第7話 お兄ちゃん
授業が終わったら、早速神坂さんからスマホに連絡が来た。
『ちょっと相談したいことがあるんだけど、今夜電話してもいいかな?』
隣を見ると神坂さんはスマホの画面を見るばかり。俺と連絡を取っていることはわからないようにしている。
『構わないけど、どうしたの?』
何も知らない風を装って返信。
『今は話せない。あとで電話するね』
『わかった』
端的なやり取りの後、神坂さんはやってきた卓摩と話し始めた。
『ふぅ。まずはこれでよし。急に、『卓摩と別れたい』なんて言い出したらびっくりするだろうな……。でも、わたしもそろそろこの気持ちを誤魔化せなくなってるし、進展させていこう』
神坂さんは、笑顔で卓摩と話し込んでいる。その表情は単純に恋人に向けるものに見えて、内心とのギャップが怖かった。俺にはまだ、神坂さんのことをどう受け止めればいいのかはっきりとはわからない。
神坂さんのことはもちろん嫌いではないけれど、付き合うことになれば色々と難しい恋になりそうだ。
複雑な思いを抱えつつも、放課後になる。神坂さんたちとは別れ、俺は再び漫画部の部室へ。
途中、廊下の角から声が聞こえてきて、戸惑う。
『そろそろお兄ちゃんが通りかかるはず。突然出てきて驚かせちゃおっかな? ううん、そんな悪戯じゃつまらないよね。ここは、偶然通りかかったフリをしてお兄ちゃんにぶつかるのがいいかな。
でも、ぶつかるっていうのも難しいよね。廊下を走り回るのも不自然だし。そうだ、何気なく近づく風にして、足をもつれさせて、お兄ちゃんに向かってこけちゃえばいいんだ。優しいお兄ちゃんがあたしを助けないわけないし、これならいける!
その拍子にキスなんかも……なんて、セカンドキスはちゃんといい雰囲気の中でやるって決めてるんだもんね。誘惑に負けちゃダメ! とにかく、こけたフリでお兄ちゃんに抱きついちゃおう! あたしったら、学校で大胆!
それと、そのときにはしっかりおっぱいを押し付けなきゃね! ラッキースケベを演出すれば、お兄ちゃんも心置きなくあたしとやらしいことできるもんね! そして、あたしの感触を忘れられないお兄ちゃんは、今夜こっそりあたしを想像して……。
ああん、もう、想像だけじゃなくてあたしの部屋に来てくれればいいのに! あたしはいつでもウェルカムなんだから! ああ、早く来ないかな。お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん……』
やばい。妹が本当にやばい。なぁ、これって本当に心の声なのか? 俺の頭がバグって幻聴を聞かせているんじゃないのか? 紗季がこんなにヤバイやつだなんて、到底信じられないんだが……。ってか、セカンドって言った? ファーストの記憶がないんだが、どういうこと? 寝てる間に何かされた? いつも起こしにくるから、ありえないことではないか……。
心の整理が追い付かないまま、俺は少しずつ近づく。
『は! この足音はお兄ちゃん! さぁ、突撃の準備!』
なんで足音で俺だとわかる!?
神坂さんは残り香で俺が誰と会っていたかがわかるし、いったいどうなってるんだ!?
困惑しつつも、俺は紗季が隠れている廊下の角に差し掛かる。
「あ、お兄ちゃん。今から部活? 途中まで一緒に行こうよ」
ごく平凡な、たおやかな笑みを浮かべる紗季が出現。その心の中は……。
『お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん! ああ、もっと近寄って全身でお兄ちゃんを感じたい! でも落ち着いて、ゆっくり近づいて……今!』
「あっ」
紗季が足をもつれさせて、俺に向かってこける。これが演技だろうとなんだろうと、俺には紗季を受け止める以外の選択肢はない。
「おっと」
俺の胸の中に飛び込んでくる紗季。そして、予告通り……柔らかなものが俺に押し付けられる。制服越しのため、その柔さは減じている。しかも、これは妹のもの。だから何も感じない……というわけでもなく、女性の膨らみに触れれば反応してしまうものもある。
動揺しつつも、それを顔には出さないよう必死に取り繕う。
「ごめん、お兄ちゃん、痛くなかった?」
『お兄ちゃんに抱かれてるお兄ちゃんに抱かれてるお兄ちゃんに抱かれてるお兄ちゃんに抱かれてるお兄ちゃんに抱かれてるお兄ちゃんに抱かれてる……やば、溢れそうっ』
「あ、ああ……俺は大丈夫だよ。紗季こそ、怪我はないか?」
「ううん、大丈夫。でも恥ずかしいなぁ。何もないところで転んじゃうなんて」
「気を付けろよ。いつも俺がいるわけじゃないんだから」
「うん。気を付ける」
『お兄ちゃんがいつも傍にいてくれればいいんだよ? そうすればもう全て解決! まぁ、あたしだって意図せず何もないところで転ぶなんてことはそうそうないんだけど。ああ、離れたくないよぅ』
いつまでもくっついているのは恥ずかしいので、俺は紗季を引き離す。紗季は笑顔のままで、離れたくなさなど感じさせない。
「えっと……じゃあ、俺は部室行くけど、途中まで一緒に行くか?」
「うん。そうだね」
『手を繋ぎたいなぁ。でも流石にそれはまずいか。あたしたちの関係は秘密にしなきゃいけないもの……。周りからは、確かに仲はいいけどちゃんと一線引いてる、って思われないと。ここはぐっと堪えて、家でお兄ちゃんが寝ている隙にやることやるの』
やることってなに!? 紗季は俺が寝ている間に何をしているの!?
心の声に突っ込みをいれるわけにもいかず、俺は悶々とするのみ。
「お兄ちゃん、今日は何かいいことあった?」
「え? なんかいいことでもあったように見える?」
「んーん。むしろ何か悩みでもあるのかなー、って感じ」
「いやー、そんなこともないんだけどな」
『嘘……。この顔は何か隠してる。いつもよりあたしと目が合わない。なんにも考えてないときには話しかけるごとにこっちを向くのに、何か考え事があるからあたしに目を合わせないようにしてる……。
あたしに考えを悟られたくない? なんで? 浮気でもしているの? それが後ろめたい? ううん、でもお兄ちゃんに抱きついたとき、他の女の子の強い匂いなんてしなかった。少なくとも誰かとゼロ距離で交流をした痕跡はない。
だいたい、お兄ちゃんが悩むとしたら、ムラムラが溜まってどうやって発散するか迷っているときか、クラスメイトをモデルにしてエッチなイラスト描い て罪悪感に駆られているときくらいのはず……。そのどちらでもないとしたら、悩む理由なんてあるのかな……?』
なぁ、妹よ。お前は俺をいったいなんだと思っているんだい? っていうか、俺がクラスメイトをモデルにしてエッチなイラストを描いて、罪悪感に駆られた事実をどこで知ったんだい? そんなの、俺の部屋に隠しカメラでも仕掛けてないと確認のしようがないと思うんだが、まさかそんなことはしてないよな?
今までただの可愛い妹だと思っていた相手が、急にヤンデレ気質のヤバめな女の子に見えてきた。俺、この先どうなっちゃうんだろう……? 将来、彼女ができた瞬間に包丁で刺されるとかないよな……?
「お兄ちゃん、今日、特に遅く帰ってくるとかないよね?」
「うん。ないよ」
『女との待ち合わせはなし、か。やっぱり、浮気はただの思い過ごしかな……』
「じゃあ、今夜、一緒にゲームしようよ。部屋行っていい?」
「あ、ごめん。今夜、ちょっと電話する予定があってさ。どれくらい時間がかかるのかわからないけど、長引いたらゲームできないかも」
「ふぅん? そうなの? 寂しいなぁ」
「悪いな。電話の後で遊ぼう」
『これだ! 絶対何かある! あたしに隠してる秘密! 悩み! 考え事! 相手は誰? お兄ちゃんの交遊範囲で言えば、卓摩先輩? ううん、卓摩先輩はわざわざ夜に電話なんてしない。あえて電話で話そうとするなんて、相手は女に決まってる。この予定が、今朝あたしと別れてから決まったことなら、相手は卓摩先輩の彼女、神坂先輩かな?
これは、怪しい。お兄ちゃん、神坂先輩となんの話をするつもり? 何があったの? これは……ちゃんと聞いておかなきゃいけないな』
「ま、お兄ちゃんも高校生だし、彼女の一人くらいできてもおかしくないよね。でも、ちゃんとあたしにも紹介してよ?」
『そのときは、お兄ちゃんに手を出したこと、一生後悔させてやる』
「……いや、彼女とかじゃないって。俺は今まで女の子にモテたことなんてない」
「ふぅん? どうだか。ま、そういうときになったら、ちゃんとあたしに相談してね? お兄ちゃんは服装とか無頓着なんだから、初デートで着る服とか、あたしが選んであげる」
「ああ、ありがとう。紗季は頼りになるな」
「そうだよ? お兄ちゃんにはもったいない妹なの!」
えへへ、っと悪戯っぽく笑う表情は、純粋そのもの。
『……本当にお兄ちゃんが他の女とデートなんてする日が来たら、なんとしても別れさせないとね? まぁ、あたしは寛大だから、お兄ちゃんにも、一回くらい他の女の子を知る機会はあげてもいいかもね? もちろん、キスもエッチもなしの健全なデートまでだけど。
他のくだらない女の子を知って、それからあたしの素晴らしさに気づいて、より一層お兄ちゃんのあたしへの愛が深まる……。そういうこと。ね、そうでしょ? あたしだけのお兄ちゃん?」
心の声がひたすらに不穏だ。なんとか取り繕って笑顔を作るが、上手く笑えているかわからない。
紗季……お前、いつからこんなに不穏な女の子になったんだ? 俺、何かしたかな? 兄として優しく接してきたのは確かだけど、こんな風になるとは思わなかったよ。
表面だけは、ニコニコと笑い合う二人。未来には不安ばかりだ。
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