7.
あの日から三日間、菊はずっと自室に籠もりっ放しだ。その間、牡丹が菊と顔を合わせることは一度もない。
夜分も遅く。閑散とした空気で占められているリビングの中に藤助は入って来ると、周りと同じようにソファへと座る。
「おい、藤助。芒はどうだった?」
「うん。満月と一緒にぐっすり寝てたよ」
「そうか」
そのことを確認すると、梅吉は乾いた息を吐き出させ、
「えー、これから第百回、天正家・緊急家族会議を開始する。議題は、もちろん菊のことだ。記念すべき百回目の議題が、まさかこんな内容になるとは」
たっぷりの息を添えさせて、梅吉は額に手を宛がえる。
けれど、すぐにその手を退かし。いつも通り進行を務めるが、その声を遮るよう、突如、
「あ、あの……」
と、か細い音が発せられる。
「どうした、牡丹」
「その、多分、俺のせいです。菊があんな風になったのは、多分、俺のせいです。俺が、その、菊に言っちゃったから……」
「言ったって、何を?」
「それは……」
部屋中の視線が集中する中、けれど、牡丹の喉奥が動くことはない。
いつまでも言い淀む牡丹に、梅吉は救いの手とばかり。薄らと口を開いていき、
「もしかして、――桜文のことか?」
「え……。もしかして兄さん達、知ってたんですか……?」
ぱちぱちと、瞬きを繰り返し。ぐるりと同じ表情ばかりが並んだ顔を見回す牡丹に、
「そりゃあ伊達に何年も、一つ屋根の下で暮らしてないからな。
それよりも、お前なあ……」
彼等は揃って呆れ顔を突き合わせ、
「寧ろ、よく言えたな」
「本当、よく言えたよな」
「うん、よく言えたね」
「ええ、よく言えましたね」
と、兄一同から同時に非難される。
「分かりました、いえ、分かってます。俺が悪いってことは、嫌というほど分かってますから!」
勘弁してくれとばかり、牡丹はますます縮こまり、すっかり肩身を狭くさせている。
情けない面をそのままに。
「俺だって後悔してるんです。でも、つい口が滑っちゃったというか、自分でも気付かない内に声に出てたというか……。
だって、まさか本当にそうだとは思わなくて……!」
「言っちまったもんは、しょうがねえよ。今更どうこうできる話じゃないからな。萩にもばれちまったから釘は刺しておいたが、まさか牡丹まで気付いて、その上、直接本人に言っちまうなんて。誤算だったぜ」
「だから、本当に悪かったですってば! あの。このこと、桜文兄さんは……」
そう訊く牡丹に、梅吉は顔を歪めさせる。
「あのボケボケ男が気付いていると思うか?」
「いえ……」
牡丹は口の端を苦めさせたまま、「済みませんでした」と。別段彼が悪い訳でもないのに、自然と謝ってしまう。
そんな牡丹の様に、藤助は苦笑いを浮かばせる。
「ははっ。でも、だからこそ今まで何事もなく過ごして来られた訳だしね」
「それもそうだな。だからこそ、か。
よし。ついでだから、もう一つ、教えておくか」
そう言うと、梅吉はぽんと一つ膝を叩き。牡丹の方へと身を乗り出す。
「実はな。……いたんだよ」
「いたって、何がですか?」
「もう一人、兄弟が」
「え? えっと、兄弟って……」
「だから、俺達にはもう一人、異母妹が――いや、お前にとっては姉になるのか。桜文は……、アイツは双子で、妹がいたんだよ」
「妹って……。そう言えば、ずっと前に桜文兄さん、『妹が――』って。えっと、確か学祭の準備をしていた時に。そんなこと、言ってたような」
(てっきり菊のことだと思ってたけど、でも、よく考えれば、『妹が好きだった』って。桜文兄さんがそう言っていたあのアニメが放送されていたのは、俺達が幼稚園児の頃だ。菊はあのアニメのこと自体知らないと言ってたし、それ以前に、そもそも異母兄弟の存在さえ知らなかったに違いない。
なんでこんな簡単なこと、)
すぐに気付かなかったんだろうと、思う一方。牡丹は、ちらりと顔を上げさせる。
「それで、その。桜文兄さんの妹は、一体どこに……」
「死んじまったよ、桜文のお袋さんと一緒に。アイツの家が火事で燃えちまった時にな」
「連続放火犯による犯行で当時は割と話題になっていたし、県内で起きた事件だったから俺もよく覚えてるよ。桜文は通っていた道場の合宿に行ってて、家を離れていたらしくて。それで一人だけ、巻き込まれずに済んだんだって」
「だから、アイツにとって“妹”という存在は、特別なんだよ。俺達の中の、誰よりもな」
「誰よりもーー……」
牡丹は、真似て口に出してみるものの。
(そう言えば、桜文兄さん。いつか言ってたっけ。菊のこと、大切な妹だって。
でも、それって結局は。)
牡丹はその答えに、憂いを帯びた瞳を揺らす。
「それで、どうするんですか……?」
「どうするって?」
「だって、たとえ異母兄弟でも、半分だけど血が繋がってるんですよ。なのに……!」
「言えるか?」
「え……」
「そんなこと、俺達がわざわざ言わなくとも、本人が一番よく分かっているだろうに。なんて。きっとただの逃げだな。
けど、言えるか? 別に怖くもないストーカーに脅えているふりをして一緒に帰ってもらったり、寝たふりをして部屋まで運んでもらったり。そういう方法でしか甘えられない妹に、端から諦めている癖に、それでも諦め切れずにいる妹に、……言える訳、ないだろう」
「それに、二人は兄妹だって分かる前から、既に出逢っていたから。多分、その頃には、菊はもう……」
梅吉の後を受け、続ける藤助の消え入るような頼りない音が淡々と。けれど、牡丹の中へと静かに溶け込んでいく。
その音は混ざり合っていく過程で、その先を、全てを、自然と物語っていた。
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