8.
清閑とした住宅街の街角に位置している、とあるクラシカルな雰囲気の喫茶店にて。店内に、からんと甲高い鐘の音が鳴り響き――。
「あっ、藤助くん。来てくれて助かったよ。でも、大丈夫なの? なんだか大変みたいだけど……って……」
カウンターで開店準備をしていた細身の男――、この喫茶店のマスターは扉の方に視線を向けるが、藤助の後ろにぴたりと張り付いている二人組の黒い男の姿を捉えるなり、目を丸くさせる。
すっかり呆気に取られているマスターに対し、藤助は申し訳なさそうに身を竦めさせる。
「えっと、その、この人達はボディーガードで……。
済みません、いくら断っても付いて来てしまって。迷惑なら帰ってもらいますから」
「へえ、ボディーガードか。いや、こっちは別に構わないけど、本当に大丈夫なの?」
「はい。命を狙われている訳でもなんでもないので」
そう言い包めると、藤助は急いで裏手に回り、休憩室兼ロッカールームへと向かう。
乾いた息を吐き出しながらも扉を開けると、中にいた人物と目が合い、
「あれ、萩くん? そっか、萩くんもここでバイトしてたんだっけ」
「よろしく」と続けさせると、萩も軽く頭を下げた。
「はい、こちらこそ。それと、その節はどうもお世話になりました」
「その節? ああ。もしかして、病院でのこと? いいよ、気にしなくて。足はもう大丈夫なの?」
「はい、軽い捻挫だったので。所で、大丈夫なんですか?」
「大丈夫って?」
「なんだか大変なことになってるみたいじゃないですか。先輩の家、立ち入り禁止のテープが貼り巡らされてて、中に入れないようになってましたよ」
「そっか、やっぱり中には入れないのか。少しは期待してたんだけどな、残念。
それにしても。萩くん、心配してくれるんだ」
意地悪くも問いかける藤助に、萩は自然と視線を逸らす。
「別に心配なんか。寧ろ近所のおばさん達が知らないかって、しつこく訊いてくるんで困ってるくらいです。おまけに夜逃げしたんじゃないかとか、借金の形に身売りされたんじゃないかとか。根も葉もない噂も飛び交ってますよ」
「ああ……。ばたばたしてたし、時間も遅かったから。ご近所さんに何も言わないで出て来ちゃったからなあ」
その有様が容易に想像でき、藤助はつい苦笑いを漏らす。
けれど、すぐにもそれを振り払う。
「うん。大丈夫だよ、あれくらい。それに、どんな手段を用いても、俺は絶対に生き残らなくちゃいけないから――……」
先程までの藤助からは考えられないような強かな瞳に、萩は二の句を失う。そのまま黙っていると、藤助は微笑を残し、先に部屋を後にする。
その後を萩も遅れて続くが、表に出るとマスターが彼の耳元へと顔を寄せる。
「萩くん、覚悟しておいた方がいいよ。今日からしばらく忙しくなるから」
「え? 忙しくなるって……」
どういう意味なんだと、問うよりも先に。からんと澄んだ音が店内中へと鳴り響った。
それから。
「藤ちゃん! やっぱりここに来れば会えると思ったわ」
「石川さんに、ご近所のみなさん」
「もう、どこに行ってたの? 急にいなくなっちゃって、ずっと心配してたんだから!」
「済みません、ろくに挨拶もできないで」
開店時間とほぼ同時。入って来た数人の婦人達に、藤助は早速取り囲まれる。
それを余所に、また、からんからんと続けざまに鐘の音が鳴り。
「藤ちゃん、来ちゃった!」
「良かったあ、藤ちゃんいたわよ。バイト、今日からなの?」
普段は決して閑古鳥が鳴いている訳ではないけれど。次々に埋まっていく席に、萩は我が目を疑う。
「あの……。開店と同時にこんなにお客さんが来ることなんて、初めてのことじゃないですか?」
「いやあ。実は、毎回のことなんだよね」
「へ? 毎回って?」
「藤助くん、いつも長期休暇の間だけ働いてくれているんだけど、その時期になると近所の奥様方が彼目当てに来てくれて。
萩くんが入ってくれたのって、夏休み明けだっただろう。あの頃忙しかったのも、この余波が原因なんだよね」
「そう言う訳だから」と、今更ながらマスターから店の事情を聞かされるが、萩は、そう素直に受け入れられる訳もない。
萩は、客で溢れている店内を半ば呆然と見回しながら。果たして、無事に今日を終えられるだろうかと。まだ始まったばかりであるにも関わらず、思わず現実から視線を逸らさせた。
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