思ってくれるほどの熱い気持ちは、まだないと思う。

 かといって、このまま先生と生徒の関係に終始してても、私たちには先がない。どうにかして一歩進めなきゃ。

 時期尚早かもとか考えてたけど……お願いをするなら、今かな。ふぅ……いざとなると緊張するなぁ』


 岬先生の思考がまとまり、ついにきたか、と俺も身構える。


「ねぇ、藤崎君」

「なんでしょうか」

「明日、少し時間ある?」

「え? まぁ、特に予定らしい予定はありませんけど」

「ならさ、先生と一緒にお出かけしよ?」

「へ? お出かけって……。確か、先生と生徒がプライベートで出掛けるって、ダメなんですよね?」

「あはは。まぁ、そうだね」

「そうだねって……。じゃあ、ダメでしょう」

「藤崎君、先週の約束、覚えてる?」

「……覚えてますよ」

「じゃ、明日は二人でお出かけね? そういう約束でしょ?」

「約束はしましたけど……。岬先生、バレたら……」


 いざ誘われると、ためらいも大きい。これは、岬先生からすると非常にリスクの高い誘いなのだ。


「大丈夫。私のことは心配しなくていいから」

「でも……」

「いいからいいから。だいじょーぶ。それぞれ勝手に休日を過ごしてたけど、たまたま同じ場所に行って、せっかくだからしばらく一緒に過ごして、別々に帰りました、っていう感じにすればいいんじゃない?」

「……それで通用しますかね?」

「私たちがそれで通せば、そういうことになるよ」

「強引な……。岬先生はそう言いますけど、リスク高いですよね。そもそも、そんな危険を冒してまで、どうして俺とお出かけしようとするんですか?」


『そんなの好きだからに決まってるでしょ。ってことくらい、本当はわかってるよね? ただ、こういうのに慣れてないから、確信が持てないだけよね? 自分の気持ち、伝えちゃいたいけど……今は、まだ』


「一緒にお出かけしてくれたら、教えてあげる」

「そうですか……」


 全部ダダ漏れの答えを、知らないフリをする演技力も上がってきたかな。


「連絡先を渡しとくね。誰にも内緒だよ?」


 先生が連絡先を書いた紙片を渡してくる。

 受け取って良いものか……。迷うところだったが、結局は受け取った。めちゃくちゃに好意を持ってくれる先生のことを、拒絶なんてできなかった。普段何を考えていようと、いざとなると俺の意志なんて薄弱だ。


「誰にも言いませんよ」

「ん。明日のお出かけのことも、誰にも内緒だよ?」

「……まだ行くとは言ってませんよ?」

「え? 何を今更。連絡先を受け取ったら、後には引けないよ?」

「強引ですね……」

「そうしないといけないときもあるの」

「そういうものですか……」

「うん。そうなの」


『うーん、まんざらでもない雰囲気だけど、まだ迷いはあるみたいね。私が誘ったらもっと乗り気になってくれると思ってたのに、流石に思い上がりだったか……。だとしても、これからよね。デートを明確に断らなかった時点で希望はあるはず。

 とはいえ……なんだか緊張して来ちゃった。デートは明日だし、一晩じっくり考えて、やっぱり行きませんとか言われたらどうしよう? めちゃくちゃへこむ……。明日一日泣き暮らすかもしれない……。あ、想像したら涙が出そう……。

 冷静に考えれば、私のしてることって倫理違反なのよね……。先生としてはあるまじき行為……。たとえ私にある程度の好意を持ってくれていたとしても、こんな倫理違反を犯す人なんて、藤崎君は嫌いになってしまうかもしれない。そんな人だとは思いませんでした、とか……。

 うぁ……やばい。本格的に泣きそう。誘う前は興奮して余計な心配は頭に浮かんでこなかったけど、今になって不安が募ってきた……。

 先生としての立場を考えて、こんなことするべきじゃなかったのかな? でもでも、先生だからって諦められない気持ちが私にはあったの。

 だからこそ、リスク承知で藤崎君を誘った。後悔なんてしないって、思ってたはず。

 藤崎君も考え込んじゃってる……。早く何か言ってくれないかな……? この際、やっぱりダメです、とかのお断りでもいいから、いや、それは嫌だけど、何か言ってほしい……。うー、心臓が痛い……」


 岬先生は、ただ穏やかに微笑んで、俺の言葉を待っているのみ。でも、内面ではたくさん葛藤していて、弱い一面を覗かせている。

 岬先生は、強い人だと思っていた。自信に満ちていて、自分の行動に迷いなんてない人だと……。けど、そんなことはないんだな。俺より少し年上なんだけの、普通の人なんだな。

 そう思うと、岬先生が余計に可愛らしく思えてくる。してはいけないことをするのには抵抗もあるけれど……。


「先生」

「ん?」


『き、来た! 何!? どうなの!? 私は非常識なアバズレ!?』


「あの……わかりました。お出かけ、しましょう」

「そう? やったね。ちなみに、どこか行きたいところある?」


『やったああああああああああああああああああああああ! デートよデート! 明日はついに藤崎君とデート! 世界が明るく輝いている! ふふふ、これはもう、一気に攻めるしかない! ホテルよホテル! もう私のこと以外考えられないっていうくらいの快感をその体に刻みつけてあげないと!』


「あ、えっと……具体的にどこに行きたいとかは、まだ」


 っていうか、思考が本当にエロいのどうにかして。俺、まだ女性経験ないんです。今回のお出かけで、そこまでの関係になるつもりはないんです。俺が誰かを選ぶにしても、ちゃんと相手のことを知ってから判断すべきという気持ちがあって、今回は軽いお出かけのつもりで……。


「私はねぇ……」


 見た目は平静、心はテンションマックスな岬先生。その気持ちの全てに応えられるわけではないが、その心に触れているだけで無性に嬉しい気持ちにはなってしまう。

 その後、先生が明日のデートプランについて話を進めて、部活の半分くらいはそれで終わった。一応、このときにはホテルの話は出なかったが、しきりに心の中でホテルホテルと連呼されて、下半身が反応してしまっていた。

 本当に誘いに乗って良かったのか。迷いはまだ残っているが……楽しみに思ってしまう部分があるのも事実。いや、別にいやらしいことをするつもりは……ちょっとしかないんだけどさ。俺はへたれだから、そこまではいかないだろう。うん。

 っていうか……了承してから改めて心配になるけど、岬先生とのデート、紗季にバレたらダメだよな……? 神坂さんに対しても嫉妬を覗かせていたし、俺が岬先生とデートだなんて知ったら……恐ろしい結果になりかねない。

 浮かれている岬先生に、やっぱり無理ですとも言いづらい。このデート、無事に完遂できるか…?

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