4.

「あーあ、明日も演劇部なんて……」



 いつになったら解放されるんだと紫色に染まった空に向かい、牡丹は情けない音を上げる。


 隣を歩く雨蓮は、無表情のまま、

「部長の頼みだからな」

 こればかりは仕方がないと、上下関係には逆らえない、運動部の宿命だと。きっぱりと割り切れているのだろう。


 だが、そんな雨蓮とは裏腹、牡丹は未だ口を尖らせている。



「でもさあ。いくら石浜先輩に頼まれたからって、こう何度も聞き入れるなんて。ウチの部長、石浜先輩に何か弱みでも握られているのかな」


「そうだな。部長は天正菊のファンだからな」


「はあ? ファンって……」


「演劇部の公演のチケット、いつも石浜先輩に回してもらっているんだよ」


「ああ」



 そういうことかと簡単に納得でき、いや、納得はできたが、やはり府には落ちないと。


 いつもの道に差しかかった所で雨蓮と別れた後も、どうにかならないものかと。牡丹は石浜からの必死の支援要請の様子を思い返しながら、毎度、毎度、流されるよう周囲に振り回されてしまっている己が酷く恨めしい。


 もう一度、どうにかならないものかと。頭を捻らせていると遠くの方に、見慣れた姿を――数十分前まで同じ空間にいた人物の姿が目に入った。



「あっ、菊のやつ。今日も先に帰りやがって」



(そのおかげで石浜先輩から逃げるの、どんなに大変だったことか……!)



 一言文句を言ってやろうと、自然と牡丹の足は早まる。そのおかげで、菊との距離は徐々に縮まっていく。


 視界にも、その姿を収めやすくなり。あと少しという間隔にまで差しかかった所で、ふと牡丹の前を歩いていた黒い影がそそくさと横道へと入って行った。



(なんだ? 今の男、こそこそして怪しいな。こんな光景、確か前にも……って、もしかして――!)



 牡丹は一気に目標物との距離を詰め、菊の隣に並ぶと、すぐ様口を開かせる。



「おい、菊。もしかして、またストーカーに……。このこと、兄さん達には言ったのか?」



 じっと見つめる牡丹から、菊はふいと顔を反らさせ、

「アンタには関係ないじゃない」


「なっ……!」



(なんだよ、関係ないって。人が心配してやってるのに……!)



 変わらぬペースで歩き続ける菊に……、いや、心なしか、足を速めさせる彼女に、牡丹はむすりと眉間に寄せた皺をそのままに、

「そうかよ。なら、勝手にしろ!」



 今度は牡丹が、菊から顔を背ける。



(本当に可愛くないやつ! ……なんて。よく考えたら、いや、考えなくても。どうせ菊のことだ。この前みたいにストーカーの一人や二人、簡単に返り討ちにできるだろうし。)



 心配するだけ無駄かと、牡丹は考え直す。


 が、それでもちらりと隣を歩く菊を盗み見る。すると。



「ちょっと、付いて来ないでよ。アンタの方が余程ストーカーじゃない」


「おい、誰がストーカーだ! 同じ家に帰るんだから仕方ないだろう」


「なによ。学校でも付け回してる癖に」


「付け回してって、お前の所の部長のせいだろう。俺だって好きで演劇部に行ってる訳じゃないんだよ。

 本当は、思いっ切り打ち込みたいのに。いい迷惑だ」



 溜まりに溜まっていた鬱憤を抑え切れず。牡丹の口からぽろぽろと、つい愚痴が漏れる。


 けれど、一方の菊は、しれっとした顔のままだ。



「だったら元部長に頼んでおくわよ。あんな下手な指導者、反って邪魔なだけだって」



 またしても顔を反らす菊に、とうとう牡丹の額にはぴしりと青筋が立った。わなわなと、肩は小刻みにも震え出す。


 牡丹は怒り任せに、拳を思い切り握り締める。



「なんだよ……。なんだよ、お前だって……。

 お前だって、寝たふりだけは下手な癖に!」


「はあ? 何を訳の分からないことを言ってるのよ」


「なにって、桜文兄さんが前に言ってたんだよ。確かに菊は演技が上手だけど、でも、寝たふりだけは下手だって」



 ふんっと鼻息荒く。したり顔を浮かばせる牡丹だが、刹那、顔面に鈍い衝撃が襲いかかる。



「いったあ……! おい、なにするんだっ……」



 痛む鼻を押さえながら、牡丹は声を荒げさせるものの、しかし。最後の一文字が言葉として吐き出される前に、彼女の姿は既に遠くになっていた。華奢な背中ばかりが牡丹の視界を占めている。


 ひりひりと、赤く染まっているだろう鼻を牡丹は何度も指の先で擦らせて、

「なんだよ、アイツ。そんなに気にしてたのか?」



「そんなに……」と、牡丹は後を続けさせるが、その音はすぐに風に流されてしまう。腰を屈めさせると、地面に転がったままの鞄を持ち上げた。


 それを自身の鞄をかけている肩とは反対側にかけると、牡丹はその場に佇んだまま。ただ小さくなっていく背中を無意味にも見送るばかりであった。

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