7.

 数時間後――……。


「ただいまー!」

と、活気良い音とともに、芒はぴょこぴょこと飛び跳ねながらリビングの中へと入る。だが、しかし。突然、芒の目の前に、大きな壁が立ちはだかった。



「おかえり、芒。それから桜文……!」



 にっこりと満面の、けれど、堅く張り詰められたその表情を前に。芒と、その後ろに控えていた桜文の口から、同時に「ひっ!」と短い悲鳴が漏れる。


 そして、藤助を前にして、二人は自然と並んで正座をする。



「ふうん、二人で公園にねえ。まさかとは思うけど、プロレスごっこなんかしてないよね?」


「あ、ああ、もちろん。芒とちょっと散歩をして来ただけだから。なあ、芒」


「うん、そうだよ。僕達、散歩しかしてないよ」


「ふうん、散歩だけねえ。確かに服は汚れてないみたいだけど、でも……」



 藤助は、一度そこで口を閉じる。だが、すぐにもまた開かせて、

「本当に散歩だけ?」


「えっ!? えっと、だから散歩がてら、ちょっとだけお祭りを見て来て……」


「へえ、お祭りねえ。でも、見ただけじゃないでしょう? 何を食べたの?」


「何って……」


「何を食べたのか、言ってごらん。全部だよ、全部。食べたもの、全部言ってごらん。ほら、早く」



「言ってごらん」と、先程よりもはっきりとした声で、繰り返させる藤助を前に、芒は大きな瞳にたっぷりの涙を溜めさせる。桜文の背中に隠れるよう、べったりとくっ付く。


 一方の桜文は、顔を蒼ざめさせたまま、

「ごめんなさい」

と、頭を床に擦り付ける。素直に謝るが、藤助の顔色が変わることはない。



「ううん、俺は謝れなんて言ってないよ。何を食べたのか、言えって言ってるの」


「えっと、確か、たこ焼きにお好み焼き、焼きそばに唐揚げ。フライドポテトにバナナチョコ、それから……」


「あとね、カレーの大食いコンテストをやってて。お兄ちゃん、優勝したんだよね」


「優勝? 優勝ってことは、相当食べたってことだよね?」


「いや、そんなには。軽く、えっと、三キロ程度だったかな?

 優勝賞品が、イベントに出品されているものをなんでも無料で食べられるフリーチケットで。だから、お金は全然使ってないんだよ」



 そう飄々と述べる桜文に、藤助はふらりと気が遠くなる。



「まさか、そんなに食べてたなんて。退院したばかりなんだから、食事はあれほど気を付けないとって言ったよね? 取り敢えず、今日の夕食はいらないね」


「そんな!? あの、お腹空いたんだけど」



 遠慮深げに懇願するのと同じタイミングで、桜文の腹から弱々しくも虫が鳴き出した。その音を遠くに聞きながら、藤助は最早呆れ顔しかできない。



「そんなに食べておいて、まだ食べるなんて。一体どんな胃袋をしているんだよ。

 ……あれ。芒、何を隠してるの? 後ろに隠しているものを出しなさい。ほら、早く……って、りんご飴……?

 この期に及んで、まだ食べる気だったなんて……!」



 藤助の顔が飴の色みたく紅潮していくと、小さなその手から奪い取ろうとする。だが、芒は咄嗟にそんな藤助の手から逃げる。


「違うもん! これは、菊お姉ちゃんへのお土産だもん!」



 芒は藤助の手からすり抜け、ばたばたと忙しない音を立てながらも、とある部屋の中へと駆け込む。



「菊お姉ちゃん! これ、お姉ちゃんにお土産。桜文お兄ちゃんが、お姉ちゃんにって」



 そう口早に告げると、芒は半ば無理矢理菊に押し付ける。にこにこと、満面の笑みを浮かべさせて。


 けれど。



「こら、芒! 説教はまだ終わってないよ」



 階段の下から藤助の怒声が聞こえると、その声に反応し、芒の小さな肢体は、びくんと大きく跳ね上がる。


 そして、来た時みたく慌ただしく部屋から出て行く芒に向け。咄嗟に手を伸ばす菊だが、それは虚空を掴んだだけで何の意味も果たさない。



「うーん。思っていた以上に藤助に怒られちゃったなあ」



 とぼとぼと背を丸めさせながら、桜文は自室に行こうとする。が、部屋の前に、何かが置かれているのが目に入った。



「あれ、これって……」



 桜文は、ひょいとそれを拾い上げる。



「おかしいな。りんご飴、好きだったはずなのに」



 甘い香りに鼻を擽られ。ふっと、とある部屋のドアを見つめながら。


 どうしたものかと、すっかり持て余してしまったそれを。その場に立ち尽くしたまま、桜文はぶらぶらと軽く振り回した。

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