3.

 天正家の一階に位置する、普段はあまり使われることのない和室にて。


 珍しくも難しい顔で携帯電話の画面と睨めっこをしている梅吉だが、彼の背後に脈絡もなく一つの影が差し迫る。



「おい」


「ああ? なんだよ」



 梅吉が振り返ると同時、右頬に痛みが迸り、

「いってえ……。

 なにするんだよ!」


「そんなの、わざわざ言わなくとも分かってるだろうが! なんで藤助にやらせた? あんな役、誰がやっても良かっただろう!」



 梅吉は真っ赤に染まった頬を押さえながらも、はー……っと、深い息を吐き出す。



「じいさんのことだ。水の中に睡眠薬が入っていたことくらい、どうせ気付いてたさ」


「気付いてたって、だったらそんなもの、飲む訳が……」



「ないだろう」と、道松は後を続けさせようとするが、それを梅吉は待つことなく、

「飲んださ」

と、きっぱりと言い放つ。



「たとえ中身が睡眠薬じゃなくて毒薬でも、じいさんは飲んだよ。

 あの役は藤助にしかできない。アイツに出されたら、じいさんは飲むしかないんだよ」


「だからって、こんなこと。携帯の中を漁っていることが、じいさんにばれたら……」


「なに、どうせこのことも、じいさんは知ってるさ。それはこっちも承知だったが……、あーっ、駄目だ! やっぱりそれらしいデータは見つからねえ」



 梅吉は音を上げると携帯を放り投げ、ごろんと畳の上に横になる。天井に吊り下がっている照明の、眩い光を直に見つめ、瞳は自ずと細くなる。



「やっぱり削除されてるか。それとも、元々ありもしなかったのか?」


「残念だったな。これだけのリスクを冒したのに、見事な無駄足で終わっちまって」


「そうかあ? 成果なら十分にあったと思うけどな。

 彼女に関する情報を何一つ得られなかったことは、逆にそれが答えでもある。トウカって人のこと、余程俺達には知られたくないんだろうな。けど……。

 あーあ、何一つ情報が手に入らないなんて。トウカって、まるで亡霊みたいだな。この世に存在していない人間を追っているみたいだ」


「そのトウカって人物、牡丹の母親ではないのか? 前に萩に訊いた時、似てないと言ってたらしいが、歳を取れば顔立ちだって変わることもあるだろう。

 もしあの写真の少女がトウカという人物なら、その可能性だって。牡丹とあの少女――他人の空似で済むような話だとは、俺には思えないがな」


「いいや、それはないな。萩に訊いたが、牡丹の母親の名前でもなかったし、牡丹の近しい人間の中にも、そんな名前のやつは聞いたことがないと言ってたぞ」


「そんなこと、いつ調べたんだよ?」


「この間、一緒に温泉に行ったじゃないか。同じ湯に浸かりながら、色々訊かせてもらったよ」


「そのためにアイツを連れて行ったのか? お前もよくやるな……」



 呆れ顔を浮かばせる道松に、一方の梅吉は得意気に、

「まあな。それに、キャンセル料を払うのも、もったいなかっただろう」


「それはそうだが、だからってなあ」


「それより。……藤助の様子はどうなんだよ?」


「どうって……。

 アイツ、泣きもしないで、ただ、明日からどんな顔してじいさんと接すればいいんだって、そればかりで。泣いちまった方がいっそ楽になれるだろうに、こういう時に限って泣かないなんて」


「そうか……」


「そうかって、お前なあっ……!」



 声を荒げ、道松がまたしても梅吉に喰ってかかろうとするが、不意に二人の間に、面白味のない機械音が鳴り出す。


 音の出所は、先程梅吉が放り投げた携帯電話からだ。



「電話……? それも、非通知だ」


「こんな夜中に、一体誰が……」



「誰が」と道松は繰り返すが、その質問に答えられる者など、その場に居合わせているはずもない。時間の経過とともに、謎は深まる一方だ。


 二人は無意味にも、冷たい電子音に耳を傾け。ただおとなしく、いつまでもその音を聞き続けた。

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