4.
市内にある、とある空手道場の裏手にて――……。
「苺大福、食べる?」
にこにこと、桜文は菊に向かって差し出すが、菊は薄らと唇を開かせていき、
「……いりません」
「そっか。この苺大福、とってもおいしいのになあ」
がっかりとした様子で、「おいしいのに」と。桜文は繰り返すと、その手を自身の口元へと運ぶ。
もぐもぐと口を大きく動かしていると、ふと視線を感じ、
「えっと、やっぱり食べる? まだあるから、ほら」
「いらないと何度も言ってるじゃないですか。しつこいですね」
「でも、じっとこっちを見てるから。やっぱり食べたくなったのかなって」
「あげるよ」と続ける桜文に、菊は小さく首を振る。代わりに彼の左頬を指差してみせる。
そんな彼女の動作につられるよう、桜文は自身の頬に触れた。
「ああ。もしかして、この絆創膏?」
「なんで……」
「え?」
「なんで貼ってるの?」
菊は瞳を尖らせ、じろりと鋭く桜文を睨み付ける。
その視線に思わず桜文は怯みながらも、しどろもどろに、
「なんでって、せっかく菊さんがくれたから。それに、使わないともったいないかなって」
と、後を続ける。
そう返す桜文に、菊の瞳はますますじとりと細まっていく。
「……バカじゃないの?」
そうきっぱり言い捨てると、菊は一足先にその場を後にする。
残された桜文は、すっかり持て余していた苺大福をどうするものかと一寸考え込んだが、すぐにまた頬張り出す。
「うーん。この絆創膏、使ったら駄目だったのかなあ……」
こてんと首を傾げさせ、それから真っ蒼な空を見上げながら。
女の子の考えることは、よく分からないと。
最後の一口を惜しみながらも呑み込ませると、桜文はぽつりと口先で呟いた。
✳︎
時は過ぎ。淡い紫色の中に薄らとだが橙色が残る空を背景に、いつも通りとばかり。人気がなくなった頃合いを見計らって道場を後にする菊だが、石段に向かって歩いていると不意にこつんと何かが足に当たった。
「キーホルダー……?」
指先で摘まんで目の高さに合わせて見るが、随分とボロボロだと。持て余してしまったそれを、菊はぶらぶらと適当に宙で揺らす。
どうしようかと悩んでいると、ふと後ろから、
「あっ、それ!」
と、声が上がった。
「そのキーホルダー、俺のなんだ」
「ずっと探していたんだよね」と、いつの間に近くまで来ていたのか。頭に葉っぱやら砂埃やらを付けたままの桜文の姿があった。菊は手の中のキーホルダーへと視線を戻し、ちらりと見直してから桜文に手渡す。
受け取るなり、桜文は盛大に安堵の息を吐き出した。
「良かった、見つかって。失くしたら
「桜藺……?」
「うん、俺の妹。……って言っても、もうこの世にはいないけどさ」
へらりと寂しげに。桜文が笑みを浮かばせると、一筋の風が二人の間に流れた。
その悪戯によって乱れた髪を、菊は軽く指先で直しながら、
「……『もうこの世には』って、過去形?」
「うん、何年も前に死んじゃった。お袋と一緒に家が火事で燃えちゃった時に」
「火事ってことは、事故?」
「えっと、それが事故じゃなく事件で。連続放火犯による仕業でさ。俺は偶々通っていた道場の合宿に行っていたから、巻き込まれずに済んだんだよね」
淡々と話す桜文に、菊は無表情のままゆっくりと唇を開かせる。
「恨んでる?」
「え……?」
「その犯人のこと、恨んでる?」
「んー……。どうだろう」
菊からじっと見守られている中、桜文は腕を組み。うんうんと、小さな唸り声を上げて考え出す。
が。
「そうだなあ。いくら恨んだって、桜藺とお袋が戻って来る訳でもないし、どちらかと言うと……、ううん、なんでもない。
そうだね。恨んでいないと言ったら嘘になるけど、でも、今の俺には兄弟がたくさんいるから。みんな変なやつばかりで、本当、毎日飽きなくて。桜藺達のことを忘れられる時なんて、片時もないけど。それでも、俺は生きていけるから。今はそれでいいかなって。そう思うんだ」
柔和な笑みを添え。締め括る桜文であったが、しかし。一方の菊は、むすりと眉間に皺を寄せている。
そんな彼女に構うことなく、桜文は突然、「あっ」と小さな音を漏らす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます