第10話 相談

 紗季の心の声におののいたのは、ひとまず出会い頭のみ。

 仲のいい兄妹としての距離を保ちつつ、午後七時半頃に無事帰宅。

 母は既に帰宅していて、夕食の準備も済ませてくれていた。俺と紗季は自室に鞄を置き、一端部屋着に着替えてからリビングへ。

 三人が揃ったところで夕食開始。父親は概ね八時半頃に帰宅するので、夕食はこの面子だ。

 客観的には普通の食事風景。しかし、その中でも、俺はまた妙な緊張を強いられてしまった。


『ああ、やっぱりお兄ちゃんの傍にいられるって幸せ……。お兄ちゃんが隣にいるだけで濡れてきちゃう。部屋に帰るといつも染みになってるんだよなぁ。誰かに見られたら恥ずかしいけど、お兄ちゃんには見てもらいたいかも……。あ、想像したらもっと濡れてきた。部屋に帰っていじりたい。でもお兄ちゃんの傍は離れたくない。悩ましいなぁ。

 ご飯を食べ終わったら、お兄ちゃんの部屋に行きたいけど、なんか電話するって言ってたもんね。嫌だなぁ。お兄ちゃんが他の女の子と電話してるなんて。間違えてお兄ちゃんのスマホ粉砕しちゃおっか? あ、でもそしたら位置情報がわからなくなっちゃうよね。それも困るなぁ。

 とりあえずお風呂入って、お兄ちゃんの電話が終わったら一緒に遊ぼっと。宿題とかあるのかな? まぁ、そのときには一緒にやればいっか。

 少しずつ距離を縮めていこうと思ってるけど、この距離感がすごくもどかしいんだよなぁ。もっと早く距離を縮めるにはどうしたらいいかな? 例えば……お兄ちゃんがあたしの部屋に来るタイミングで、自分を慰めてるってどうだろう? はしたないやりかただけど、お兄ちゃんもドキドキしちゃうよね?

 それから、ちょっと真面目な相談を装って、『あたし女の子なのにこんなことしちゃって悪い子だと思う、男の子からしたらこんないやらしい子なんて嫌だよね、どうすればいいのかな、それでもあたしはエッチなことが好きなの』……なんて言ってみようかな。

 あたしの部屋におびき寄せるのには、お兄ちゃんの部屋に何か忘れ物でもしちゃえばいいよね? スマホとか、宿題のノートとか。上手く時間差を作るなら、アラームをセットしたスマホだといい感じかな? すぐには見つけられないように隠しちゃおう。

 うん、いける。我ながらいい作戦。真面目に悩んでる風を装えば、お兄ちゃんも真面目に聞かざるをえないし、それでもやっぱり興奮しちゃうよね? それからそれから、『本当は誰かにこんなことやあんなこともしてほしいの、でも他人にしてもらうなんて恥ずかしいからお兄ちゃんお願い』って迫ってみたらいいんじゃないかな? はち切れんばかりの性欲が詰まりに詰まったお兄ちゃんなら、もうあたしのことを放っておくなんてできないはず。

 そこから始まる、めくるめく官能の日々……。お母さんたちがいるなかで、こっそりお互いを満たし合う……。お母さんたちが出掛けてる休日は、二人きりでしっぽり……。もちろん、二人とも生まれたときの姿……。気の向くままにお互いを求め合う至福の日々……』


 現在、紗季はごく自然な様子でテレビのバラエティ番組を眺めている。時折きちんと笑いどころで笑ってもいるので、内容は理解しているらしい。

 外面は至って普通なのに、頭の中では妄想で一杯だなんて、器用なものだ。何度も思うが、これって本当に心の声なんだよね? 勘違いしてる?

 ってか、俺のスマホで位置情報を把握してるってどういうこと? 何か変なアプリ入れられてる? いつの間に?

 色んな思いが錯綜する中、紗季が締めくくる。


『今夜はお風呂で念入りに体を清めよう! いざ勝負!』


 ……今夜は、紗季の部屋には行ってはならないのだと理解した。

 ともあれ、食事の後には神坂さんと電話をすることになっている。まずはそっちの対応をしよう。

 ひとまず、俺が先に風呂に入ってシャワーを浴びる。それから、紗季が入れ替わりで風呂に行くのを見送りつつ、俺は部屋に戻る。『今、電話いいか?』と神坂さんに連絡すると、早速電話が来た。


『こんばんは、藤崎君。今日は電話付き合ってくれてありがとう』

『これくらいは構わないよ。それで、どうしたの?』


 電話越しでは流石に心の声も聞こえない。何を考えているかわからないのが妙に不安な気持ちもあるけれど、落ち着いて話を聞けるとも思う。


『それが……相談なんだけど』

「うん」

『わたし、卓摩と別れようかな、って思ってて……』

「え!? そ、そうなの? どうして? 仲良さそうに見えたのに」


 初めて聞いた、という風を装う。上手くできているだろうか?


『仲が悪いわけじゃないよ。ただ、彼氏彼女っていう関係でいるのは違うかな、って思い始めちゃっててさ』

「そうなの……? 何か、嫌なことでもあった?」

『嫌なこと、っていうほど明確な何かじゃないんだけど、卓摩、少し独善的なところがあるんだよね。お前はこういうの好きだよな、って変なぬいぐるみをプレゼントしてきたり、大量にケーキ買ってきて、好きなだけ食べろ、って無理矢理食べさせてきたり。

 ぬいぐるみならなんでもいいわけじゃないし、ケーキだってそればっかりたくさん食べたいわけじゃない。けど、そういうのわかってくれなくて、もらったぬいぐるみを大事にしてない風に見えたら拗ねるし、ケーキを食べ残したら、もったいないだろ、って不機嫌になる。

 色んなところで、少しずつずれてるんだよね。だから、なんか恋人として一緒にいるのが辛いときがあって……』

「なるほど……。それなら、こういう風にした方がいいぞ、って卓摩に伝えとこうか?」

『うーん……それはありがたいけど、あんまり上手く行く気はしないかな……』

「そうか? 卓摩だって、人の意見に耳を貸す程度の謙虚さはあると思うが?」

『卓摩は、案外強情だよ。自分が正しいと思ったらなかなか譲れないの。『俺はこういう理由があってこういう行動をしているんだ、それを否定するなら明確な根拠を示してくれ』みたいな。卓摩の態度も、人によってはわかりやすくていいのかもしれないけど……何をするにしても毎回そうやって意見を擦り合わせるのは、結構辛いんだ』

「そうかぁ……。卓摩のやつ、自分が納得できないことはやらない、ってとこはあるよな。自分の意思があって、尊敬するところもあるんだが」

『尊敬はするよ。でも、恋人としては、またか、って感じになっちゃう』

「ずっと一緒にいると、そういうのって面倒だよなぁ」

『そうなんだ。カッコいいなって思う人と、ずっと一緒にいたいと思う人って、違うんだって気づいた。卓摩はカッコいいけど、長く一緒にいると少し疲れちゃう』

「……疲れちゃうなら、もう恋人としては難しいのかもな。っていうか、その口振りだと、もう神坂さんの中ではほぼ別れることで決まってるのかな?」

『……うん。そうだね。決まってるって言っちゃってもいいのかもしれない。どうやって関係を継続すればいいかってことより、どうすれば比較的スムーズに別れられるかを相談したいんだ。率直に、別れよう、って伝えても、卓摩は納得してくれないと思う。

『自分の何がダメなの? 改善すればいいんじゃないの? なんでも言って、自分は変わる』……とか』

「言うだろうな。あいつはそういうやつだ。神坂さんは、それだけ熱烈に好かれてもダメなんだ?」

『……ダメ、だと思う。その熱意が逆に今は辛い、かな。わたしの方が少し冷めてるのに、熱い気持ちだけをぶつけられても上手く受け止められない……』

「そうか……」


 神坂さんの気持ちはわかっている。卓摩にはもう可能性がないだろうことも、概ね理解している。

 俺としては……二人が別れること自体には、特段反対するつもりはない。お互いの気持ちが噛み合っていなければ別れるのは自然なことだろうし、恋人関係は無理して続けるものではないと思う。

 ただ、その後に神坂さんが俺と付き合おうとしているのだと思うと、対応が難しい。

 卓摩と別れてその友達と付き合う……。これ、ありか?

 いや、それ以前の問題として、俺は神坂さんをどう思っているのだろう? 付き合いたいほどに神坂さんを好きだろうか?

 ……好きといえば好き。けど、積極的に付き合いたいとまでは思っていない。卓摩のことがなければ喜んで付き合っていただろうが、今の状況ではその判断はくだせない。


「神坂さんがそこまで言うなら、別れられるように手を貸すよ」

『本当? ありがとう。でも、たぶん卓摩の方からは、『奏と別れたくないけどどうしたらいい?』なんて相談が入るかも。……そのときは、どうするつもり?』

「……悩む。俺にとっては、卓摩はとても大切な友達だ。できることなら、卓摩に協力したい気持ちがある。でも、やっぱりこういうときは神坂さんに味方した方がいいとも思う。結局、辛い思いをしてるのは神坂さんだし、それを助けてやる方が優先だ」

『……ありがとう。藤崎君は、要所で頼りになるね』

「そうかな? まぁ、とにかく話はわかった。ちょっと今後の流れを考えていこう」

『うん』


 神坂さんとの話し合いは長く続き、気づけば夜の十一時頃になった。


『今日はずっと話を聞いてくれて本当にありがとう』

「まぁ、上手くいくかはわからないけどな」

『わかってる。でも、藤崎君となら、上手くやれる気がする』

「それは俺を過信しすぎだよ」

『……過信っていうか、そういう気分になれる、ってことかな』


 こう言われて、以前の俺だったら神坂さんの気持ちがわからなかっただろう。しかし、神坂さんが俺を好きという前提で考えると、その好意の一端をさらけ出したということだとわかる。

 が、ここは以前の俺らしくとぼけよう。


「どういうこと?」

『……なんでもないよ。また明日ね』

「ああ、うん。また」


 電話が切れる直前、神坂さんが何かをボソリと呟いた。

 おそらくだが、好きだよ、と言っていたのだと思う。ものすごく気まずい状況ではあるのだけれど、好意を向けてもらえたことはやはり嬉しかった。


「はぁー……どうすっかなぁ」


 妹に好かれても、先生に好かれても、恋愛なんてするわけにはいかない。

 俺が一番恋愛対象として見られるのは、やはり神坂さんだ。だけど、卓摩との関係を考えると立ち振舞いは難しい。

 そもそも、誰と付き合うのがスムーズか、なんて考えも打算的で良くない。

 俺の気持ちは、いったいどこにある?


「……考えてもわかんね。とりあえず休もう」


 思考を放棄して、俺はベッドに横たわる。色々考えて疲れた。このまま寝たい……。そう思ったのだが。


『お兄ちゃんの電話が終わったっ。長かったなぁ。でも、そっか、神坂先輩、坂田先輩と別れるつもりなのか……。お似合いに見えたけど、色々あるんだなぁ……。そういう相談なら、お兄ちゃんが優先するのも仕方ないか。まぁ、とにかく、突撃!』


 そのすぐあと、ドアがノックされ、俺はやれやれと体を起こした。

 もはや、電話の会話内容が筒抜けらしいことには言及すまい。

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