第9話 唐突に
活動中は、かつてないほどに悶々とした時間を過ごす羽目になった。岬先生は、終始俺のことばっかり考えていて、次第に過激になっていき、こんなプレイできたら面白い、付き合い始めたら絶対やってやる、と想像を巡らせていた。率直過ぎるワードも多々出てきたので、無反応でいるのが大変だった。というか、時折下半身に力が入ってしまったので、それを隠すのに必死だった。
大人の女性の考えることって本当に過激……。
さておき。
精神修行のような部活も終了し、三人で部室を後にする。なお、基本的に漫画部はそんなに熱心な部活ではないので、週一だけは皆で集まる日を儲けているが、それ以外は自由参加。そうなるとほとんどの生徒は集まる日以外に出席しない。今日もそういう日だった。
漫画なんてどこでも描けるし、仲のいい友達とはそれぞれで勝手にスマホ経由でも繋がれる。あえて部室にやってくる理由もそこまでないわけだ。
俺があえて部室に来るのは、実は東先輩に会うためではある。だが、恋愛感情的なものではない。人間的にはもちろん好ましいと思っているけれど、たいてい一人でいるのがなんだか放っておけないのだ。
東先輩からすると余計なお世話かもしれない。ただ、好感度も悪くはないし、俺を邪険にしている雰囲気はない。付かず離れず、という距離感でやっていけばいいのだろう。
先生が職員室に帰っていき、俺は東先輩と並んで歩く。駅までの十分程は一緒に帰ることが多い。
「今日は、なんだかそわそわしていたね。何かあった?」
東先輩に尋ねられて驚く。
「え? そ、そんなことなかったと思いますけど?」
「既に動揺してるじゃん。図星だね」
「そんなことは……」
「まぁ、言いたくないなら。無理には訊かないけど」
あ、東先輩の頭上の数字が、「53」から「52」に下がった。俺が話さないのが少なからず不満な様子。わかりやすいな。
しかし、本当のことを言うわけにもいかない。実は岬先生の頭の中が大変なことになっていて……などと言えば、正気を疑われる。病院に行け、と蔑まれるに違いない。
妥協案として、事実ではないけれど割と嘘でもない話をしておく。
「最近、妹の様子がちょっとおかしいような気がしてるんですよね」
「……何、その漫画のタイトルみたいな悩み」
「え? なんかのタイトルをかすめてます?」
「……わからないならいい。それで、おかしいって、どういう風に?」
「妙に俺との距離が近い気がするんですよね。並んで歩くときの距離が少し近いとか」
「ふぅん……? いつも近いと思ってたけど? さらに近くなったの?」
「そんな気がするんです。そんなことがあるからですかね、今日、紗季が転んで俺にぶつかってきたんですけど、あれはあえて転んで俺に接触してこようとしたんじゃないか、って疑っちゃって。もしかして、紗季って俺のこと、好きなんでしょうか? 兄妹としてじゃなく、男女として。それがどうも気になっちゃって……」
それっぽいことを言ってみたら、東先輩が実に複雑そうに眉をひそめている。
「……藤崎君は、意外とファンタジーな想像を巡らせるタイプなんだね。別に想像すること自体は悪いことではないけど、妹さんはあくまで兄妹として藤崎君を好きなだけだと思う」
「そう見えますか?」
「そう見えるというか、そうとしか考えられないというか……。妹が兄に恋するなんてそうそうあることじゃない。藤崎君、悪いことは言わないから、その妄想は妄想で終わらせておくといいよ」
「……そうですね。やっぱり、こんなのは俺の勝手な妄想ですよね」
本当にただの妄想だったらいいと思うのだが、心の声を聞いている限り、妄想ではない。
けど、紗季としては、その恋心は周囲に秘密にしておきたい様子。だとすると、その狙い通りにはなっている。
「……藤崎君は、彼女いないんだよね?」
「いませんよ。いたこともありません。見ての通りです」
「だよね。藤崎君がそんな妄想を広げてしまうのは、きっと恋愛ってものと縁がないからだと思う。もし良ければ、ワタシと付き合ってみる?」
「……へ? 今、なんと?」
東先輩からあまりにも自然にとんでもない提案がなされて、俺はその内容がとっさに理解できない。
「ワタシと付き合ってみる?」
もう一度聞いて、先ほどの言葉は聞き間違いではないと知る。
「あの……どうしてそんな話に?」
「藤崎君があまりに不憫な妄想をしてるから、これはやばいなって思って。勘違いから妹さんを襲って、犯罪者になってしまったら嫌だもの」
「……なるほど。でも、東先輩、俺のこと、す、好きなんですか?」
「好きといえば好き。付き合ってみてもいいかな、って思うくらいには」
「そ、そうですか……」
明確に恋愛感情を持っているわけではないが、人間としては好意的に見ている、という程度か。それで付き合ってみるという発想になるのは、恋愛上級者っぽい。……ぽいけど、東先輩が誰かと付き合ったことってなさそうなんだよな。少なくとも、高校では彼氏はいなかったはず。
でも、東先輩は大人びたところがあるから、恋愛感情は付き合ってから育てていけばいい、と思っているのかもしれないな。
「藤崎君は、好きな人とか、気になる人、いるの?」
「好きな人は、特には……」
「なら、気になる人はいるわけだ」
「いなくはないです」
「それって……まぁ、いいや。あんまり気が進まない顔してるから、この話は終わりにしよ。でも、妹さんに男として好かれてるかも、なんて妄想は本当にかなり危険だと思うし、早めに考えを改めた方がいい。ワタシで良ければ、その勘違いを正すのに協力する。いつでも言って」
「ありがとうございます。妹に何かやらかしてしまいそうになったら、まず東先輩に相談します」
「うん。そうして。藤崎君が犯罪者になるのも、妹さんが悲しい思いをするのも、ワタシは見たくない」
俺の話でひとまず納得してくれたのか、先輩の数字は「53」に戻り、普段通りの何気ない会話に終始した。
駅に着いたら、それぞれ反対方面の電車に乗るので、そこで別れる。
「また明日ね」
「はい。また会いましょう」
「……明日も、昼休みに部室に来る?」
「それは……まだわかりません」
「そう。……まぁ、気が向いたら、来てよ」
少し寂しげな顔の東先輩が、小さく手を振ってから去る。……数字が好感度だとして、「53」って、どの程度の気持ちなんだろう? 一緒にいてくれたら嬉しい、くらいのものではあるのだろうか。
東先輩を見送ったところで。
『あ、お兄ちゃん発見! これはまた運命だね! 運命なんだよね! 今日は何も使ってないのに会えちゃったんだから、間違いない! このまま背後から抱きついちゃおうかな? こけたふりすれば……は流石に多用すると良くないか。背後から目隠しして『だーれだ?』やりたい! よし、やっちゃおう!』
「だーれだ?」
「うわ、さ、紗季、なんだよ急に」
心の声がまる聞こえなので、目隠しをされて驚いたフリをするのに苦労した。
「あはは。ばれちゃった」
「そりゃわかるだろ。紗季の声を聞き間違えるわけもないし……」
「だよねぇ。じゃ、お兄ちゃん、一緒に帰ろうよ」
『紗季の声を聞き間違えるわけない紗季の声を聞き間違えるわけない紗季の声を聞き間違えるわけない紗季の声を聞き間違えるわけない紗季の声は俺の最高の癒し紗季の声だけあればいい紗季の声が俺の全て紗季が俺の全て……。
ああ、もう録音しておけば良かった! お兄ちゃんのラブメッセージ!』
俺の目隠しを外し、笑顔で並んで歩く紗季。見えている部分はとても可愛いのに、少しずつ俺の言葉が改竄されていくのが恐ろしいとは思ってしまった。
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