5.
夕食も済み、一段落した空気が家全体に流れている中。
牡丹は湿り気の残った髪をタオルで乱暴に拭きながらも、とある部屋の前で立ち止まる。深呼吸を繰り返すこと、数回。
意を決すると、目の前の扉を手の甲で軽く叩く。それから、ゆっくりと開いていった。
「あの、梅吉兄さん。少し話があるんですけど」
そう言いながら部屋の中に入ると、ベッドの上で寝転がっていた梅吉は上半身だけ起こし上げる。
「おう、なんだ。やけに深刻な顔して。もしかして、紅葉ちゃんに告られたか?」
「どうしてそのことを知ってるんですか!? ……って、そうなんですけど、そうじゃなくて」
くすりと気味の悪い笑みを浮かばせる梅吉に、牡丹は一瞬の内に顔を真っ赤に染めさせる。
そんな彼の態度に、梅吉はきょとんと目を丸くさせた。
「あれ、冗談のつもりで言ったんだけど。ふうん。まさか、本当だったとはなあ」
「そうか、そうか」としつこい梅吉に、牡丹はますます顔を赤らめ、
「だから、そのことはいいんですって! それより俺の話を聞いてくださいよ」
「はい、はい。悪かったって。それで、どうしたんだよ」
一拍置いてから瞳の色を変えさせる兄に、牡丹はごくんと生唾を呑み込ませた。
暗転
「ふうん、成程。戸籍ねえ」
「その手があったか」と半ば感心げに、梅吉はじろじろと例の用紙を眺める。
それから一寸考えた末に、口を開かせ、
「それで。牡丹はどうしたいんだ?」
と、問いかける。
「どうしたいって……」
「こうしてちゃんと戸籍があるってことは、少なくとも俺達の親父はまだ生きてるってことだろう。そして、ずっと養父だと思っていたじいさんは、実は正式にその手続きを踏んではいなかったと。
このことをネタに、じいさんに知っている情報全てを吐かせさせられるとは思うが……。
今の生活と引き換えに訊き出すか?」
「どうする?」と、もう一度。問い直す梅吉の瞳を、牡丹はじっと見つめる。だが、責められているような感覚に、つい怖気付いてしまう。
そんな兄に、動揺を隠せる訳がない。素っ裸にされた気分のまま、牡丹はただ口を小さく動かす。
「俺は、俺は……」
(確かに梅吉兄さんの言う通りだ。このことを問い質せば、きっと俺も、俺達も、今まで通りではいられなくなる。だからこそ、なかなか天羽さんに訊けずにいたんだ。
今の生活と引き換えに、か。……それでも、俺は)
「俺は、やっぱり確かめたいです――。
確かにこの生活を壊すのが怖くて、天羽さんに訊けないでいたけど。でも、たとえそうなってしまうとしても、ここまで知ったのなら最後まで知りたい。それに、定光のことも気がかりですし……」
牡丹は、すっ……と目を伏せ。
(ああ、そうだ。定光は宣戦布告に来たって、そう言って。何を企んでいるのかは分からないけど、良い予感はしなかった。
ここで天羽さんに訊かなくても、きっとまたアイツが現れる。アイツの口から聞かされるくらいなら、)
それよりだったらと、思わず拳に力が入り、牡丹はそのまま、ぎゅっと強く握り締める。
一方の梅吉は、こてんと首を軽く傾けさせ、
「そっか」
と簡単に呟く。
「『そっか』って……。それだけですか?」
「なんだよ。そしたら、なんて言ってもらいたいんだ?」
「別にそういう訳ではありませんが。やけにあっさりしていると思って」
想像していた反応との差に、牡丹は思わず面食らう。呆気に取られるが、梅吉は相変わらず飄々としている。
「じいさんに問い質すかどうかは、明日、家族会議を開いて決めるとして。このこと、俺以外には話したのか?」
「いえ、梅吉兄さんにだけです」
「そっか。まあ、定光も色々と知っているようだから、アイツにばらされちまうことを考えれば、どの道じいさんも吐かざるを得ないだろうよ。
それにしても。まさか、あの定光と俺達が従兄弟同士だったとは」
未だに信じられないのか。訝しげな面を浮かばせる梅吉に、牡丹もつい同意してしまう。定光と対面した時のことを思い返すが、やはり実感が湧かない。
もやもやとした気持ちをそのままに、話はそこで途切る。牡丹は乾き切っていない髪を再びタオルで擦りながら、運命の一夜を前に眠れるだろうかと、そんなことばかりを考えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます