10.

 人気のない裏庭にて――……。


 ぽつんと一人立っている桜文の元に、乱れた息を整えながらも一人の女生徒が寄って行く。



「済みません、遅くなっちゃって」


「ううん、大丈夫だよ。俺も来たばかりだから。

 あっ、そうだ。お見舞い、来てくれてありがとう」


「いえ、そんな。先輩、元気になったみたいで良かったです」



 未だ整わない息をそのままに、万乙は、ふわりと笑みを浮かべる。それにつられるよう桜文も薄らと微笑を浮かばせるが、その余韻を残したまま、

「あのさ。約束していた返事だけど……」

 一度、そこで口を閉ざすが、すぐにもまた開かせ、

「ごめん。やっぱり俺、万乙さんとは……、ううん。今はまだ、誰とも付き合えない――……」



 刹那、二人の間に、さああっ……と、一筋の風が流れる。


 それにより乱れた髪を万乙は軽く手で直しながらも、

「いえ。なんとなく、分かってました」


「え……」


「だって先輩、私といる時、いつもどこか遠くを見ていましたから」


「遠くって、えっと、そうだった?」


「はい。それに、先輩はいつもそう言って断るって、噂で聞いてて。なので、別に私、始めからお付き合いできるなんて思っていなくて。ただ自分の気持ちだけ、伝えておこうと思ったんです。先輩、もうすぐ卒業しちゃうから。だから。

 この数週間、先輩と過ごせてとても楽しかったです」



「ありがとうございました」と、万乙はぺこりと頭を下げる。


 彼女が顔を上げるとその動きに合わせ、うさぎの耳に似た髪の束が軽く揺れる。が、心なしか、それはへにょりとしょげているように感じられる。


 けれど、それでも万乙は笑みを取り繕い、

「あの。お願いしていた手紙、……持って来てくれましたか?」


「うん。これだよね」



 桜文はポケットの中に手を突っ込むと、一枚の白い紙を取り出す。それを万乙に手渡すと、万乙は受け取るなり一瞬の躊躇もなく、びりびりと細かく紙を裂いていく。それから散り散りになったそれを、ばっと天に向かって放り投げた。


 紙の屑はひらひらと、風に乗って四方に散っていく。その破片の行方を、万乙は柔らかな眼差しで見つめる。



「どれくらいの時間がかかるか分かりませんが、紙はいつか自然に還ります。あの手紙と同じように、私の先輩への気持ちもきっと……。

 この二週間、先輩と過ごせて、とても楽しかったです」


「あのさ。最後に一つだけ、訊いてもいい?」


「はい、いいですよ」


「どうして俺だったの?」


「……私、昔、先輩に助けてもらったことがあるんです。階段で躓いて、足を挫いてしまって。動けないでいた所を、保健室まで運んでいただいて……。

 先輩にとっては些細なことだったかもしれませんが、私にとっては大切な思い出です」



「本当にありがとうございました」と、万乙はもう一度、頭を下げると、それから屈託のない笑みを浮かばせた。

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