第2話 心の声なの?
父の頭上には「52」で、母の頭上には「58」という数字が浮いていた。
この数字はいったいなんだろう? 紗季が俺のことを好きであるという前提で考えるなら、この数字は好感度ではないかという仮説は立てられる。しかし、基準がわからないな。五十台というのは、果たしてどれくらいの好意を示すのだろう? まだまだサンプルが足りない。
また、朝食を摂りながら心の声らしきものに耳を澄ませていたが、紗季のときとは違って何も聞こえてこなかった。心の声、という仮説は間違いだったか? 何も考えていないということはないだろうが……。あるいは、数字の高い人の場合は心の声らしきものが聞こえる、ということだろうか。
うーん……わからん。
俺が首を傾げていると、紗季が声をかけてくる。
「どうかした? ご飯、美味しくない?」
「ん? いや、そんなことはないよ」
『もしかして、なんか変な味とかしちゃったのかな? でも、今日はパンをちょっと舐めてるだけだから味は変わらないはず……。今回のコーヒーには何も細工してないし……』
待って。パンはともかく、コーヒーに普段なんの細工をしているんだ? 味が変わるかもしれない何かを混ぜているとでも? それはいったい何? 俺は毎朝何を食べさせられているの?
恐ろしくなったが、少なくとも体に悪いものは混入していないはず。好意を持っている相手に悪いものは食べさせないはずだ。
俺はひきつりそうになる頬を必死で無表情に保ち、もそもそと食パンを齧った。……うん、舐められていたって味なんて全然変わらないし、そもそも紗季の唾液なら別に嫌でもないし、いやかといって嬉しいとかいう感情もないけど、とにかく大丈夫……。
「……紗季、いつもご飯用意してくれてありがとな。美味しいよ」
「本当? もう、そんなに褒めたってご飯は豪華になんかならないよ?」
『キャーッ、褒められちゃった! お兄ちゃんが褒めてくれるなんてすごく珍しい! 今日は特別に良かったってこと? メニューはいつもと変わり映えしないし、これは愛の力かな? 愛の力だよね? あたしの愛情が伝わってるってことだよね? これはもう結婚するしかないよね!』
にこやかな笑みの内側では、表情に現れる以上の喜びが溢れている様子。心の声だとしたら、何気ない一言で喜びすぎだろ。
日常で接していると、特別なところのない普通の女の子である紗季。もしかしたら、実はだいぶイメージと違う人物である可能性が出てきた。
朝食を食べ終えて、部屋に戻り制服を着る。鞄を手に部屋を出たところで、ちょうど紗季も隣の部屋から出てきたところだった。
『わっ。お兄ちゃんとタイミングぴったり! 今日は絶対いいことある!』
「お兄ちゃん、今日は少し早いね」
「ああ、たまたまな」
「いつもあたしが呼びに行かないと出てこないのにね」
「こういう日もあるさ」
俺と紗季は同じ霧ヶ丘高校に通っている。去年までは俺一人で通っていたが、紗季が入学してからは一緒に登校するようになった。
『学ランのお兄ちゃんかっこいい……。あたしのセーラー服はどうかな? ちゃんと可愛いって思ってもらえてるかな?』
トコトコと歩み寄ってくる紗季は無表情。俺の見ているものは本当に心の声か?
「紗季、制服似合うよな」
試しに言ってみる。紗季はぴくりと眉を動かしたが、それだけ。
「急にどうしたの? いつもそんなこと言わないのに」
『キャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャー! すごいよ褒められたよ可愛いよだって世界で一番綺麗だよだってこれはやばい気を抜いたら表情崩れるめっちゃにやける気持ち悪いって思われる頑張れあたし普段通りの普通の女の子を演じきるのよ!』
言葉が高速で頭に流れてくる。情報過多でちょっと苦しいくらい。紗季、内心はこんなにハイテンションなのか? 全くそんな風に見えないぞ?
「たまには、紗季のご機嫌取りもいいかなって。ご飯も美味しかったし。とにかく行こう」
「変なの。ま、いいや。行こ」
紗季から視線を外し、二人で並んで歩く。
家を出て、周囲の人をなんとなく見ていくと、全員の頭上に数字が現れている。
だいたいの人は二十台で、たまに十台。数字が好感度を現すとすると、他人に対する好感度は二十台が一般的、か。
好感度というか、これは『好きも嫌いもない状態』ではないかと思う。だとすると、十台だと少し嫌いというレベルか? 嫌われる理由がわからないが、単純に世の中全部が嫌いとか、若い人間が嫌いとか、男女で歩いているのが気に入らないとかだろうか。
駅までたどり着くと、俺と同じ高校生たちが集まっている。その頭上にもいちいち数字が見えていて少しうっとうしいくらいなのだが、概ね二十台。
ホームに立ち、紗季と話していると、中学の時のクラスメイトが通りかかる。俺をちらりと見て軽く挨拶してから通り過ぎたのだが、そいつの頭には「32」という数字が見えた。友達というほど親しくはなく、友達の友達という程度の間柄だった。『知り合い』だと三十台、というところかな?
「お兄ちゃん、今日はなんだか落ち着かないね。きょろきょろしてる。どうかした?」
『まさか、好きな人ができて、そいつがこの駅を利用している? それを探してるとかじゃないよね?』
「あー、いや、なんでもないよ」
説明のしようがないし、適当に流そう。
「……あ、もしかして、この駅に好きな人が来るの? それを探してるとか?」
『……事故に見せかけて、は流石に現実的じゃないよね。どうやって始末しよう?』
紗季っていつもこんなこと考えてるの!? いやいや、違うよね? これ、本当は心の声とかじゃないよね? それっぽく思えるけど、本当は違う何かだよね?
内心びびってしまうが、必死で無表情を取り繕う。
「はは。好きな人とかじゃないよ。俺、恋愛には疎いから」
「ふぅん。どうだか。お兄ちゃんだってもう高校生なんだから、彼女の一人や二人、作りなよぉ」
『本当に連れてきたら……あたしがお兄ちゃんを救ってあげなきゃね? ふふ?』
救うって何!? どういう話の展開!? 大丈夫!?
「ははは……。俺が彼女欲しくても、寄ってくる女の子なんて一人もいないよ」
「ふぅん。そっか。でも、お兄ちゃん、わかってないなぁ。黙ってても異性が寄ってくるのは、一部の超イケメンとか、特別な才能を発揮している人だけ。普通の人は、自分を見てもらえるように目一杯努力して、ようやく振り向いてくれる人が少しだけ現れるの。努力もしないで諦めるのは、毎日お腹いっぱいケーキを食べてるのに、痩せないなぁ、ってぼやいてるのと同じこと」
「うわー、何それ。なんも反論出来ねぇ」
『うーん……この感じだと、好きな人がいる、っていう感じでもないか。ま、こういう日もあるのかな』
紗季が納得してくれたところで、俺も一安心。まさか、好感度らしきものが見えるようになったんだ、とは言えないし。
それから、電車と徒歩、二十分くらいで霧ヶ丘高校に到着。昇降口で紗季とは別れる。
「またね、お兄ちゃん」
「おう、またな」
『はぁ……。お兄ちゃんとまた離ればなれ……。この瞬間が一番辛い……。あたしからお兄ちゃんを奪う学校なんて滅びればいいのに……』
なんだろう。知れば知るほど紗季がだいぶ変な子に見えるのだけれど、俺が聞いているものって実は心の声とかじゃないんだよな? きっとそうだよな?
複雑な思いを抱えながら、俺は一人で二年C組の教室へ向かった。
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