8.

 夕食を終え、各々の時間に浸っている天正家にて。


 リビングの扉が外側から開き、その隙間から、ひょいと大柄な肢体が――、桜文が中を覗き込む。


 きょろきょろと室内を見回すと、目に付くのはソファに座り、テレビの画面を見つめている菊一人だけだ。



「あれ、菊さんだけ? 珍しいな。お風呂、まだ誰か入ってる?」


「……梅吉兄さんが入ってる」


「そっか。それじゃあ、もう少し時間がかかりそうだな」



 お預けを喰らってしまい。桜文は適当に待っているかと結論を出すと同時、ふと違和感を覚える。


 振り向くと菊はテレビの画面に視線を向けたまま、くいくいと、桜文の服の裾を引っ張っていた。



「どうしたの?」


「アイス……」


「えっ?」


「アイスが食べたい」



「アイスが食べたい」と、もう一度。菊は口先で繰り返す。


 桜文は、一拍の間を空けさせるが、

「……分かった。買って来るから」

 そう言うと家を後にし、近くのコンビニまでやって来る。が、アイスケースを前にした途端、ぐにゃりと眉を歪めさせる。



「しまった。なんの味が良いか、訊くの忘れちゃったな」



 桜文は携帯電話を取り出し、操作して耳に宛がえさせるが、反応はない。いつまでも繋がらない電話に、どうしたものかと考え込む。


 結果。



「うーん。来月まで節約しないとだな」



 これだけ買えば十分だろうと。桜文は、ごろごろと、いくつものカップアイスの入ったビニル袋を引っ提げて帰宅する。



「ごめん、遅くなっちゃった……って、菊さん?」



 ソファに向かって呼びかけるが、返答はない。すうすうと、整った息遣いばかりが桜文の鼓膜を震わせる。


 桜文は買ってきたアイスを冷凍庫にしまい込むと、その手で菊を抱き上げ。ゆっくりとリビングを出ると、そのまま階段を上がって行く。


 薄暗い部屋の中、廊下を照らしている微かな明かりばかりを頼りに、桜文は菊をベッドに寝かせ付ける。布団をかけると彼女の耳元へと顔を寄せ、ぼそりと声を低め、

「アイス、買って来たから。好きなの、食べていいからね」



 桜文は、さらりと太い指先で菊の顔にかかっている髪の毛を払い除ける。続いて、がちゃんと甲高くも扉の閉まる小さな音が深閑としたその場に強く響き渡った。


 けれど、その音もすぐに消え去る。いつまでも続く静寂の中、ぱさりと先程の髪の束が彼女の顔へと再びかかる。それをか細い指の腹を使って耳へとかけると、ゆっくりと花弁みたいな薄桃色の唇を動かし。



「嘘吐き――……」

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