8.

 冷やかな外気に、身を小さく縮めさせ。その肢体を覆っている温かな布団に、安っぽいながらも至福に浸る牡丹。


 けれど、ささやかな幸福も束の間。



「牡丹お兄ちゃん、おっきろー!!」


「ぐふ――っ!?」



 一瞬の内に、全てを打ち壊され。その上、容赦なく布団までも引っ剥がされてしまう。


 いきなり触れた寒気に加え腹が痛む一方、牡丹は小刻みに震える。


 が。



「朝だぞ、おっきろ! 牡丹お兄ちゃん、早くおっきろ! おっきろ!」


「分かった、分かったから。起きるから早く退けよ」



 しっしと猫を払うみたいに手を振るい、痛む腹を押さえながらも牡丹は渋々上半身を起こし上げる。


 自身とは裏腹、とたとたと上機嫌で部屋から出て行く弟を、一層と恨めしく思う。



「ったく、芒のやつ。今日は一段と強く乗っかりやがって……」



 おかげでいつもより痛みが取れないと、牡丹はぶつぶつと愚痴を溢しながらも手早く制服へと着替える。それから一段ずつ、階段を下りていく。


 が。



「あ……、」



(菊……。)



 一瞬だけ、目が合った。けれど、菊はすぐに牡丹から顔を反らす。しかし、以前までなら頭にきていたその態度は、今では最早安堵感を覚えるばかりだ。


 いつまでこんな状況が続くのだろうかと、あまりの果ての見えなさに。玄関の戸を潜り抜けて行ってしまう菊を牡丹は黙って見送りながらも思わず一つ、深い息を吐き出してしまうと同時。



「どうしたの? 菊さんと喧嘩でもしたの」


「うわあっ!!? は、桜文兄さん!? いつからそこに……」


「いつって、今だけど。なあ、芒」



 桜文が促すと、「そうだよ!」と、芒は手を高く上げ、一人先にリビングへと入って行く。


 二人切りの状況に、牡丹は急にそわそわと、すっかり落ち着きを失くしてしまう。



「えっと」



(言えない……。桜文兄さんが原因だなんて、そんなこと……。)



 絶対に言えないと、牡丹は口を堅く閉ざす。他人の気も知らないでと、薄らとだが目の前でぼけっとしている兄を恨めしく思う。


 一寸、考えた末。



「そうですね、そんな感じです」


「そっか。女の子って、難しいよね。何を考えているのか、よく分からなくて。早く仲直りできるといいね」


「はい、そうですね……」



 他人の気も知らないで。牡丹はもう一度、心の内で呟きながら、何も知らずにいる兄の手前、苦笑いを浮かべるしかなかった。




✳︎




「兄貴、退院おめでとうございます!」


「お久し振りです、兄貴!」


「『久し振り』って、お前達。毎日病院に来てたじゃないか」



 何を言っているんだと、首を傾げさせる桜文に。けれど、組員達は彼の話を聞くことない。それぞれクラッカーを鳴らしたり、紙吹雪をばら撒いたりと、おおいに騒ぎ始める。挙句には、わざわざ持って来たのか。大太鼓の音までもが教室中へと響き渡る始末だ。



「あーっ、うるせえ、うるせえっ!

 おい、桜文。早くこの騒ぎを止めさせろ」


「けどなあ。アイツ等、全然俺の言うことを聞かないからなあ」


「ていうか、どうせお前等のことだ。校門前でも散々騒いでいたんだろう」



 いつまでこんな騒ぎが続くんだと手で耳を塞いでいる梅吉の願いが通じてか、キーンコーンと、予鈴の音が鳴り響いた。



「やべっ!? 予鈴が鳴っちまった」


「急げ、先公が来ちまうぞ!」


「あっ、おい。こらあっ! お前等、この紙屑を片付けてから行けー!!」



 梅吉が怒鳴り散らすも、彼等は既に姿を消していた。虚しくも、ゴミ屑ばかりが後へと残る。


 眉間に刻まれた皺をそのままに、梅吉は髪に付いた紙切れを手で払い除けながら、

「ったく、これだから体育会系は嫌いなんだよ。お前もいい加減、自分の舎弟くらい言うことを聞かせろよな」


「そんなこと言われても。舎弟にしたつもりはないんだけどなあ」



 ぶつぶつと梅吉に愚痴を漏らされながらも、仕方がないとばかり。桜文は、目に付いた紙屑だけでもと手で掻き集め出した。

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