7.

 薄暗闇の空の下――……。


 牡丹は天に向かって体を伸ばす。



「んーっ、今日は思いっ切り打ち込めたなーっ!」



 久方振りに、思うように体を動かせ。牡丹はもう一度、満足気に背筋を伸ばす。


 けれど。


 こてんと頭を傾けさせる。



(そう言えば菊のやつ、ストーカーに付けられてるのに、本当に一人で帰ったのか? ……って、なんで俺が心配しないといけないんだよ。あんな女のことを。)



 彼女にとってストーカーくらい、どうせこの前みたく上手くやっているに違いないと。牡丹はそう思い込ませる。


 腹の虫を鳴らしながらも牡丹は帰路を急ぐ。いつも通り、公園の中を歩いていると、ふと傍らの茂みから、がさごそと奇妙な音が響き出した。


 思わず牡丹は身構えるが、刹那、その中から大きな塊が飛び出した。



「うわああっ!? ……って、あれ。桜文兄さん……?」


「ん? あれ、牡丹くんだ」



 能天気にもこちらを指差して来る兄を余所に、牡丹はどくどくと、無駄に跳ね上がった心臓を押さえ込ませる。それから今度はじろじろと、不審な様子の兄を眺め回した。



「桜文兄さん、何しているんですか? そんな所で」


「いやあ、それが落しものをしちゃってさ」


「落しもの? あっ。もしかして、これのことですか?」



 牡丹は慌ててポケットの中に手を突っ込むと、キーホルダーを取り出し、急いで宙に掲げて見せる。


 それを目にした瞬間、桜文の表情は晴れていく。



「ああっ、それ、それ! 良かったあ、見つかって」



 ほっと安堵の息を漏らす兄に、牡丹は跋の悪い顔を浮かばせる。



「すみませんでした、早く返してれば良かったですね。兄さん、家を出る時に落としていったんですけど、帰ってから渡せばいいかなと。こんなに探しているとは思わなくて」


「そんな、気にしないで。いやあ、見つかって良かったよ」



「良かった、良かった」と繰り返す桜文に、牡丹も小さな息を吐き出す。



「でも、どうせなら組員の人達に手伝ってもらえば良かったんじゃないですか。いつもみたいに」


「それは、そうなんだけど。でも、格好悪いじゃないか。妹からもらったものを失くしたなんて」


「はあ」



(格好悪いって、そういうものなのかな。桜文兄さんの考えていることは、やっぱりよく分からないな……って、あれ。)



 牡丹は、一寸考え込み、

「あの、桜文兄さん。今、なんて言いました……?」


「え? 『格好悪いじゃないか』」


「いえ、その後」


「ええと、『妹からもらったものを失くしたなんて』……だっけ?」



 牡丹は、ぽけっと間抜け面を浮かばせたまま。震える指先で、桜文が摘まみ持っているキーホルダーを指差して、

「妹って……。桜文兄さん、それ。もしかして。

 ――菊からもらったんですか……?」

 そう訊ねる。



 牡丹とは裏腹、桜文は平然とした顔で、

「そうだけど」

と、けろりと返した。


 その返答に、牡丹はますます顔を歪ませる。



「へ、へえ。菊がそれを兄さんに……」


「うん。ほら、この前、菊さんが牡丹くんと一緒に水族館に行った時に。牡丹くんの友達の……、えっと、名前、なんだっけ?」


「もしかして、竹郎ですか?」


「そう、そう。その子が買ってくれたらしいんだけど、いらないからって。俺にくれたんだ」



 そう説明してくれる桜文の声を、遠くに聞きながら。牡丹は、ぼけっとした顔をそのままに。



(ええと、つまり竹郎があのキーホルダーを菊にあげたけど、いらないからって。それを菊が桜文兄さんにあげて。

 だから竹郎のやつ、あのキーホルダーを見た時、なんか様子がおかしかったのか。)



 そういうことかと、昼方の友人の不審さ具合に納得でき。相変わらずだなと、同情を寄せる一方。



(だけど、いらないからってもらったものを、普通、他人にあげたりするか?)



 いつものことながら、異母妹の辛辣な態度に。なんだかなあと、牡丹はすっかり奇妙な心持になる。


 このことを当人が知ったら、一体どんな反応をするだろうと。考えた結果、竹郎には内緒にしておいてやろうと。牡丹は己の心の内にだけ留めさせることにした。

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