10.

 一人の見知らぬ男を前にして、誰もがぽかんと間の抜けた表情をさせている中、藤助は眉間に皺を寄せさせる。



「その声、前にどこかで……」


「おっと、君が藤壺ちゃんか。前に一度だけ話したよね」


「話しただと? おい、藤助。本当かっ!?」


「えっと、うん。確かに聞き覚えはあるんだけど……」



 思い出せないのか、ますます皺を寄せさせる藤助に、男はわざとらしく大口を開ける。



「あれえ、本当に忘れちゃったの? 藤壺ちゃんって、随分と薄情なんだなあ。

 俺は信じていたんだけどな、君との運命を――……」


「運命って……。

 あっ! もしかして、あの詐欺の電話の……!?」


「詐欺だなんて。そんな風に思われていたなんて」



「心外だなあ」と、男はわざとらしく眉を下げる。それから口を小さく尖らせながらも、かけていたサングラスを外す。それにより、隠されていた瞳が露わになる。


 瞬間、兄弟達の目が揃って点になる。誰もが固まってしまうが、芒は一人、その顔を指差しながら、

「牡丹お兄ちゃんにそっくり……」



 芒の開口を発端に、ぷっ……と小さな音が梅吉の口元から漏れ、

「牡丹に、そっくり……! 牡丹に……。

 いくらなんでも似過ぎだろう!」


「ちょっと、梅吉。笑い過ぎだよ」


「だって、だって……!」



 藤助から注意を受けるが、梅吉の笑い声が止まることはない。げらげらと、腹を抱えて笑い続ける。


 他の兄弟等も複雑な表情を浮かばせ、

「うーん……。牡丹から女々しさを取った感じだな」


「ええ。遺伝って、すごいですね」


「牡丹も将来、絶対あの顔になるぞ」



 あちこちから半ば感心げな音が上がる中、当の本人はと言えば。



「うーん、なんか想像していた反応と随分と違うなあ。普通なら、『えー。こんなカッコイイ人が、僕達のパパなの? なんて素敵なんだろう!』……って、なると思うんだけどなあ。

 せっかくの親子の、感動の対面シーンなんだからさあ」


「そんなこと言われてもなあ」


「ていうか、今、さらっと“パパ”って言ったよね……?」



 一拍の間を有してから、男はその年頃にしては些か厳しい、にこにこと満面の笑みを浮かばせ、

「そうでーす。何を隠そう、この男前な人物こそ、みんなのパパなのです!」



 刹那、その場はしんと静まり返り、異様な空気が流れ出す。


 そんな中、渦中の人物は――、桐実は、こてんと首を傾げさせる。



「あれ? なーんかさっきから反応が薄いよね。みんなしてノリが悪いなあ」


「だってなあ。顔を見た時点で、そうだろうなって。簡単に予想できたしなあ」


「うん。俺達はまだしも、少なくとも牡丹とは関係者だって。違ってる方が寧ろ不思議なくらいだし。

 ねえ、牡丹……って、牡丹? どうしたの?」



 藤助が何度も声をかけるが、しかし。一方の牡丹は、焦点の定まっていない瞳をさせたまま、ただ呆然としている。



「先程からずっと固まったままですね」


「おーい、牡丹。お前があんなに会いたがっていた、親父だぞー」


「へえ。牡丹ってば、そんなにパパのことが恋しかったなんて」



 くすりと気味の悪い笑みを浮かばせると、桐実は一気に牡丹との距離を詰め。そのまま、むぎゅっと牡丹を抱き締める。


 牡丹は一瞬、何が起こっているのか理解できなかったものの。虫唾が走ると、続いて顔色がさっと蒼くなり、

「ぎ……、ぎぎぎ、ぎゃーっ!??

 なっ、なっ……。

 いきなり何するんだ、馬鹿親父――っ!!!」



 牡丹は瞬発的に拳を突き出すが、桐実は呆気なくも簡単に躱してしまう。



「なにって、可愛い息子を抱き締めただけじゃん。スキンシップだよ、スキンシップ。

 パパが恋しいなんて、牡丹はまだまだ子供だなー」


「誰が恋しいなんて言った!?」


「えー。テレビであんなに、『早く帰って来い!』って、言ってた癖にー」


「あれはそういう意味じゃなくて……。ていうか、見ていたならさっさと帰って来いよ!」



 今度は顔色を真っ赤にさせ、牡丹は拳を突き出し続けるが、それは寸での所で躱されてしまう。



「はあ、はあっ……。この、ちょこまかと逃げやがって……!

 逃げるんじゃない、馬鹿親父!!」


「だって、当たったら痛いじゃん」


「当たり前だ! 力を入れてるんだから。いい加減、おとなしく制裁を受けろ、馬鹿親父!」


「もう、馬鹿、馬鹿って……。本当に牡丹は仕方ないなあ」



 桐実は一つ乾いた息を吐き出すと、牡丹の突き出した腕を掴み取り。流れに乗るよう、ぐいと顔を近付ける。そのまま距離を詰めていき、詰めたことによって、二人はとある一点で重なり合い――……。


 ぴしりと固く凍り付く牡丹だが、長い沈黙の後。桐実の唇が離れていくと、彼はがくりと膝から崩れ落ちた。



「おーい、牡丹。大丈夫かー?」


「駄目ですね。気を失っています」


「コイツ、初めてだったんだろう。こんな親父が相手なら無理もないな」


「でも、家族ってノーカウントじゃない?」


「けどなあ。この先、牡丹がキスすることなんてなさそうだしさあ」



 同情混じりに、各々が好き勝手に言い合っている中。牡丹は薄らとだが残っている意識を働かせる。



(拝啓、天国にいるだろう母さん。

 どうして母さんが、こんなふざけた男を好きになったのか。俺には全く理解できません。なんだか急に、母さんがとても遠い人に思えてならないのです……)



 会いたくて、殴りたくて仕方がなかった親父は、想像していた以上に馬鹿親父だったと。今は亡き母親へ酷く訴えながらも。


 彼の意識は己の意思とは無関係に、静かに遠のいていった。

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