3.

 裏庭へと行っていた萩だが、教室に戻ると、その足で牡丹の元へ寄って行く。



「おい、牡丹。お前、兄貴達の旧姓を知ってるか?」



 珍しくも深刻な表情を取り繕う萩に、牡丹は卵焼きを食べようと開いていた口をあんぐりと開けさせたまま、

「なんだよ、突然」


「別に。なんとなくだよ、なんとなく」


「変なやつだな。でも、兄さん達の旧姓か。直接訊いたことはないけど、確か道松兄さんは豊島だって言ってたな」


「残りの面子は?」


「さあ」


「さあって。なんだよ、役に立たないな」



 そう返す萩に、牡丹は眉間に皺を寄せさせ。「悪かったな」と、口を小さく尖らせる。


 せっかくの当てが外れ不貞腐れる萩であったが、しかし。不意に「へえ」と、飄々とした声が上から降って来た。



「萩ってば、そんなに俺達のことを知りたいのか?」


「そうなんですよ。急に兄さん達の旧姓を訊いてきて……って、梅吉兄さん――!? また来たんですか?」


「なんだよ、俺が来ちゃ駄目なのかよ」


「だって、兄さんってば、いっつも騒ぐじゃないですか」


「あの、教えてくれるんじゃないんですか?」


「なんだよ。そんなに知りたいのか? 仕方がないなあ。なら、特別に教えてやるよ。

 いいか。藤助は北条ほうじょうで、菊は相模さがみ。菖蒲は下野しもので、芒は市川いちかわ、ちなみに俺は洲崎すさき。そして、お前が知りたがっている桜文の旧姓は、行徳ぎょうとくだ――」



 にたりとしたり顔を浮かばせる梅吉に、萩は思わず息を詰まらせる。二の句を告ぐこともできない。


 どうしたものかと萩が考え込んでいると、梅吉が先に口を開かせようとしたが、突然、教室の扉が外側から勢いよく開いた。


 そして。



「こらあっ、天正!」



 顔を真っ赤に染めた穂北が、半ば叫びながら飛び込んで来た。彼はそのままずかずかと、梅吉の元へ地団太を踏みながら寄って来る。



「げっ、穂北!? なんだよ、昼休みまで」


「やはり、貴様というやつは……。すっかり忘れているだろう!」


「はあ? 忘れてるって?」


「だから、今日の昼に部のミーティングをすると、昨日も今朝もなんべんも言っただろうが!」



 穂北はますます声を荒げ、仏頂面を梅吉へと押し付ける。


 一方の梅吉は、気怠そうに彼を見返す。



「そう言えばそんなこと、言ってたような。けど、会議なら俺抜きで進めてくれよ」


「つべこべ言わず、さっさと来い!」



 そう言うと穂北は梅吉の襟首をがしりと掴み、ずるずると扉に向かって引っ張り出す。それにより、梅吉の首元は絞まってしまい。彼は苦しげな声を上げる。


 大声を上げ、騒ぎ出す二人に、どうしていつもここなのだろうと、牡丹は呆れ顔を浮かばせながら心底思う。



「あの人、本当にお前と血が繋がっているのか?」


「一応、半分だけだけどな」




 閑話休題。




 一段落着くと萩はポケットの中に突っ込んだままの手をようやく抜き、そのまま牡丹の前に出す。



「これ、お前に渡しとく」


「急になんだよ。ん……? これって、菊のキーホルダー……!

 どうしてお前が持ってるんだよ」


「拾ったんだよ。それ、お前の妹のだろう。とにかく俺は渡したからな」


 半ば無理矢理例のキーホルダーを牡丹に押し付けると、萩は教室を後にする。


 その後ろ姿を見送ると、牡丹はこてんと首を傾げさせる。



「なんだよ、アイツ」



 やっぱり変だと、牡丹は疑問を抱きながらも手にしたそれをじっと見つめる。このキーホルダーのせいで散々な目に遭ったよなと、過去の出来事を顧みる。


 そして、今頃探しているのではないだろうかと思うものの、しかし。嫌われているのはいつものことだが、一層と嫌悪感を抱かれている今日この頃、たとえ些細なやり取りとて彼女と関わるのはなんだか気まずく。体よく厄介事を押し付けられてしまったと、牡丹は、ぶらぶらと問題のキーホルダーを宙で揺らす。


 それにしても。



「よく見ると随分とボロッちいな。あれ、なんか書いてある。えっと、H……、『H・G』……って、イニシャルか? でも、菊なら普通、『K・T』だよな。なんで『H・G』なんだ?」



 牡丹は眉間に皺を寄せ考え込む。が、やはり理解することはできない。


 午後の授業を告げる鐘の音を遠くに聞きながら、呆気なくも。牡丹はすぐ様白旗を振った。

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